選挙が近いからか現役世代の働く人の所得をあげると政治家がやたら連呼しています。曰く、消費税を下げる、社会保険料を下げるという「いかに負担(社会保障の財源)を減らすか」合戦が行われています。選挙演説では大抵そのあと、福祉にも言及し、舌の根の乾かぬ内に社会保障を充実させるという矛盾したことを多くの政治家が言っています。

 

 日本人の働いている人の給料がこの30年間上がらないのはこの30年間働けない人が人口に占める割合が増えてきたからです。増える働けない人が子供ならまだましなのですが子供の生まれる数は年々減っているつまり将来の働く人が減っていっている。その結果、新社会人になる人も年々減るので新しく税金や社会保険料を払う人の数も減っている。年相応の体力の低下や病気や認知症などで働きたくとも働けない高齢者がこの30年間ずっと増え続けてその分の社会保障費のねん出のために現役世代の働く人から頂戴しているので、所得が増えるわけがない。

 

 この単純でどうしようもない仕組みを誰もが見ぬふりをしようとしている。政治家はあたかもなにか負担なしで財源が賄えるような秘策があるかのような匂わせ公約でお茶を濁し(増税するなんて言ったら落選。負担は据え置くあるいは減らすと福祉サービスを利用する高齢者が増えれば必然的に一人頭にかけるお金が減るから質がその分おちるなんて言えない)、選挙民も何が提供されるかより何か負担が増えないかという観点で政策を評価しています。
 

 公的な負担(消費税や社会保険料)の増加を求めず、貯蓄から投資への掛け声のもと自前の自己資本で老後の生活を賄うのが世論の「デェファクトスタンダード」、当り前の真理になっています。

 しかし少なくとも介護保険制度についていえば、要介護のレベルの人に、これを利用せずに介護費用を自前で賄うのはトンデモない額のお金が必要です。そして介護保険制度のサービスの需要に対し財源が乏しいと適切な介護サービスを受けられない、近隣の安い特養に入りたくとも入れる施設がない、ということになります。介護保険制度で介護サービスを使用するのはありていに言えば負担を税金や社会保険料で肩代わりしているのです。いわば働けない高齢者の可処分所得に下駄をはかせているようなものです。

 

 世の中、学者や評論家の方が増税や社会保険料の値上げで社会保障を充実させよう、と発言するとザイム真理教とか財務省の手先とかネットなどで袋叩き状態になります。
 

 社会福祉は基本的にカネ儲けが目的ではないとはいえ、財源という制約があるなかでどうしてもギリギリ以下のおカネしかお上から施設や事業者に回されません。だから質の悪いサービスが提供されてしまうのです。

 

 働いていた人が働けなくなり、さらに施設での介護が必要な時、有料老人ホームに入所できて毎月の何十万もの費用を支払えるほど資産や不労所得(年金も含め)がある人はそれでいいです。そうでない割と安い特養は都市部などでは長い順番待ちでいつ入所できるかわからない場合が多いです。老健やショートステイをたらいまわしにされ待ちに待ってやっと入所できる場合が多いのです。その間、家で介護せざるを得ないときに家族が要介護者の介護の負担、もっと言えば認知症による家の外への徘徊、家族と認識できなくなり暴言を吐く、おしっこを台所でする、大便をゴミ箱でするような不潔行為、思う通りにいかない不満による暴力、ものとられ妄想による暴言、それらに耐えかねて親を、あるいは妻や夫を虐待するということになるのです。

 

 特養に晴れて入れても大抵のところは本当に最低限の介護しかしてくれません。排せつ食事介助以外はほったらかしなところもざらにあります。費用対効果を考えれば仕方ないことで排泄介助すら人手が足りず定時のおむつ交換以外は尿・うんこまみれのオムツをずっとはかされているところもあるでしょう。しかしこれも結局我々が選んだ社会保障の金銭的負担の結果なのです。
 
 そこで「特養なんてだめだ、自分はおカネをためて有料老人ホームに入る。他人に使われるだけの税金や社会保険料の値上げはしなくていい」とするか「特養に入っても、介護報酬が上がれば人手不足などが解消され介護の質を上がるから増税や社会保険料の値上げはやむなし」とするか。これは政治家がきちんと問い選挙民がきちんと判断するべきことではないでしょうか。