〇コモンはリベラルの「オ〇ニー」である

 

 本を買うのに際しAmazonにくらべ書店の優れているところは立ち読みで購入しようと思っている本のさわりだけでなく終わり「も」読めることでしょう。社会問題などを扱う本はたいてい最後の章でまとめとして結局この本は何を訴えたかったかの要約のようなものがあることが多いです。

 

 斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』もはじめと終わりだけ読めばいい本です。たいていの人や私もドイツ語が分からないから彼のマルクス解釈が正しいか判断できませんので。彼自身の現実社会への「訴え」の妥当性のみ判断するのがこの本を読むことの意義でしょう。

 

 斎藤氏ははじめのほうでSDGSは「大衆のアヘン」と啖呵を切ったのはいいですが、それに「気候正義」がとって代わるかはかなり怪しいです。この本の中のほうには世界中から反資本主義の経済システムでも社会が回っているという事例が紹介されていますが、どれも「注目されている」、「可能性を示している」、のようなあまりにも頼りない表現で提示しています。これらが日本で実現できるかは怪しいもので、おそらくそれを承知の上で筆者もこのような仕方で紹介したのならずいぶんと不誠実なものです。

 

 で。あとがきにこの本を読んでどう行動を起こすかというくだりはSDGSとあまり変わらないことを言っています。いわく選挙に出ろとか、市民電力をしろとか、とか。
 選挙に出ろ、なんてなかなかハードルの高いです。誰もが杉並区の岸本美緒区長のようになれるわけではないのです。ちなみに岸本氏や斎藤氏が絶賛するバルセロナのアダ・クラウ市長だがどうも最近の選挙(二期目の任期の切れる2024年)で落ちて市長が別の人になったようですがリベラル界隈でなんの話題になっていないのはどういうことでしょう。Wikiも更新されていない。(スペインに関する情報はほんとに少ないので上記はやや不正確かもしれない)
 

 斎藤氏はテスラやフォードのSUV電気自動車の販売計画はガソリンのSUVに比べ二酸化炭素の排出をしないから地球温暖化防止に貢献するとは評価せず電気自動車の導入によって削減される二酸化炭素の排出量はたいして減らないので「既存の消費文化を強化し、より多くの資源を浪費することにしかならない」(p79)と難詰めする。  
 それなのに斎藤氏はアダ・クラウ市長のもとでのバルセロナ市が電気バスを導入や自動車の速度制限は、ほとんど二酸化炭素削減に貢献しないように思えるのだが、それらの取り組みを大絶賛している。それにテスラやフォードのEVはリチウムイオン電池製造の際二酸化炭素の排出だけでなく採掘の段階から環境破壊をすると言っておいてバルセロナの電気バスのくだりにおいてそれに触れない。
 バルセロナ市が「気候非常事態宣言」なる行動指針を採択したことも絶賛しているが、どうして左翼は○○宣言とかをやりたがるのでしょうか。リベラルと言われる自治体もやたら選択的夫婦別姓制度やLGBTや同性婚の権利を認めるようにする宣言なんかを出しているがしかしこれらは宣言するだけでカネがかからないからやっているとしか思えません。

 

 「(大企業が担ってきた事業の)民主化」「生産の民主化」とか言っていますが民主化すればなんでも問題解決できるわけではないのです。強制的な「民主化」ほど、質の悪いものはありません。

 

 ロシア革命のときコミュニストたちは農地をコモンとしようとしました。これも穀物生産の民主化と言えます。しかし農民は嫌がりました。話し合いでも解決できなかったコミュニストたちは土地の所有に固執する人たちを富農や反革命分子といって情け容赦なく粛清しました。これがコミュニズムなのです。ソ連において無理やり農業生産の民主化をしましたが結果は生産能力の低下という大失敗でした。

 

 なんで農業のおじいさんが雨の日でも暑い日でも畑の様子を見に行くのか。それは自分のものだからです。作物の成長具合、葉の色に変化はないか、病気になっていないか。ムシは発生していないか。毎日調べるのはそれが自分の土地の作物だからです。それを農地と作物の個人の占有とみなし召し上げたので畑への愛着を奪ってしまった。だからソ連の農業はうまくいかなかった。命令されないと作物の状態、畑に水は足りているか、確認しないようではだめなのです。

 

 仮に生産の民主化の実現してもたらされるのは一部の志の高い人間(ガチガチのコミュニズムの信奉者)以外は生産に興味を持たない生産の無責任化です。

 潤沢な脱成長とやらはソ連方式とは違うというようなことも言っていますが、ソ連とは違う独自路線を歩んでソ連とは仲の悪かったユーゴスラビア連邦の労働組合や農業組合が自分たちでいろいろなことを決定する「自主管理」も国が無理やりやらせたのでソ連と同じように行き詰まり、行きついた先が悲惨な内戦でした。現代において資本主義の多民族国家アメリカが不況こそあれ内戦もなくうまくいき、社会主義の多民族国家ユーゴスラビアが崩壊したことは貴重な歴史の教訓として覚えておくべきことでしょう。

 

経済学者のアルフレッド・マーシャルもこう言っています

 

 歴史一般、とりわけ社会主義の冒険的試みの歴史が示しているのは、普通の人間が純粋に理想的な博愛的行為をかなり長期間にわたって続けることはほとんど不可能だということである。例外があるとすれば、宗教的熱狂に駆られた小集団が心からの熱意によって、彼らの高次の信仰に比べれば物質的利害など仔細なことだとしか思わない場合くらいである。

 

 

 志の高い人間のみの小さなコミュニティのコモンならうまくいきます。それでも市町村レベルが限界でそれ以上大きくなると収拾がつかなくなるでしょう。ソ連の失敗の原因を官僚主義で片付けるべきでないのです。