子どもの本と木のおもちゃの店夢文庫ピコットです。
名古屋市天白区にあります。
たまたま店主が留守にしていた時、
常連の小さいお客様が
レジに立つバイトさんに、
“ほんとうのピコットさんは、どこ?”
と聞いたそうな・・・。
それがブログのタイトルになりました。
東京でこの企画展があった時は、
DNA展のためだけには行けないなあ・・・と諦め、
関連の記事など読み漁って
がまんしていました。
ところがこの企画が名古屋にもやって来た!
まてまて、
混み合う夏休みは避けよう・・・
秋になったら・・・
そして、満を持して出掛けた9月9日、
平日ですが、あれ?会場は激混みでした~!
でも、行ってよかったです。
今回も長々と書きますがお付き合いください。
わたしたち日本人の祖先は、
どこから来たのか。
どんな暮らしをしていたのか。
ワクワクするテーマです。
考古学は、遺跡の発掘などで
古い時代を探求してきましたが、
近年DNAの解析技術が進み、
発掘された人骨も調べられるようになりました。
今回のDNA展でも、
縄文人の遺伝子が、
〇〇〇現代人の中に色濃く残っていること
稲作の始まった弥生時代は、
〇〇〇縄文も含む遺伝的に多様な人々が
〇〇〇一緒に暮らしていたということ
などなど、これまでの考古学を覆すことを含め
たくさんの研究結果が展示されていました。
わたしが興味深く感じたのは、
同じ墳墓から出土した何体かの人骨が
必ずしも、血縁のある人同士ではないと、
DNA解析で分かったということ。
※ 海老島貝塚(縄文)/青谷上寺地遺跡(弥生)
同じお墓に葬られたという事は、
血縁ではないけれど
一緒に葬るような
近しい関係にあったという事でしょう。
今より閉鎖的だったと思いがちな古代ですが、
実は、他人同士でも仲良く暮らせる時代だった
ということですよね?
弥生時代の青谷上寺地遺跡の人骨では、
渡来系の遺伝子の割合の多い人
縄文の遺伝子を色濃く持つ人
が混在していたそうです。
それは、暮らしや文化が大きく変わった
弥生への移行にも、
縄文の人々も排除されることなく、
海を渡ってきた人を含め、
様々な遺伝子を持つ人々が混ざり合って
生活する社会だったということでしょう。
祖先が、(というにはあまりに昔ですけど)
他者や異文化を受け入れる
大らかな人々だったと考えると、
嬉しい気持ちになります。
その結果として日本人の祖先は
多様な遺伝的要素を持っているのだと。
そして、その遺伝子が、
今もわたしたち日本人の中にあることを、
難しいこの社会情勢の中での
希望!と感じるのはわたしだけでしょうか。
わたしたちの時代も同じように、
開かれた社会であってほしいものです。
お話が大分飛躍しましたが、
この企画のもう一つの見どころは、
発掘された頭蓋骨からつくられた
当時の人の複顔像でした。
息をしているのでは?という程精巧です。
白保竿根田原洞穴の旧石器人
名前はない?
背後に撮影者も写り込み2ショット
青谷上寺地遺跡(弥生時代)の
通称:青谷上寺朗さん
他にも何体か展示されていましたが、
みんなNet上の画像で親しんでいた人たち。
あら、ここにいたんですか?
がんばってね~
と声を掛けそうになりました。
☆☆☆
<DNA展 日本人の来た道>展は
名古屋市科学館で9月23日まで。
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