少し前のことですが、
例によって時間の余裕なく車を走らせていて、
右折車線の赤信号で、
お客様からの着信に気づきました。
と、その時、
ピ~ポ~ピ~ポ~
緊急車両です!
ピ~ポ~ピ~ポ~
緊急車両です!
道を開けてください!
というアナウンス。
夕方の渋滞時間、
車でギッチリ詰まっている交差点に、わたしは居ます。
大変!
どうやって道を譲ればいいのだ?
携帯を放り出して、
交差点付近の車のみなさんと一緒に、
あっちへちょこっと、こっちへジリジリと動いて、
何とかやっとこさ、1台分の幅を空けたところ、
その救急車は通り抜けていきました。
交差点は平穏に戻り、
わたしも右折を終わって、再びフル走行モードに。
そこで携帯の存在に気づき、
あれ?通話中になっている?と、☎マークをオフにしたところ、
その直後から、
着信メロディが、鳴って鳴って鳴って鳴って鳴って・・・。
急いでいるけど仕方ないので、
路肩に車を寄せて電話を取りました。
すると、電話の向こうは件のお客様のすごく焦った声。
だいじょーぶですか?
だいじょーぶですか?
ピーポーいってましたけど、大丈夫ですかっ?!
え?
わたし?
スマホって、どうしてだか、
着信をちょっと触っただけで通話状態になるんですよね。
急いで道を譲ろうとした時着信のお知らせに触れたらしく、
意図せず、救急車の通過を、
お客様に実況中継しちゃった・・・。
ケイタイを持つようになって、かれこれ20年くらいでしょうか。
お店にいれば当然お店の電話が優先だし、
ケイタイとはあんまり親しくなれず。
わたしのケイタイは、
自分が掛ける時だけ手にする、
持ち歩く公衆電話だよと、変な自慢をしています。
そして、
うっかり触われば↑のような事態を引き起こすのです。
お互いがどこに居ようとも逃れられない お話できるケイタイ。
これって、どうなんでしょうかね?
うまく言えないけれど、
ここまで鮮明にお互いが見えてしまうこのツールは、
たしかに便利この上無いが、
あまりに距離が無さ過ぎてどうだかな・・・と、
わたしには違和感があるのです。
人と人の間は、
ちょっとだけ距離があって、
そこをいろんな思いで埋める方が、
豊かな関係が生まれるのではないかな?
と、その引き合いに出すのが、この絵本。
テンの家に遊びに行ったねずみは、
友だちの家に行くので るすにします
という貼り紙を見て、
友だちって、僕のことだろうか、
それともほかの誰かのことだろうかと悩みます。
その時のねずみの、
ざわざわする気持ちや、
ともだちって誰なのか突き止めようとする複雑な気持ちも、
ケイタイがないからこその心の動きです。
さらに、こちらの絵本では、
その貼り紙さえもありません。
友だちがお腹を空かせているのではないかと、
たべものを相手の家の戸口においてくる動物たちのお話です。
素朴な展開ですが、
読み終えた時には、心が温かくなります。
動物たちは携帯は持ってないもの、
だなんて、
言わないでくださいね。
物を持つことが心を豊かになるかどうか
・・・という議論をここでする気はありませんが、
ピ~ポ~を中継されて肝を冷やしたウチのお客さまと、
テンの貼り紙で心が揺れたねずみとを比べると、
わたし、テンに負けたわ、
という気分になります。 (^^)/