
長浜港から竹生島へ向かいました。
敦賀駅を降りてバスに乗って氣比神宮前へ。
「いざ吾君、振熊が 痛手おはずは
にほどりの 淡海のうみに 潜きせなわ」(古事記、仲哀条)
(大意)「さあわが君よ フルクマのために 負傷するよりは びわ湖の水に潜り入ろうものを」
>これは仲哀天皇皇子忍熊王の自決の歌である。忍熊は神功皇后の腹の皇子(のちの応神天皇)が即位するのを予知し、憤懣やるかたない気持ちから皇后に戦いを挑んだ。
しかし戦況は彼に不利となりついに近江に敗走した。皇后の追討軍の猛将振熊に今さら辱しめをうけることを潔しとせず、湖中に身を投げ命を絶った。
竹内宿禰は皇后の権臣であるが、古代の代表的審神者といわれただけに、皇子の死に不吉な予感をおぼえ、その絶命を痛く悔やんだという。
「淡海の海 瀬田の済に 潜く鳥
目にし見えねば 憤しも」(日本書紀、神功皇后紀)
(大意)「びわ湖の瀬田の渡しで 水に潜く鳥が見えなくなった 憶うに湖中に投身した忍熊王の屍が見つからない 何とも嘆かわしく 不安である 心が晴れない」
そこで宿禰は念のため八方手をつくして探してみたが、屍はついに見つからなかったという。
小江慶雄 著書「琵琶湖水底の謎」より。
敦賀駅を降りてバスに乗って氣比神宮前へ。
>福井県中央部、敦賀市市街地の北東部に鎮座する。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝である。神宮はそのような立地であることから「北陸道総鎮守」と称されて朝廷から特に重視された神社であった。
帰りに長浜の手前の高月で降りました。
寄り添う松の枝

こうやって見上げると、
やはり福岡香椎宮の綾杉の凄さをつくづく思い出します。
>大宝2年(702年)氣比神宮はそれまで伊奢沙別命1柱を祀る神社でありましたが、文武天皇の勅命で大神とのご神縁により仲哀天皇・神功皇后・日本武尊・応神天皇・玉妃命・武内宿禰命の神々が合祀され、御祭神は七柱とされました。その際、神宮を修営しましたが、修営途中突然として地下水が噴出したと伝えられます。
合祀された神々、特に武内宿禰命は大変長生きをされた神様でありますので、これは、祀られた神々の御神徳が宿る神水として信仰され、1300年以上の長きに亘り今に長命水の名称で親しまれています。
神高槻神社。
御祭神は天児屋根命 高額比売命
>高額比売命は天日槍命の末裔で、安産の神としてその名も高く、祈願者も多かりしという。寛治年間朝廷の高官大江匡房都を定めんと栗原に来り、美しき月の名所を賞で、「近江なる高月川の底清しのどけき御代のかげぞ転れり」と詠まれ、後に高槻を高月に改め高月郷と称される様になったと伝えられている。
高月は観音の里といわれているそうです。
高月はとてものどかで平和な地でした






















