神を敬う心と産土の神社 その1 | ポポ山に祈りを込めて

ポポ山に祈りを込めて

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しばしの休憩を。

すっかり遅くなってしまったけれど、
明けましておめでとうございます晴れ
今年もよろしくお願いいたします。

今回は産土(うぶすな)神社について。

お正月に産土神社に行ってきました。

昔は産土も氏神も一緒だったのですが、
今の時代の多くの人は生まれた場所で一生を過ごすということはめったにないですよね。
そのために、神棚も氏神と産土神を別々に祀る人が多いと思います。

私は子どもの頃から転々とあちこち移動していて、
13歳の頃に少しだけ親から離れて、
スイスの山の中で暮らしたことがあるのですが、
海外に行けばそれぞれの土地の産土神がいますので、
スイスに行けばスイスの土地の神さまに、
イタリアならイタリアの守護神にご挨拶をするのが礼儀だそうです。

産土神社も神社庁に電話すると教えてくれます
(私の産土神社は次の記事に書こうと思います)

産土の神さまは人間の出生を司る重要な神さまです。

私たちすべての地球人類は、
各地域の産土神の働きによって現世に生まれてくるのです。

産土の神さまとの約束は、
「現世での日々の暮らしに励み、魂の進化向上を果たすこと。
与えられた命を最後まできちんと全うし幽界へ帰ること。」です。

よって、死後誰もが皆、産土の神の元へ帰り報告をします。

報告とは、
命が尽きる最後まで、
「私は産土の神から与えられた魂を愛し慈しみ、
このように人生をやり遂げてきました。」と、
堂々と胸を張って報告できることが望ましいのです。

だからこそ、生命の途中にて、
自分で自分の命を絶つような自殺や安楽死は神意に反するものなので、

それに自殺は結局また同じ人生を繰り返さなければいけなくて、
死後の生活も厳しい処遇になるそうです。

しかしほとんどが自殺後に本人が死んだ自覚が持てなかったり、
後悔の念や現世への執着が強くて行くべき場所に行くことが出来ずに、
ひたすらにこの現世を彷徨い続ける未浄化な霊になることが多いそうです。

残された遺族もいつまでも亡くなった人を悲しんでいたり、
ネガティブな感情を持ち続けると、
霊もその意識に引っ張られて浄化できないと聞きました。

自殺の場合、残された側が亡くなった人に対して前向きに許してあげることで、
亡くなった魂は浄化していくそうです。

初詣にみなさんは神社に行ってどんなことを祈願しましたか?
その願いごとは、今の自分の本当の素直な気持ちだと思います。

神さまに何かをしてもらうのではなくて、
その祈りの真っ直ぐな心が自分で自分を幸せに導くのです。

私たち一人ひとりは、
産土大神の御心によってこの世に生まれ出た大切な存在です。

でも世の中には病気などで神社に参拝に行くことが出来ない人もいます。

神さまは参拝する姿を見るのではなく、日々の生活、心を見ています。
神社の参拝よりもなによりも、今を大切に生きているかだと思う。

私たちは皆、神の子です。
毎日の暮らしの中に神の光を見ることが出来ます。

その優しさや愛に気づくことで、
また新たな自分が見えてくることになると思います。

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熱海の海です。
素晴らしい初日の出が拝めました晴れ