「月に祈るピエロ」
清流長良川と緑深き山々に囲まれた
岐阜県の小さな町と、東京・・・
ふたりは、一度も出逢わずして、
一番大切な人になった・・・
岐阜県と東京を舞台に遠く離れて一度も会った事
もない男女の心の交流を描きます。
閉塞した日常の生活の中で触れる何気ない言葉
と小さなやさしさに徐々に心を通わせるふたり・・・。
と小さなやさしさに徐々に心を通わせるふたり・・・。
大人の男女の心情の緩やかな機微をリアリティに
満ちた台詞で丁寧に描き、将来に不安をかかえた
現代社会の中で、新たな一歩を踏み出す再出発
の物語です。
**********
さくら) いいわねえ。
静流) ん?
さくら) 明日がある人は。明日の予定がある人は。
静流) 予定って・・・
さくら) おばあちゃん、何にもないわ。
静流) おばあちゃん。
さくら) ただ、生きてるだけ。
静流) おばあちゃん、私も、ただ、生きてるだけ。
さくら) フフフッ。
静流) ハハハ。
さくら) しいちゃんはまだ若いから。
静流) ん?
さくら) しいちゃんはまだ若いから、
何かいい事ないと。
静流) そうかな。
さくら) そうよ、何かいい事あるわよ。
**********
さくら) そして、ことばうりのピエロは、うつくしいこ
とばを、サーカスのはながた、ブランコのり
に、さしだすのです。
時江) どんな話?
静流) 言葉売りのピエロがいてさ、綺麗な詩を書
くのよ。それを、サーカスの花形のブランコ
乗りの男にあげるの。ブランコ乗りの男は、
ピエロにもらった言葉で女の子を口説く訳。
時江) はあ、あれだ。
言ってみればラブレターの代筆。
静流) そうそう。ピエロは何の取り柄もないけど、
言葉の才能はあって、綺麗な言葉を、う~
ん・・・。紡ぐ。そう、紡ぐのよ。
時江) 何かロマンチックね。最後どうなるの?
静流) えっと、最後のほうで、今度はピエロが恋
をするんだけど、もう綺麗な言葉は、今ま
でにみーんなにあげちゃったから、すっか
らかんなの。だから、ただただ、月に祈ると
か・・・。確かそんな・・・
さくら) おばあちゃん、順番に読みたいわ。
**********
恵) 喋った?
静流) 喋った。
恵) 事件じゃん!
静流) 事件よ。
恵) どんな声だった?
静流) いい声。
恵) どんな風に?
静流) 漆黒の闇みたい。
恵) え?
静流) 冷たくて、やわらかくて。
う~ん、氷枕みたいな。
恵) 氷枕?
静流) 氷枕好きなのよ。熱のある時の氷枕。
**********
静流) たった・・・たった一人でいいんだよね。
この世界中で、こんなにいっぱい人がいる
中で、たった一人でいいんだよ。私の事を
幸せにしてくれようとする人が、いてくれた
ら私、幸せになれるのに・・・。それ、結婚っ
て言うんでしょう?
恵) いくつですか?
静流) 41です。
恵) はあ・・・
二十歳の娘みたいな事言わないでよ。
静流) 年取って、嫌になっちゃう。年ばっか取っ
て、嫌になっちゃう。細かい字とか、見えな
くなるんでしょ? そのうち。
恵) 老眼ね。早い子はもう、なってるらしいよ。
静流) どっか・・・どっか行きたいなあ・・・。
行っちゃいたいなあ・・・。
**********
静流) セックスしたいわ。・・・ホテル行きたいわ。
悪い事したいの、私。・・・嘘。ごめんなさい。
悠人) いや・・・
静流) 若い子が好きなのよね。
若い子は綺麗だもんね。
悠人) いや・・・
静流) やだね。
女も長く生きるとこんな事言うようになって。
**********
静流) 汚れちゃったんだよねえ、私。
川で洗ってた。落ちないよ・・・。
泥遊びの泥と違うんだよね、大人になると。
聞いてる?
航) 聞いてますよ。
静流) 私、鼻つまみ者なの。やっかい者よ。短大
で名古屋に出てOLしてたの。
航) はい。
静流) 取引先の人と付き合って。その人、家庭が
あったのね。でも私知らなかったの、最初。
騙されてたの。でも、騙されたくて、騙された
とこあったかな。確かめなかった。奥さんに
バレて、奥さんおかしくなっちゃって。私の会
社に変なFAXとか送ってくるようになって。私
はクビ。奥さん自殺未遂して、元気になった
ら、今度はここ、こんな田舎まで私追っかけ
てきて。家の前で暴れられて、私、この町の
笑い者になった。自業自得と言えばそうなん
だけど、もう何年も前の事なのに。うちの母
なんて、私に消えて欲しいと思ってんのよ。
航) 静流さん、会いませんか?
静流) え?
**********
静流) よしとこう。だって私たち、何もないじゃない
ですか。忘れられないような事なんて、何も
ないじゃないですか。
航) そうですか。僕はそうは思ってなかったけど。
静流) 会わない方がいいんです。
おとぎ話はもうおしまい。もうおしまい。
航) 言葉を盗まれたピエロには、もう気持ちを飾る
言葉はなく、ただただ、毎晩彼女の幸せを、月
に祈るしかなかったのです。
静流) え?
航) 月に祈るピエロの一節です。好きな文章だった
ので、覚えてるんです。今思えば、あの絵本が、
静流さんのところへ行ったのは、運命だったの
かもしれませんね。
静流) 運命なんて・・・笑っちゃいます。
航) 静流さん。幸せに。幸せに・・・。
**********
航) 静流さんだって、すぐにわかりました。
静流) 私もわかりました。
航) 初めまして。戸伏航です。
静流) 初めまして。玉井静流です。
**********
主人公静流が、ボソボソと語るナレーションが、田
舎という閉塞した世界で、ぼんやりと、覇気のない
生活を送っている感じがよく出ていて。年を取って
いく女性の不安や寂しさが、ちょっと切ない。たった
1人でいいのに・・・。たった1人でいいのに・・・その
1人になかなか出会えない、そんな、リアルな日々。
うんうん。凄くわかる。二人が繋がっていく様子も、
互いに惹かれていく様子も。会えないからこその、
言葉で紡がれた関係だという事も。常盤貴子と谷
原章介だからこその美しさだという事も。今の時代
では、普通に起こりそうなシチュエーションなだけ
に、その年頃の普通に田舎にいるリアルな女性と、
普通の男性を思い浮かべればよくわかるというか。
ちょっとした、光、希望の話なのだという事もわか
るから、これはやっぱり、おとぎ話なんだなあって。
きっと、実際には実らないだろうなあって思ってし
まうのは、まさに自分がもう歳を取っているせいな
のだろうけれど。ただ、そういう現実的な幸せとい
うよりも、退屈な、先の見えない、何もいい事がな
さそうに思えていた人生に、ちょっとした人生の贈
り物的な、キラキラした思い出、恋をする、それこ
そが宝物のような、何もないより、ドキドキしたり、
ときめいたり、オシャレしたくなる、そんな時間が、
何よりも生きる希望になると思えば、それだけでも
いいのかもしれないと。そんなことを思ったりした。
ただただ、その幸せを月に祈りたいと思える人が
いる。そんな人に出会えただけで、幸せなのかも
しれない。ずっと、ピエロでしかいられなくても・・・。
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現代社会の中で、新たな一歩を踏み出す再出発
の物語です。
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さくら) いいわねえ。
静流) ん?
さくら) 明日がある人は。明日の予定がある人は。
静流) 予定って・・・
さくら) おばあちゃん、何にもないわ。
静流) おばあちゃん。
さくら) ただ、生きてるだけ。
静流) おばあちゃん、私も、ただ、生きてるだけ。
さくら) フフフッ。
静流) ハハハ。
さくら) しいちゃんはまだ若いから。
静流) ん?
さくら) しいちゃんはまだ若いから、
何かいい事ないと。
静流) そうかな。
さくら) そうよ、何かいい事あるわよ。
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さくら) そして、ことばうりのピエロは、うつくしいこ
とばを、サーカスのはながた、ブランコのり
に、さしだすのです。
時江) どんな話?
静流) 言葉売りのピエロがいてさ、綺麗な詩を書
くのよ。それを、サーカスの花形のブランコ
乗りの男にあげるの。ブランコ乗りの男は、
ピエロにもらった言葉で女の子を口説く訳。
時江) はあ、あれだ。
言ってみればラブレターの代筆。
静流) そうそう。ピエロは何の取り柄もないけど、
言葉の才能はあって、綺麗な言葉を、う~
ん・・・。紡ぐ。そう、紡ぐのよ。
時江) 何かロマンチックね。最後どうなるの?
静流) えっと、最後のほうで、今度はピエロが恋
をするんだけど、もう綺麗な言葉は、今ま
でにみーんなにあげちゃったから、すっか
らかんなの。だから、ただただ、月に祈ると
か・・・。確かそんな・・・
さくら) おばあちゃん、順番に読みたいわ。
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恵) 喋った?
静流) 喋った。
恵) 事件じゃん!
静流) 事件よ。
恵) どんな声だった?
静流) いい声。
恵) どんな風に?
静流) 漆黒の闇みたい。
恵) え?
静流) 冷たくて、やわらかくて。
う~ん、氷枕みたいな。
恵) 氷枕?
静流) 氷枕好きなのよ。熱のある時の氷枕。
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静流) たった・・・たった一人でいいんだよね。
この世界中で、こんなにいっぱい人がいる
中で、たった一人でいいんだよ。私の事を
幸せにしてくれようとする人が、いてくれた
ら私、幸せになれるのに・・・。それ、結婚っ
て言うんでしょう?
恵) いくつですか?
静流) 41です。
恵) はあ・・・
二十歳の娘みたいな事言わないでよ。
静流) 年取って、嫌になっちゃう。年ばっか取っ
て、嫌になっちゃう。細かい字とか、見えな
くなるんでしょ? そのうち。
恵) 老眼ね。早い子はもう、なってるらしいよ。
静流) どっか・・・どっか行きたいなあ・・・。
行っちゃいたいなあ・・・。
**********
静流) セックスしたいわ。・・・ホテル行きたいわ。
悪い事したいの、私。・・・嘘。ごめんなさい。
悠人) いや・・・
静流) 若い子が好きなのよね。
若い子は綺麗だもんね。
悠人) いや・・・
静流) やだね。
女も長く生きるとこんな事言うようになって。
**********
静流) 汚れちゃったんだよねえ、私。
川で洗ってた。落ちないよ・・・。
泥遊びの泥と違うんだよね、大人になると。
聞いてる?
航) 聞いてますよ。
静流) 私、鼻つまみ者なの。やっかい者よ。短大
で名古屋に出てOLしてたの。
航) はい。
静流) 取引先の人と付き合って。その人、家庭が
あったのね。でも私知らなかったの、最初。
騙されてたの。でも、騙されたくて、騙された
とこあったかな。確かめなかった。奥さんに
バレて、奥さんおかしくなっちゃって。私の会
社に変なFAXとか送ってくるようになって。私
はクビ。奥さん自殺未遂して、元気になった
ら、今度はここ、こんな田舎まで私追っかけ
てきて。家の前で暴れられて、私、この町の
笑い者になった。自業自得と言えばそうなん
だけど、もう何年も前の事なのに。うちの母
なんて、私に消えて欲しいと思ってんのよ。
航) 静流さん、会いませんか?
静流) え?
**********
静流) よしとこう。だって私たち、何もないじゃない
ですか。忘れられないような事なんて、何も
ないじゃないですか。
航) そうですか。僕はそうは思ってなかったけど。
静流) 会わない方がいいんです。
おとぎ話はもうおしまい。もうおしまい。
航) 言葉を盗まれたピエロには、もう気持ちを飾る
言葉はなく、ただただ、毎晩彼女の幸せを、月
に祈るしかなかったのです。
静流) え?
航) 月に祈るピエロの一節です。好きな文章だった
ので、覚えてるんです。今思えば、あの絵本が、
静流さんのところへ行ったのは、運命だったの
かもしれませんね。
静流) 運命なんて・・・笑っちゃいます。
航) 静流さん。幸せに。幸せに・・・。
**********
航) 静流さんだって、すぐにわかりました。
静流) 私もわかりました。
航) 初めまして。戸伏航です。
静流) 初めまして。玉井静流です。
**********
主人公静流が、ボソボソと語るナレーションが、田
舎という閉塞した世界で、ぼんやりと、覇気のない
生活を送っている感じがよく出ていて。年を取って
いく女性の不安や寂しさが、ちょっと切ない。たった
1人でいいのに・・・。たった1人でいいのに・・・その
1人になかなか出会えない、そんな、リアルな日々。
うんうん。凄くわかる。二人が繋がっていく様子も、
互いに惹かれていく様子も。会えないからこその、
言葉で紡がれた関係だという事も。常盤貴子と谷
原章介だからこその美しさだという事も。今の時代
では、普通に起こりそうなシチュエーションなだけ
に、その年頃の普通に田舎にいるリアルな女性と、
普通の男性を思い浮かべればよくわかるというか。
ちょっとした、光、希望の話なのだという事もわか
るから、これはやっぱり、おとぎ話なんだなあって。
きっと、実際には実らないだろうなあって思ってし
まうのは、まさに自分がもう歳を取っているせいな
のだろうけれど。ただ、そういう現実的な幸せとい
うよりも、退屈な、先の見えない、何もいい事がな
さそうに思えていた人生に、ちょっとした人生の贈
り物的な、キラキラした思い出、恋をする、それこ
そが宝物のような、何もないより、ドキドキしたり、
ときめいたり、オシャレしたくなる、そんな時間が、
何よりも生きる希望になると思えば、それだけでも
いいのかもしれないと。そんなことを思ったりした。
ただただ、その幸せを月に祈りたいと思える人が
いる。そんな人に出会えただけで、幸せなのかも
しれない。ずっと、ピエロでしかいられなくても・・・。
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