ラスボス、は… | \出会ったからにはしかたがないっ/

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ツインレイを通して出会う、本当の自分

こんにちは、ぴぴです。
統合期の本音や、これまでの学びをシェアしたいという思いでしばらく書いてきましたが、なかなかシビアなゾーンに突入したのを感じている今日この頃です。
そんな今の本音を書いてみます。

 

 

 

 

 

 

発端は彼の帰国でした。
彼が渡欧していた間これまでにない感情を総ざらいさせられたのですが、再会の喜びに浸る間もなく課題が始まりました。
何を言われたわけでもない、何かをされたわけでもない、彼はいつも通り。
にもかかわらず何らかのスイッチが入った私。

「統合を拒んでいるのは私のほうかもしれない」

その疑念が放置できなくなってきたのです。

 

 

『どうしても許せない人物に見え隠れする自分の闇』、それを介してパンドラの箱を開けてしまった感じです。
今思えばずっと触れないようにしていたのだと思います。
やっと得た彼との穏やかな日々を自ら手放さなければいけなくなるから。
私の世界を根底から丸ごと変えてしまうかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

ラスボスは他者ではなく自分自身だと、よく言われます。

もしこれがラスボスなのだとしたら、何度も何度も克服したはずの、同じテーマです。
「まだそこにいたの…」と膝から頽れるような気持ちです。
激情をあおるでもなく平然とそこにいて、動かせそうにない。
私の自我をこれまで支えてきた骨格そのものなんです。

 

 

ラスボスという言葉を初めて見たとき、何か強く心を揺さぶられるような、そういう苦痛を想像していました。
でも今私が対面しているのは、そんな感情すら生まれないレベルのものです。
ずっとそこにいたのに、見えなかったのでしょう。
これに触ると、”私”がいなくなる。
そういう類のものでした。

 

 

 

 

 

 

具体的に何がラスボスになるのかは人それぞれだと思いますが、私の場合は父でした。

「私が私を選べば父を見捨てることになる」
この思いが私の屋台骨でした。
亡くなって数年、彼と出会ってずいぶん手放させられましたが、あくまでも表層的な部分だけだったのだと思い知らされました。

 

 

父はある世界で名の知れた人でしたが、いつもひとりになる恐怖心と戦っていたのだと思います。
そして私は「絶対に父の価値観から出ない」ことで、父をひとりにしないように頑張っていました。

 

 

たとえ価値観が違っても、道が違っても、愛は成り立ちます。
父も私もそれを信じられなかったんだなと、気づきました。
父は私が父の庇護下以外で生きられると信じられなかった。
私は父が道を違えても愛が残るということを受け入れる強さのある人だと信じられなかった。
…そして私のツインレイ彼への不信はここに起因しているのだということがはっきりわかりました。

 

 

親は良くも悪くも子供に呪いをかけます。
本来は祝福だったものを、エゴが呪いに変えてしまうのでしょう。
そうして気づけば彼らの課題まで背負ってしまう。
でも、自分の道を選ぶことは、誰かを否定することにはつながりません。
むしろ、信頼があるから手放せる。
そこにはちゃんと愛が成り立ちます。
やっと、腑に落ちました。

 

 

 

 

 

 

一度課題が始まると完結するまで自動操縦状態です。
苦しくても、つらくても、止まれません。
私のこの学びもまた、行きつくところまで流れることになるのだと思います。
結果はわかりません。
でも、向き合いきった心の奥底に温かさが生まれつつあるのを感じています。

 

 

 

今日もお読みいただきありがとうございました°˖✧˖°
あなたのすべてがあなたの愛で満たされますように°✧˖°♡