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人生は不幸にしかならないのだそう。

鋼の錬金術師に散りばめられた様々な要素、
エルサレム問題、宗教、国家、戦争、等価交換、再生医療、サイボーグ
ナチズム、原子、ビルドゥングスロマン、食物連鎖、ユートピア
などをそれぞれ取り上げている本です。鋼の錬金術師は難しいことを普遍的に伝える、
その媒介・ハブとしてすばらしい作品だと思いますし、漫画の示唆的なものを総括するのに
いいと思ったので、久々に衝動買いしてしまいました。
一番気になったのは、『ips細胞』の著者で幹細胞生物学者の
八代嘉美さんの章です。この方、以前雑誌で自らを悪魔に魂を売った
という意味深な発言をしていたことがものすごく記憶に残っていて、
このような本でまた文章を読んだに妙な巡り会わせを感じます。
フランドル戦争で損傷した兵士の頭の骨に、犬の頭蓋骨の骨を移植したことが
臓器移植の始まりであったり、再生医療のキーとなる幹細胞の発見のきっかけが
広島・長崎の原爆だったという話されていましたが、
劇中での、(国家レベルで)人間を殺して「賢者の石」
というエネルギー体に変えてしまおうという話と、
どこか共通点があるように思えます。
両方とも、研究したり、実践して死んでしまったり、
命を賭けたものの集約を利用するという面があり、
人類が蓄積した「知恵」はまさしく
現代社会を支える知識・技術の結晶=賢者の石と言えるかもしれません。
(使い方を間違えれば崩壊を招くと言う意味でも。)
また、八代さんも最後に、
作者の「クローン牛はよくわからないけど自然に反しているのだろう」
という語りを受けて、その「わからなさ」やiPS細胞を使うことの是非、
どこからモノでどこから命なのか、といったテーマを突き詰められなかったことを
惜しんでいたように、少年誌故に月並みな教訓だけ回答して終わった感はあります。
この疑問点だけ提示して語りえなかったものについて考えることが、
実は一番肝要な気がします。
人が生まれることの自然さ・不自然さを判定する線引きは
どこにあるのでしょうか?
二人が愛した証としての誕生した命は自然なものと感じるでしょう。
逆に人工的にクローン人間を作り出すことは不自然と感じます。
では、自然な愛によって命を生みだす自然な行為を、国レベルで
促す・奨励されることによって生まれる命は、自然か不自然か。
戦後の日本の人口の増加は、
付加価値の低い産業を補う意味でも、規模の経済的なメリットを出したり、
国内市場の形成・国内市場の消費者として、多くの人口が必要だったという
背景があると思います。
そういう国レベルの見方では、今いる多くの人は、経済合理的な目的で
今ここに存在しているとも言えるのではないかと思うのですが、
それは自分が人為的なもの=不自然なものの枠組みに
入ることを意味してしまう気もします。
(劇中、なぜ人体練成が禁止されているか、その理由として、戦力となりえる
人間を再生産する手段を国が占有することで秩序を保つ、というような趣旨の発言も
気になります。)
まあまとまりませんが、やはり色々考えさせる作品ではありますね。
END
ネット上での体験について、
老後に「あのブログでの交流は楽しかったなぁ」
という回想ができるかどうかに、ネット上の人生が
現実の人生の一部たりえるかがかかっている、
というような考えが面白いです。
誰もが発信できるようになったといっても、
卑近・個人的な内容しか発信しないかもしれない、
という点で、一億総発信社会にも過大な期待もしていないようです。
思ったのは、ネット世界のリテラシーは自虐が大事かもしれない、という事。
リア充アピール(ブログは人生の承認戦場の場と化している気もする)
は素直に共感できず、正直シランガナですし、
情けない話をしたほうが、「お前は俺か」、「全俺が泣いた」
と共感されることもありますし。
(差異を強調する)リア充、終活、とかの言葉が流行る世の中では、
自虐・痛み分けの方が共感のベースになるんじゃないかと思います。
まあ「勉強した?」「全然してないよ」並に形骸化したコミュニケーションになるかもだけど。
赤毛のアンが戦後なぜ日本で受け入れられたか、興味深かったです。
要は、男女平等な社会の活発な少女として見せかけて、最終的には家庭の妻に
収まるという保守性(対等なのは学校にいる間だけ)が日本的だったようです。
また、10年前の本なんですが、BLについても取り上げられていました。
BLは異性愛や居場所のなさの救済(としての異性)の拒否、性的見られながら、
性的に振舞ってはいけないというジレンマの発散という面があるそう。
マスメディアにあざけられる対象になることがあることから、規範からずれている
ある意味反社会的な集団なのかもしれませんが、最近はそれがマイノリティでは
ない、という社会的合意ができつつあるのかもしれません。(昔からいると思いますが
手は外化した脳だそうな。
あと、文字文化のない人に映画を見せると、
登場人物が画面からいなくなると、どこに行ったのか
気になってしまうらしい。
いまココに見えるのは記号なんだよ、っていう
目の前のそのものを見るのではない前提が、
映画にはあるそう。
最初のアニメやってた時見たり読んだりしたきりですが、
最近とうとう完結したそうで、また読み直しました。
少年漫画でこういった類の教訓を伝えるのは、かなり難しい
気がするんですが、それをうまく成功させてる気がします。
ストーリー的には最初のアニメ版がすきかな。。。
後半、三分の一ぐらいはレズビアンの恋愛について語られているのですが、
異性愛をディスられている感じがして、ちょっとへなへなしますね。。。
植物が光の方向に向かって成長する「屈光性」というのは、
中学ぐらいの時に理科の授業でやった気がするけど、
これを発見したのはダーウィンらしいです。
社会契約論のルソーも植物に興味が合ったらしいし、
(リンネが植物の分類学を創始した時代で、そういう背景もあったのかも)
植物はもしかしたら面白いかもしれません。