極私的洋楽生活 -16ページ目

イメージ 1

 
 
豚袋でございます。
 
9月ももう半ばにさしかかろうというに、相変わらず夏のような日が続いております。夜は少し過ごしやすくなったのですが、日中の日差しには憂いというものがなく、容赦を感じませんね^^;アパレルに身を置く者として早く気温が下がって欲しいと切に思います。さてすっかり週刊ブログ未満になってしまいましたが、久々の本編は今まで何となく取り上げるのに躊躇していたアルバムをクローズアップしたいと思います。誰もが知っているイーグルスの「ホテルカリフォルニア」です。

 
メランコリックで哀愁の漂うイントロの12弦ギターの音色。重なる印象的なベースラインからレゲエのような裏リズムと同時に入る歯切れのよいややハイトーンのボーカル。終盤に向け盛り上がり、エモーショナルなギターの掛けあいでピークを迎えるドラマティックな構成。洋楽に触れたことのある人なら誰もが知っているであろうこのアルバムのタイトル曲は、その旋律の美しさと圧倒的な完成度の大作で、もはや説明するのが無粋というくらい親しまれ、同時に消費され尽くした感があります。

 
その一方でこの曲が注目を浴びたのは歌詞でした。要約すれば、西海岸のハイウェイでの運転に疲れた主人公が、途中でホテルを見つけ立ち寄り滞在した際の体験を告白する内容で、目にした堕落と快楽主義に嫌気が差してチェックアウトしようとしたがいつの間にか自分も取り込まれ幽閉されていく、というストーリー。この歌詞に使われる言葉がアイロニカルで暗喩に満ちており、ダブルミーニングを解き明かしていくかのような仕掛けが聴き手にとっての魅力でもあったのだと思います。(例えばWe haven't had that spirit here since nineteen sixty nine …のspiritは「酒」と「魂」のふたつの意味だ、とかが最も有名ですね)

 
私がこのアルバムをとリ上げるのに躊躇していた理由は、あまりにも有名な曲であるがゆえあまりにも多くの解説と解釈がなされ、ひいてはアメリカという名の幻想と崩壊という社会事情のメタファーだ、ロック商業主義へのアンチテーゼだとまるで金太郎飴のように大げさなティピカルな結論として評論され尽くしてしまっているからでした。そうした論調にも正直辟易してしまった部分もあります。しかしながらやっぱり名盤である事は確かなので、作品全体の素晴らしさについて書きとめておこうと思います。
 

 

初めてイーグルスを聴いたのはラジオでした。ちょうどイーグルスのベスト盤「グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」が出たころで、ラジオの番組はそのアルバムをクローズアップする内容だったと思います。エアチェックしたその番組を繰り返し聴きました。そこに感じたのは自分のイメージの中にあった「アメリカ」らしさでした。テイク・イット・イージーやテイク・イット・トゥ・ザ・リミット、我が愛の至上らの曲にいかにも大陸カントリー的なムードとボーカルやハーモニーの美しさが心地よく感じました。それから数か月から一年くらいたった頃、アルバム「ホテル・カリフォルニア」がリリースされ、やはりラジオでまたイーグルスを耳にしました。それが前出のタイトル曲とこの曲、「ニュー・キッド・イン・タウン」でした。

 

 

この2曲を聴いて、アルバムを買う事にしました。前出のタイトル曲のロックテイスト溢れるドラマティックさと、「ニュー・キッド・イン・タウン」の優しくも美しい、イーグルスらしい旋律。こんな曲たちが共存しているアルバムをぜひ聴いてみたくなったのです。また、アルバムジャケットの美しさも筆舌に尽くしがたいものがありました。
 

 

アルバムを通して聴いてみて、これは素晴らしいアルバムだと思いました。個々の曲のクオリティの高さに圧倒されました。ファンキーなギターサウンドあり、切ないロックバラードあり、力強いミドルテンポの曲あり、伸びやかなウエストコーストサウンドを彷彿とさせる曲あり。各々の曲全てがシングルとして通用するのではないかと思われる完成度と親しみやすさ。まさに百花繚乱なヴァラエティを感じさせながら、まるで組曲のようにアルバムとして構成されており、その流れから逃れられない感覚。個々は明るくポップな印象をもちながら、アルバム全体を支配する「失望」「退廃」「官能」「刹那」という統一感。たぐい稀なる良質なポップ・メロディーと終末観の共存。まさに名盤になるべくしてなったアルバムだと思います。
 

 

何故に最もドリーミングアメリカ的なシンボル・ウエストコーストの雄であったイーグルスが、ここまでアイロニカルな作品を出したのか。アメリカの社会背景等いろいろ解釈はあると思いますが、私は前作でのカントリーからの脱皮がひとつの成功を収め、「グレイテスト・ヒッツ 1971-1975」の爆発的なヒット(アメリカ国内で2900万枚も売れた)の次というプレッシャーから自己否定したアプローチをせざるを得なかった面が強かったのだと思います。(それはあたかも「ネヴァー・マインド」の爆発的成功が生んだ自虐のアルバム「イン・ユーテロ」でニルヴァーナがたどった道を、すでに70年代に体現していたように思います。)「前作以上」のためにメンバーをチェンジし新たな血を入れ、過去の自分たちのワークに否定的なスタンスをとることによって観点を変えるしかなかったのではないかと思います。それは同時に過去のイーグルスの否定でもあり、バンドとしての終焉を意味していたのではないでしょうか。
 

 

「終焉」の予感は時に美しく、素晴らしい物を生み出します。ビートルズのアルバム「アビー・ロード」のB面のメドレーのような儚いまでに磨き上げられた美しさしかり、キング・クリムゾンの「レッド」の終盤の凄絶なエンディングしかり。結果論としてバンドが「終わった」から美しいのではなく、これ以上ない至高は逆に「終わる」しかないのかもしれません。そう感じさせるほどこのアルバムのB面(暗黙の日々~ラスト・リゾート)の流れは本当に美しい。特にランディ・マイズナーの「素晴らしい愛をもう一度」という過去イーグルスへのゲット・バック的なメッセージをグレンとヘンリーが「ラスト・リゾート」という曲でパラダイスは終わったと否定してしまうかのような返えしと余韻は本当に切ない結末を感じさせて美しい。
 

 

本作の価値は社会や時代背景のメタファーにあるのではなく、作品の究極なまでの完成度にあるのだと思います。その完成度は次のアルバム「ロング・ラン」まで3年を要した事、できた作品にはもはやバンドとしてやる意味を喪失した残骸しか残っていなかった事を見ても、もはや次がないほどであった事の証明でもありました。(ラストの曲「サッド・カフェ」だけは美しかったですが。)
 

 

ラスト・リゾートを聴きながら締めたいと思います。それでは、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イメージ 1

 
 
こんばんは、豚袋ライトです。
 
 
またちょっとブログ放置してしまいました。さほど忙しいわけでもないのですが、何となく記事がかけなくて^^しかし今年のこの暑さは異常ですね!口をひらけば「あちい」の言葉。ツイッターでつぶやくにしても開口一番出てくる言葉はやっぱりその日の気温の事。アパレルという水商売に身を置く者にはこの暑さは死活問題になりかねない。事実秋物の動きの鈍いこと鈍いこと。ひたすら気温の低下を願っている今日この頃です。
 

 

さて、ひさびさの記事は懐かしいところでヒューマン・リーグでも取り上げてみようかと思いました。
 

 

ヒューマン・リーグといえば、やっぱり皆さん思い出すのは大ヒット曲「愛の残り火」でしょうね。楽器が弾けない連中が作ったという事で、奇特な時代になったとこの曲が流行った時思ったものです。この曲を含む彼らのサードアルバム「デアー」は彼らの代表作でシンセポップの金字塔でもあります。
 

 

ちょっと前に、突然この次のアルバム「ヒステリア」がCDで聞きたくなり、ネットで購入しようと思いました。ところが国内盤も米英盤もどうやら廃盤になっているようで、在庫がほとんど流通していない模様。あららそんなに人気ないのかこのアルバム。オランダ盤が14~20日くらいで取寄せということでHMVで購入。ところが待てどくらせど期限を過ぎても来ない来ない。結局遅れて手にできたのは注文から50日くらい後でした。そうまでして欲しかったかというと??なのですけどね(笑)とりあえずこの曲がききたかったのでした。
 

 

 

最初にこのレバノンを聞いた時は、おお、カッコイイじゃん、と思いました。ヒューマン・リーグというとやっぱりシンセのピコピコ音が印象があり、この曲のギター音は新鮮!タイトルからしてレバノン内戦をテーマにしており、軟弱ファッションイメージから脱皮を狙ったのでしょう。ただそれまで「私が欲しいんでしょ?」みたいな事歌ってて、急にそんな事言っても説得力ないよなー(笑)
 

 

それは置いといて、まず硬質なサウンドと男女のボーカルの掛け合わせがよく出来た曲だと思いました。演奏云々やテクノ版アバとかの蔑称は別として、ソングライティングは非常にいいバンドだと思います。
 

 

前作の想定以上のセールスから「次」に苦心し、レコード会社からのプレッシャーも相当だったようで、そんなところから音楽性の広がりを志向せざるを得ず、このようなジェームスブラウンの曲でJBディーバでもあるリン・コリンズが歌っていたヒット曲「ロック・ミー・アゲイン&…」のカバーをしたりと意欲的な姿勢も感じられます。


 

 

この他にもモータウンを想起させるようなナンバーがあったりし、電子音にソウルフルな要素を掛け合わせて無機質なサウンドから有機的なサウンドへのアプローチもしていました。当時それが流行りだったしね。今聞くとまさにもう風化してしまった80年代の音ですが、自分は郷愁を感じどうしても否定的になれません。
 

 

私がこのアルバムを好きなのは大成功を収めた後のアルバムという側面で、もがく姿が見え隠れするからです。また、音楽的にも広がりをつくろうとし、その割に非常にまとまりのあるアルバムとなっていると思います。チャラいイメージのあるバンドですが、意外にも音楽への取り組みは真面目だったのね。
 

 

結果このアルバムはいまいちセールス的に振るわず、プラコンヒットメーカー、ジャム&ルイスの手による次作「クラッシュ」でようやく「ヒューマン」というヒットを排出しシーンに返り咲きます。ただ「クラッシュ」はヒューマン・リーグというよりジャム&ルイスのアルバムという感じが今いち好きでなく、ヒット2作に挟まれたこのアルバムの「もがき」がさらに浮き彫りになるようで、その位置が愛おしく感じます。相変わらずひねくれた聴き方をするなぁと自分でも思うことしきり^^
 

 

最後にしっとり系のこの曲を聴きながら締めたいと思います。それでは、また。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

イメージ 1

 
 
豚袋でございます。


夏の暑さにまいってしまった訳ではないのですが、久々の記事アップとなってしまいました。盆休みは実家のある新潟に帰ったのですが、あいにく台風が接近したこともあり天候がすぐれず(涼しくてよかったのですが)、夏らしいイベントも過ごす事もないままに終了。今週は休みの間にたまった仕事もあり、ちょっとリカバリー進行ということでブログが後回しになった状況でした。

 

 

さて、夏だ!祭りだ!PIGBAG祭り! と名打った以上、夏の間にピッグバッグさまのアルバムはとりあげて完結しておかねばなりません。わけのわからない観念にかられながら、早速今回は第二弾としましてセカンドアルバム「Lend An Ear」の復刻新装盤、「Volume 2」を取り上げたいと思います。この「Volume 2」 は正確にはセカンドアルバムと、1983年にリリースされた「Pigbag Live」というライブ盤のカップリング復刻になります。このライブの方は今回初CD化になります。すでにセカンドの「Lend An Ear」は2年前に(日本だけで)初CD化されており、記事にもしましたので(若干曲が変わっていますが)割愛させていただき、今回は「Pigbag Live」の方をクローズアップしたいと思います。
 


 

 
このライブはひとつのライブを収めたというのではなく、いろいろなライブ音源を寄せ集めたコンピみたいなものです。したがって曲順も演奏日時も場所もバラバラです。したがって若干散漫な印象は免れませんが、そのかわり演奏の内容・選曲ともに素晴らしく、カバーしてあまりあるアルバムとなっていると思います。この曲「スマイリング・フェイセス」はモータウンの重鎮・テンプテーションズがオリジナルでいろいろなミュージシャンがカバーしている曲です。アンジェラのボーカルの良さがよく出ており、思わず聞き入ってしまう出来になっています。

 

 

ピッグバッグはスタジオアルバムを2枚しか出していないので、曲数は知れたものなのですが、この曲のようにどのアルバムにも入っていない曲がオリジナルやコンピ問わずたまに散見することができます。しかしこの曲はなぜスタジオに入れないの?っていうくらいカッコイイ!クールなダークファンクでもろに豚的ストライクです。サイモンのスラップのセンスが良く、カッコイイとしかいいようがありません。アンジェラのボーカルもベースラインに呼応するように絡みつく名演だと思います。
 

 

こうしてライブを聞いていただくとわかると思うのですが、スタジオだけでなくライブのパフォーマンスの確実さを感じ取っていただけるかと思います。背景にフリージャズ的な要素を持っているせいでしょうか、インプロヴィゼーションのたくましさを感じますし、ファンク×アフロなビートはパッショネートで確かなもので躍動感にあふれています。まさにダンスビートとして、ライブこそがその生命を生かせる場であった事は想像に難くありません。
 

 

しかしながら、そのライブを重ねるハードなツアーの日々が彼らを摩耗させ、疲弊させていったのは皮肉だと思います。活動時期の短さはそのテンションの高いライブを短期間に重ねていった事に起因しているようです。もっと上手くバンドマネージメントが成されていれば、こんなに短命であることはなかったでしょう。残念ではありますが、逆に短期間であったが故の刹那的な美しさや相当なテンションのエナジーの放出という側面もあったのかもしれません。結果、今残されている音源は風化をまぬがれ、エナジーにあふれる音塊として存在しているのだと思います。
 

 

1982年の7月に来日をしております。残念ながらそのライブを体験する事はありませんでしたが、このアルバムの最後の曲はその来日時の音源となっております。中野サンプラザです。(ブログのお仲間のCAVE師匠はその時ステージに上がって踊っていたそうです。何とうらやましい^^)その音源を聞きながらいったん締めたいと思います。
 


 


 

さて、本日はおまけ付きです。
 

 

実はこの「Volume.1」「Volume.2」の再発復刻に先立ち、12インチシングルのリリースがありました。そちらを簡単に紹介して締めたいと思います。
 

PAPA'S GOT A BRAND NEW PIGBAG (2010 Vuvuzela Remix)


 
何故この時期に復刻?という疑問の回答になってはいないのですが、今年はサッカーのワールドカップイヤーでした。そのためイギリスではサッカーのアンセムとして知られるこの曲「Papa's Got A Brand New Pigbag」が、2010年ワールドカップ仕様のブブゼラ・リミックスで再リリース!!というのが、復刻再リリースのきっかけとなったようです。
 

 

最後にこのブブゼラ・リミックスを聞きながら締めさせていただきたいと思います。それでは、また。
 


 



 

今気がつきましたが、やっとこの記事が200記事目でした。ブログ3年もやってて200記事。。。どんだけ遅筆で放置なんだ、俺(笑)