JEFF BECK / WIRED (1976) | 極私的洋楽生活

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豚袋でございます。
 
また間が空いてしまいました。久しぶりの更新です。せっかくコメントもいただいておりましたのに、ろくに返事もできず大変申し訳ございません。仕事でネットにどっぷりと浸かっており、正直仕事がたてこむと家でネットに繋ぐのすら嫌気がさしてしまう日々が続いておりました。ブログも放置しっぱなしで、なかなか皆さまのところにも伺えず不義理いたしております。
 
 
アパレル企業に勤務する私の現在のお仕事は、オンラインショッピングサイトの運営です。パソコンの中に職場があるようなものです。外部とのやりとりのほとんどはメール。毎日50件くらいのやりとりをメールで行います。毎日言葉を発するよりもキーボードを叩いている時間の方が長いのではないかと思います。そんな生活を送っているものですから、仕事以外でキーボードに触れたくない気持ちもあります。やはり人間はどこかでバランスをとらないとおかしくなる生き物のようで、ゴールデンウィークはやっと3日より本格的に休む事ができておりますが、電脳関係は一切シャットアウトして、呆けておりました。
 
 
さて、仕事に関してのどうでもよい愚痴が長々前段となってしまいましたが、久々に本編(と本人だけが思っている)のアルバムレヴューもどきの記事を書いてみようと思います。よく考えたら本編記事は今年初めてになります(もう5月というのに^^;)久々書くにあたって今までまだとりあげていない人にしようと思ったところ、この人のアルバムをブログ始めてもうすぐ4年も経つのにまだとりあげていない事に気が付きました。孤高のギタリスト、ジェフ・べック。今回は彼の作品で一番最初に聴いたアルバム、「ワイアード」をとりあげたいと思います。よろしくお付き合い下さいませ。
 

 

ジェフ・べック。言わずと知れたロック黎明期から活躍する大物ギタリスト。よく「3大ギタリストのひとり」という表現が使われますが、ことギタリストという呼称にフォーカスするならば、ジェフ・べックはひとつ抜けた存在だと思います。ギターに関しての他の追随を許さないテクニックとセンス、かつオリジナリティー。ギターという楽器に対しての並々ならぬ情熱。ブルースオリジンのロックフォーマットに収まらない拡大的スピリット。どれをとっても唯一無比の存在であると思います。
 

 

彼を修飾する言葉として「孤高・孤独」「職人」といったものが多く見受けられます。確かに彼はパーマネントなバンドスタイルの枠に自分を収められないほどのミュージシャン・エゴの強い人という側面が強く、実際自分以外のメンバーを固定化しようという発想が希薄で、自身のギタースタイルを求道していく事にしか興味がないように思われます。音楽的にもブルースにはじまりジャズ、ファンク・ブラックミュージックに影響を受け、フュージョンを経てしまいにはエレクトロニカ、テクノ領域まで行くという発展的な姿勢を取り続けている人です。そうしたフィールドの広さとストイックなまでの音楽に対する姿勢が彼を修飾する言葉に結びついているのかも知れません。
 

 

私がジェフ・べックのアルバムを初めて聴いたのは1977年頃、中学生でした。それ以前にもラジオ等で曲を耳にすることはありましたが、インストルメンタルに興味がなかったので、印象に残っていないというのが正直なところでした。きっかけは昼休みの音楽室で名も知らぬ先輩がギターを弾いていたのを聞いて、あまりにカッコよくしかもバカテクで驚いた事でした。当時パープルやツェッペリンのフレーズをコピーして弾いている人は沢山いましたが、その先輩が弾いているフレーズは明らかに異質であったので、誰の曲か尋ねたところジェフ・べックという答え。レッド・ブーツでした。さっそく原曲を聴いてみたくなって買ったというのがべックの「ワイアード」を聴くきっかけとなりました。
 

 

 

針を落とした瞬間から、見事にやられてしまいました。カッコよすぎます!まずリズム隊のパワフルでタイトな演奏で度肝抜かれました。そしてシンクロしながら入っていくべックの粘っこいギター。そのチューンはやがてリズムから遊離し、縦横無尽にフリーキーに変貌していく。またシンセとの絡み掛けあいが凄まじいテンションで繰り広げられていくその様は、圧巻としかいいようがありません。この一曲でべックの恐ろしさとこのアルバムの引力に身を任せるしかありませんでした。
 

 

またこの曲のバックが凄かった。ジャズ畑のミュージシャンに関しては全くの無知でしたし興味もなかったのですが、やっぱりパフォーマンスの凄さというのは確実にあると思い知らされました。シンセのヤン・ハマーとドラムのナラダ・マイケル・ウォルデンの名前はしかと胸に刻まれた瞬間でもありました。べックがバンド至上主義でなかったおかげでこれだけ素晴らしい才能とのケミストリーが生まれたと言っても過言ではないでしょう。
 

 

次以降の曲にはやはりべックが好きだったファンクへの傾倒を感じさせるノリのいい曲がすぐ続きます。またジャズ界の巨匠・チャールスミンガスの曲をとりあげつつ、ギターによるトリッキーでエフェクティヴなフレーズをこれでもかと解放したり、16ビートに乗せたフリーキーなエモーショナルないかにも「べックらしい」プレイを聞かせたりと、鬼気迫りながらも本当にのびのびとギターを楽しみつつプレイしている様子が伝わってきます。このアルバムのもうひとつのハイライトはやっぱりこの曲ではないでしょうか。べックの中でも有名な曲、ブルー・ウィンドです。
 

 

 

後のライブアルバム「ライブ・ワイアー」(こちらのアルバムも最高です。)でも盛り上げどころとなっているこの曲は、もはやべックの代表曲といっていいでしょう。当時は気にしておりませんでしたが、この曲はジェフ・ベックとヤン・ハマーのふたりだけで演奏・制作された楽曲であるようです。(ヤン・ハマーがシンセサイザーとドラムを演奏し、ベースもシンセサイザーによるもの)まず、そんな事はどうでもよく思わさせられる、べックとハマーの喧嘩とも思えるような壮絶なフレーズの応酬に耳を奪われる事間違いなしです。テクニカルでトリッキーながらも完璧な調和のもとに構成されている曲が多いこのアルバムの中で、ひときわ「疾走感」というかストレートな感情の発露は、ジャズのフォーマットの中でありながら極めてロック的なカタルシスに満ちていると思います。
 

 

それまでロックと言われるお仕着せの音楽ジャンルをなぞるように聞いてきた当時の自分にとって、べックのこのアルバムは全く異質な世界に感じられました。ジャズ、フュージョンという耳慣れぬジャンルへの最初の一歩であり、音楽的体験の幅が広がった瞬間でもありました。ただ、ジャンルのフォーマットが耳慣れぬものであっても、すんなり入っていけたのはやはりスピリットとしてのロックがベースにあったからだと思います。フリーキーかつスタイリッシュなジャズにロック的な攻撃性を加えた世界観は、あきらかにロック寄りの音塊を生み出したように思います。
 

 

べックの音楽的変遷はヤードバーズ、第一期ジェフ・べックグループ、第二期ジェフ・べックグループ、べック・ボガート&アピス、そしてソロと形態を変えるたびに音楽性を変えてきています。そのキャリアのなかで、組んだ相手の才能にインスパイアされさらに進化していったギタリストのような気がします。ロッド・スチュワート、ニッキー・ホプキンス、コージー・パウエル、カーマイン・アピス、ティム・ボガート等々、そうそうたる面々とたがいに影響しあったのでしょう。そしてこのアルバムではヤン・ハマーとナラダ・マイケル・ウォルデンという才能とフュージョン(融合)したのだと思います。このアルバムを聴いた後に、遡ってべックのワークをいくつか聞きましたが、やはり体験の鮮烈な印象において自分にとってはソロのいわゆる「フュージョン期」が一番べックを語るのにしっくりくるように思います。そしてやっぱり「ブロウ・バイ・ブロウ」「ワイアード」「ライブ・ワイアー」の3作がもっともべックらしい時代だったのではないかと思います。
 

 

一曲聞きながら締めたいと思います。べックのアコースティック・ギターと、ピアノはじめバッキングの美しい、味わいのあるバラードです。余韻を残しつつ終わるこのアルバムは、やはりいろいろな意味において名盤であることは間違いないでしょう。最後に、ポール・ロジャースが言ったべックに関する最高の賛辞を添えたいと思います。それでは、また。
 

 

「ロックギタリストは2種類しかいない。ジェフ・べックとジェフ・べック以外だ」