極私的洋楽生活
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豚袋でございます。

 

 

実は広島カープのファンです。しかもファン歴は45年くらいになります。今でこそカープ女子なるものも出現するひとかどの人気ある球団となりましたが、自分が最初に好きになった頃は赤ヘルになる前、ルーツ監督古葉監督で初優勝する前の「万年最下位」「リーグのお荷物」と言われてた時代で、その頃からのファンなんです。筋金入りでしょ(笑)

 

 

別に広島出身でもないのですが、何故好きになったのかというと今にして思えば当時の常勝巨人軍がキライで、判官びいきの対象として最も勝ちから遠いところにいたからだと思います。そんなきっかけで応援しはじめた球団が、みるみるうちに優勝するまでに強くなっていくのを目の当たりにすることができたことが大きいのですね。また市民球団の体をとっているので、金にあかせて戦力を増強することもできず、地道なスカウトと創意工夫という球団努力を積み重ねるその姿に小さい頃から共感をおぼえたという、非常に子供らしくないオルタナティヴな野球観をもってファンとなった訳なんです。そして今でもFAによる戦力補強をしていない唯一の球団であるなど、その球団姿勢がぶれないところも素晴らしいじゃないですか。そんなカープが長い停滞期を経て今年、球団史上最高の力と勢いを持って優勝を果たしました。日本一になれなかったのは本当に残念でしたけれども。

 

 

広島カープの事を語り出すと長くなってしまうのでこのくらいにします。話を音楽に転じますと、野球観同様、音楽の趣味においてもやっぱり自分はオルタナティヴな選択をしてしまう傾向にあるようです。今回は自分にとってのガレージロック界の広島カープ(ほんとかよ・笑)ブラック・キーズをとりあげたいと思います。

 

 

実はブラック・キーズをきちんと聴いたのはお恥ずかしながら最近のことでございまして、彼らの2014年のアルバム「Turn Blue」を聴いたのが彼らとの出会いでした。初めて聴いて自分の音楽嗜好の根っこにある「ブルース由来のロック」のフレーバーを強く感じました。イコールお気に入りのアルバムとなったのですが、彼らはすでに10年以上のキャリアがあるとの事で遡って今までのアルバムを聴いていったのですが、遡るごとにルーツにより近くなり、より自分の好きなアルバムに巡り合うという結果となりました。彼らのアルバムの中で一番自分に合うアルバムがこのセカンド、「Thickfreakness」でございます。

 

 

 

 
 
いきなりこの一曲目のタイトル曲からガツンとやられてしまいました。イントロのオーヴァードライブがかった歪んだギターのロングトーンからピックと弦が擦れ合う生々しいピッキングの音にはじまり、粘っこいリフが繰り返され、渋いブルージーで乾いたヴォーカルが始まる冒頭。このサウンドを耳にしただけでもうこのアルバムに釘付けとなりました。むき出しで生々しく、そしてギターとドラムという最低限の楽器だけで構成する音。余計な音がないのにタイトルにもある「厚み」を感じさせる音塊。シンプルゆえ感じる初期衝動。むちゃくちゃカッコイイ音じゃありませんか。
 
 
そう、ブラック・キーズはギター&ボーカルのダン・オーバックとドラムのパトリック・カーニーのふたりから成るツーピースバンドなのでした。後年のアルバムではベースありシンセありという音づくりとなっていくのですが、このアルバムはほとんどの曲がベースレスでギターとドラムの音のみで作られているのです。このミニマル感とブルーステイストと虚飾のなさが、いぶし銀のようなカッコ良さを生み出しているのには衝撃を感じざるを得ません。
 
   
 
 
このアルバムはカーニーの家の地下室でたった14時間で作られたとの事です。ということはほぼ一発録りで、音のパーツを重ねていく作業など皆無だったことが伺い知れます。衝動にまかせるままギターをかき鳴らし、ドラムを潰さんかのごとく叩きふたりの鼓動が結果見事にシンクロするそのライブ感は見事という他ありません。
 
 
ちなみにこの曲「Have Love Will Travel」は1960年にヒットした曲のカヴァーでオリジナルはリチャード・ベリーというドゥーワップR&Bの人の曲らしいですが、聴き比べてもよくわからない全く異なるアレンジとなっているのがわかります。よくもここまで別曲としてのアレンジができるものだと逆に関心しました。ほぼオリジナルと言っても過言ではないでしょう。
 
 
「ブルーズ由来のロック」でかつギターとドラムのユニットと言えば皆さんが真っ先に想起するのはホワイト・ストライプスだろうと思います。彼らの方が知名度もあり人気も博していたことは間違いないでしょう。同じユニット構成でかつルーツは一緒。しかも同時代を駆け抜けたことも含め共通点は多そうです。
 
 
しかしその音楽性はルーツを共有していながら、表現としてはかなり違ったものとなっています。ホワイト・ストライプスがブルースの音を手段として現代的なアレンジを加え肉付けし、洗練された躍動感と抑揚と静寂の起伏に富んだ表現力豊かなメロディー、ある意味計算された音を追求したのに対し、ブラック・キーズはブルースの音を衝動的に突き詰めて行ったら、より土着的で地べたを這うようなバイブレーションとルーツの本質を感じさせるような「静かなる怒り」を内包したリフ主体の音となったような感じがします。
 
 
その対照的なサウンドは、それぞれバンド名に冠した「ホワイト」と「ブラック」の対照そのままを象徴しているかのように思えます。それぞれ異なるアプローチでブルース由来のロウファイなガレージロックを追求した両者ですが、現在においては両者とも(あまり基準としたくありませんが)グラミー賞を賑わすほどの存在にまでなりました。そこがスターと多くの才能を有して強さを発揮する巨人軍と、比して突出したスターもなく才能も限りある中で虚飾のない強さにたどり着いた広島カープの姿と重ね合わせてしまう、というのは強引でしょうか。
 
 
ええ、強引ですとも(笑)
 
 
彼らがメジャーシーンに躍り出るきっかけとなったのが、このアルバムの3曲目に収録されている「Set You Free」という曲が、ヒット映画「スクール・オブ・ロック」のサントラに採用されたことのようですね。この曲は初期の彼らの衝動的なパワーをよく感じさせる出来となっています。PVはレコードショップでの店頭ライブとなっており、彼らの成り立ちがよく表れているような気がします。そしてやっぱり彼らの音はスタジアムで体験するよりもこうした環境で聴きたくなる類のものではないでしょうか。
 
   
 
 
 
それでは、また。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Autumn」と「Fall」
どちらも秋を意味する英語だが
「収穫期」を意味する「Autumn」
「落ち葉」を象徴した「Fall」と
その由来は喜びと悲しみの
両方からきているようだ
 
自分はなんとなく「Fall」の方が
季節を言い当てている気がする
秋はやっぱり冬への序章
躍動的な夏を終え厳しい冬への移行の予感は
やっぱり「ある種の物悲しさ」を伴うものだ
 
T.V.パーソナリティーズのこの曲が
秋になるとなんとなく聴きたくなる
寂寥感が漂い「ある種の物悲しさ」を
増幅させるのだと思う
 
音はチープでスカスカ
ひゅるひゅるとオカリナみたいな音色のリフ
ドタドタしたドラム
安っぽいエコーがかったギターのかき鳴らし
サビらしいサビのない単調なメロディ
つぶやくようなボーカル
 
文字にするとまったく魅力を感じないが
これが不思議と音としてある種の世界観を持ち
独特の寂寥感を醸し出している
自分が持っている「秋に対するイメージ」を
かなり端的に表わしてくれている
そんな気がするのだ
 
ひたすらロウファイで
演奏もどちらかというと下手だが
ポストパンクの時代性の中では
さほど問題でなかった
「ギターポップの元祖」なんて
言われたりもしたらしいが
さすがにそれはないだろうと思う
 
でもフロントマンのダン・トレーシーは
メロディメーカーとしての
才能は豊かだったと思う
英国ならではのちょっと斜に構えた感じの
音とアートワークのセンスは
なかなかのものだった
後進のミュージシャンからの
リスペクトも少なくない
 
この曲は彼らのサードアルバム
「They could have been bigger than The Beatles」
(彼らはビートルズよりも大きくなり得た)
という不遜なタイトルのアルバムに
収録されている
 
残念ながらバンドは
このタイトルに象徴されるような
商業的な成功にはほど遠かったけれども
そのあたりもやっぱり「物悲しい」のだ
 
 
 
from album
[They Could Have Been Bigger Than The Beatles]
 
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豚袋でございます。
 
 
10月というのにまだまだ日中は秋を感じないですね。近年は亜熱帯化しつつあるニッポン、暦と体感の季節のギャップがもはや身体にしみつきつつある感があります。
 
 
さて、自分は昨今本当にいろいろなジャンルの音楽を聴いているせいか、なかなか一枚のアルバムを繰り返して聴く事が少なくなってきています一回聴いたきりで「おお、こんな感じか」と流してしまうアルバムが本当に多くなりました。時間をかけてじっくり聴くのがアーティストに対する礼儀とも思うのですが、自分がまだ聴いていない音楽を知りたい・聴きたいという欲求に際限がなく消化しきれないほどのアルバムに接している自分がおります。
 
 
節操のない音楽趣味を持つ自分でございますが、しかしながら多分、自分の音楽嗜好の根深いところにあるのは「ブルース由来のロック」なのだろうと思います。ブルースそのものではなく、ロックというフィルターで料理した音が好き。なおかつファンクな要素がプラスされれば更によし。そしてやっぱりナチュラルな歪みのあるギターの音が好き。そんな音に接すると繰り返し聴くアルバムに仲間入りしてしまう、そんな傾向があります。
 
 
そしてちょっと遅ればせながら、このヴィンテージトラブルのアルバム「The Bomb Shelter Sessions」に最近ハマってしまいました。まさに自分のそうした根深い嗜好を刺激するにドンピシャな音だったのです。もう、最初の曲でガツンとやられてしまいました。
 
   
 
 
凡庸な言い方しかできないですが、理屈抜きで「カッコイイ」音でした。何と言ってもボーカルのタイ・テイラーのジェームズ・ブラウンも顔負けのキレッキレのシャウトにタイトでシンプルなドラム、オールドトーンのレスポールの唸るギター。ブルージーでロックでダンサブルでファンキー、すべてが自分好みの要素が絡み合う音塊でした。どこかで書かれておりましたが、「レッド・ツェッペリンのヴォーカルをジェームス・ブラウンが担っているかのような音」まさにそんな感じではないでしょうか。
 
 
まさに「ヴィンテージ」の名に恥じない、虚飾のないむき出しのバンドサウンド。しかもエッジーなドライブ感に溢れ、レトロ感よりも新鮮さが勝っているように思います。近年のエレクトロ過多のサウンドに真っ向から対峙するような孤高を感じると言えば褒めすぎでしょうか。
 
   
 
 
一転してミドルテンポの曲は、ボーカルのソウルフルな表現力が際立ち、さすが黒人にしか出せない声というか、やや低音域ではスキーになるまるでマーヴィン・ゲイやオーティスを彷彿とさせるような声を聴かせます。
 
 
演奏は上手いかというとそれほどのものは感じず、どちらかというと凡庸な気もするのですが、前のめりのパッション的なものが勝っているので気になりません。また、よく聴いていくとブルースを初めとしたいろんなルーツミュージック要素の「ブレンド具合」が絶妙に上手いのではないかと感じます。オールドリスナーが持つ郷愁の刺激と電子音に飼いならされた若いリスナーへの新体験の喚起を結果としてバランスよく収めている気がします。黒人白人混成であることで、そのブレンド感がうまく調和しているようにも思えます。
 
 
2012年のサマソニ、2016年4月と来日したようですが、ライブにもかなり定評があるようでぜひライブを見たかったと思います。残念ながらちょっと知るのが遅すぎました。プリンス、ブッカーT、レニー・クラヴィッツ、ブライアン・メイなどの大御所からも「本物」「完璧」と言わしめたその音楽性とパフォーマンス、体験したいところです。
 
   
 
 
このアルバムはデヴューアルバムで2011年にリリース、今から5年前の音です。この後のアルバムが2枚出ていて、2015年の「1 Hopeful Rd.」も聴いたのですが、このアルバムのようなバランス感覚やエッジーさが失われ、どちらかというとソウル寄りが強くなってしまった気がします。ブルーノートレーベルからのロックバンド初リリースということで気を遣った、という事なんでしょうか。悪くはないのですがちょっと残念です。次のアルバムはぜひともファーストに回帰した音を期待したいところです。
 
 
それでは、また。