北海道車中泊の旅(其の弐拾五・前編) | KhonKaen徒然日記

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少々早めのリタイヤを決断。タイ人女房とのイサーンの日常をお伝え出来ればと思います。

サワディクラップ!!
本日もKAZのブログにお越し下さいまして有難う御座います!!

 

先日某オークションにて落札しましたブツが本日到着!!(嬉)
そのブツとは…

 

 

この箱を見ればKAZをご存じの方は中身の想像がつくかと思いますが…(滝汗)

 

 

 

噂では…日本で一番平均飛距離が出るドライバーとか??
(此処一発が飛ぶ訳ではないようですが兎も角ミスヒットに強いそうでして…嬉)

 

ちょっと変わったシャフトが入っていますのでかなり格安で落札!!
また後日インプレッション記事でもお送りさせて頂こうかと思います!!

さて北海道車中泊の旅、其の弐拾五です。
この日は北海道22日目、7月9日、火曜日でした。

この日の予定は…

 

 

こんな感じ。
前日に内陸部の阿寒湖方面から帯広を抜けて海岸通りに出まして太平洋沿いにあります「道の駅 みついし」にて車中泊した後に再び内陸部に向かって走ると…まさに四方八方、縦横無尽に動き回るって感じ(汗)

 

まずは…

 

 

毎度の看板!!(笑)
写真を撮っている際に丁度入って来ました黒い車はタイトヨタの「HILUXE-REVO

タイでは極々普通にそこら辺を走っている車ですが日本では希少車??
北海道にはお似合いの車ですが…東京とかの都市部ではデカ過ぎて使い勝手が悪いでしょうね(汗)

朝食を済ませましてまず来ましたのは…

 

 

これもデカい壁画です!!(驚)

 

 

サラブレット大壁画

新冠町が公費で描いたと云うなかなか粋な壁画です。

 

 

現在の絵は二代目のようで馬の向きが変わったと、修復ではなく丸っきり一から書き直したんですね(凄)

次は…

 

 

 

デカい…から一転して此方のチッコイ駅舎は海岸沿いに走るJR北海道「日高本線」の「清畠駅」です。

昔の予定では苫小牧から襟裳岬を抜けて前日行きました幸福駅の広尾線と繋がり帯広まで繋がる予定だった日高本線ですが…
襟裳岬のはるか手前の「様似駅」で終点、広尾線も廃線となり折り返し鉄道として一応は現在も現役線。

しかし…

 

 

 

線路は赤錆で真っ赤!!どうみても鉄道が走っているようには見えませんよね…(汗)

実は…

 

 

2015年1月に北海道を襲いました爆弾低気圧の高波により線路が消失!!(滝汗)

 

 

線路のレールはおろか線路の路盤、築堤の石積みまで流されてしまいました。

 

 

 

 

慶能舞川に掛る鉄橋も流失、以前は川の中に転がっていたガーター橋は今は築堤跡に並べられていました。

逆さまになっている昭和5年、横河橋梁東京工場製作、材料は八幡製鉄所製、「鐵道省」のプレートが何とも…(涙)

 

 

綺麗に並ぶコンクリート製橋脚も廃墟感が凄いです!!

現在は代行バスにて運行されているようですが…事故から既に5年近く経過、未だ復旧作業の様子は無く実質的には廃線状態。
10年後、20年後には北海道の鉄道はいくつ残っているのでしょう??

 

この先から内陸部に入りまして…

 

 

 

平取町立二風谷アイヌ文化博物館」です。

 

 

今、アイヌは「ゴールデンカムイ」で大人気??

 

 

 

 

 

本当に「町立」なの?と思う程立派な施設でした!!(驚)

 

そして次は…

 

 

以前バイク旅の際に寄ったのは旧国鉄「富内線」の「振内駅」でしたが今回寄ったのは…

 

 

富内駅」です。

 

 

昭和20年代にはかなり栄えていた街だそうですが…(汗)

 

 

そう言えば昔はこんな感じで切符を販売してましたよね~

 

 

 

 

先日の幾寅駅での「鉄道員」の映画の撮影に際には此方でもロケが行われたようです。

 

 

 

 

 

 

彼方此方に張られたワイヤーで動く腕木式信号機

 

 

 

ワイヤーが集まっているこの部分がそれを動かす司令塔?(笑)

 

 

此方の客車は…

 

 

無料のライダーハウスでした。とても綺麗、清潔に管理されていました。

 

 

 

 

空に向かう鉄路は…「ほべつ銀河鉄道運動」の際に作られた銀河鉄道999をイメージしたオブジェ。

 

そして…

 

 

道の駅 夕張メロード」に到着!!

 

 

どちらを向いてもメロン一色!!(笑)


当然ですが…

 

 

食べない(食べさせない…)理由は有りません(汗)

KAZ的にはこの街も炭鉱遺跡巡り三昧ですので女房殿の機嫌を損ねないように…と(汗)

 

因みにKAZと女房の個人的な感想ですが…富良野メロンと食べ比べますと富良野メロンの方が美味しく感じますね。
夕張メロンは柔らかくて溶ろけそうな上に甘みが強過ぎると云うか…「食べて居る」と云う実感に乏しい…
富良野メロンは柔らかいなかにもしっかり感が有ると云うか…上手く表現出来ませんが…(汗)
(金額は夕張メロンの方が遥かに高価でした…驚)

 

その炭鉱遺跡巡り…
まずは…

 

 

 

JR石勝線夕張支線「沼ノ沢駅」から伸びていた「北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道」の機関庫です。

大正初期の建物でしょうから築100年以上は経過(驚)

 

 

先に見えるのは「北炭真谷地炭鉱」のボタ山でしょうか?

 

 

 

 

殆どの施設は取り壊されておりますが一部は再活用されている様子。
しかし…まさに炭鉱と共に死んだ街と云う雰囲気です(汗)

昼食は…

 

 

 

こんな感じ!!(汗)
本当に北海道って食べる処が少ないのですが特にこの夕張は…丸っきり無い!!(驚)

 

お腹を満たしたところで…

 

 

此方は…駅名看板も外されていますが…

 

 

JR石勝本線夕張支線の「清水沢駅」跡です。

 

 

 

駅とホームが離れているのは此方に「三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」や「北炭清水沢炭鉱専用側線」の線路が有ったからでしょうか?

 

 

 

廃線になったのは今年の4月ですが既に踏切部分のレールは撤去されて舗装済み、駅舎やホーム、線路跡には侵入できないようにガッチリガードされていました(驚)

 

 

 

駅前商店街も…廃墟のオンパレード!!(驚)

此方から国道452号線を進みますと…

 

 

おお~ガンダムに出てくるような「ラッセル車

 

 

三菱石炭鉱業大夕張鉄道線」の「南大夕張駅」跡です。
以前バイク旅の際に寄った時には一部の車両が傾いていたのですが綺麗に起こされて修復されて居ました。

 

 

 

 

 

綺麗に保存されています(驚)

保存会の方々の努力の結果だと思います。

 

 

当時のバスも置いて有りました。

 

そして…

 

 

 

 

2015年竣工の「夕張シューパロダム」です。

此方の完成で…

 

 

三弦橋」や…

 

 

旭沢橋梁」は水没…前回のバイク旅の際が見納めでした(涙)

 

 

 

 

 

 

この附近はどこを見ても廃墟だらけですが此方は旧三菱南第夕張体育館跡…
その裏側にあります…

 

 

「南大夕張炭鉱殉職者の碑」です。

1985年(昭和60年)5月に炭鉱内ガス爆発により亡くなりました62名の炭鉱マンを慰霊する碑です。
丁重にお参りしてきました。

 

更に…

 

 

此方は「北炭夕張炭鉱」の「新炭鉱」跡です。

 

 

この一帯に事務所を始めとする建物類が何棟も建って居たのですが…

 

 

「北炭夕張新鉱通洞西口跡」です。
此処を入っていくとその先に立坑があり炭鉱夫はそこから地下の坑内に居りて行ったと…
今は勿論閉ざされて居ますが一部に通風孔?がありましてそこから出入りされていると…

 

誰が…??

 

 

 

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」慰霊碑です。

1981年(昭和56年)10月に発生しました戦後3番目に犠牲者数の多かった炭鉱災害、実に93名の炭鉱夫の尊い命が奪われた事故です。

何度かの救出隊の派遣、そして救出隊も被災すると云う二次災害も発生しまして二度三度のガス突出、火災等で会社側は生存者は居ないと判断、炭鉱内に水を注入するしか火災鎮火の方法が無いと苦渋の選択。
しかし被害者家族にしてみれば万が一の一縷の望みが有るのは当然の気持ち、そこに注水すると言う事は…
最後は北炭の社長が犠牲者の家族に対し「お命を頂戴致します!」と涙の謝罪。
一軒一軒、被害者家族の許を訪れて土下座して注水の承諾書を取り付けたと…(凄)
その一連の様子がテレビで生報道されていまして…KAZ、今でもその様子を覚えて居ます。
最後は北炭の社長がリストカットの自殺未遂事件を起こす訳ですが…
この事故以降炭鉱は廃坑が相次ぐというエネルギー転換期の引き金を引くような事故でしたね。

 

先程の通洞西口跡が完全封鎖されていないのは被害者家族の希望で…被害者の魂が地上と炭鉱内を行き来出来るようにとの願いだそうです(涙)

 

実は…以前のバイク旅の際にも此方に寄ろうとしたのですが…何故かその時にバイクのナビが突然の故障(驚)
かなり通り過ぎてからナビが復帰、つい面倒なので戻らずにパスしてしまった…と云う事が有りまして…(怖)
やはり…観光気分で訪れてはいけない場所なんですよね(汗)

 

 

逆光で判り辛いですが…

 

 

北炭の大煙突です。

 

 

旧炭鉱住宅地に佇む此方の建物は…「日本キリスト教会 北海道中会 夕張伝道所
炭鉱夫の中にはキリスト教徒も多くいらっしゃったようです。

 

 

此方は何でしょうね??

 

 

この奥には「夕張鹿鳴館」と云う北炭の迎賓館鹿ノ谷倶楽部と云う建物が有るのですが…

現在は元大グループと云う中国系の会社が所有、リノベーション途中なのか?閉鎖されているようです。

 

この鹿ノ谷附近には北炭の炭鉱住宅がそれこそ山のように建っていたのでしょうが今はその面影はゼロ!!
炭鉱住宅の廃墟もあまり見受けられませんでした。

 

と、言う事で夕張中心部の本町方面に移動!!

 

と思いましたら文字数制限に掛ってしまう様子。
後半に続きます!!