面倒の中に自分が見えるのだと思う。 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

めんどくさいことや、手間のかかることの中に、その人なりの創意工夫があり、その人のやり方だったり、「味」だったりが、あるはずで、


便利な世の中になって、

面倒な工程は省かれ、

なんでも、初めからできていたりして、

工夫も味付けも、初めからされてるモノが多くて、


だからかな、

自分が分からない、という、

そんな悩みが増えたのかも知れないと、

ふと思った。(それが全ての原因では無いけれど)



悩んだり、工夫を凝らしたり、する工程が無い分、「私ならこうする」

が、分からなくなるのだろうと思う。



人っていうのは、きっと、

なんらかの問題や、ややこしいことや、手間のかかることの中で、自分なりの創意工夫や、自分なりの解決をしていく中で、「自分」というものを、感じられるイキモノなのだと思う。



どうも、そんな気がする。



きっと、そうだと思う。



それが、全部じゃ無いけれど。