心が軽くなる。 | ピコニコラの屋根裏部屋〜植物療法と日々のこと。

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日々の徒然、感じたこと、何でもない話、生きること、よもやま話。

こんにちは。
いつも訪ねて来てくださってありがとうございます。


今日は良いものを読んだよ。

虐待は事故と同じ。
事故にあっただけだから、自分が悪いわけではない。
自分や、運命を受け入れることは簡単じゃないけれど、励みになる言葉だったのでブログでシェアしたくなりました。

『人生は誰かのものでもなく
自分で作っていくもの』

ハンデがあっても、ヘンテコな部分があっても、それが自分であり、宝だね。
そうだそうだ。



昨日の入道雲が、とても綺麗でした。

写真の左上に小さなハートを発見♡



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以下コピペです↓


【ハンデは宝】

〇〇のせい

人はすぐに
誰かのせいにしたがります

特に親との関係は
いつまででも引きずる人がいます

自分がパニック障害になったのは
親のせい

自分が人を愛せないのは
親のせい

自分が世間とうまくできないのは
親のせい

親が自分を愛してくれなかったから
私はまともに育たなかった

大人になっても
いまだに親のせいにして
生きている人がいる

楽なんです

誰かのせいにして生きるのは
自分は悪くないのだから
なんだって言えてしまう
 

 
 

私の知り合いにこんな女性がいます

小さい時
実の父親に目をつぶされ盲目になり
腕を折られ片手が使えなくなり
母親は庇うことができず
彼女は施設に保護され
父親は傷害罪で逮捕

養護施設で育った彼女は
指圧師の資格を取り
片手のゴッドハンドと呼ばれるまでの
人気指圧師となりました
(今は引退して主婦をしています)
 

そんな彼女はいまは
結婚もして
幸せな家庭を作っています

私『親を恨んだことはないですか?』

彼女『虐待で苦しむ子の多くは自分には価値がなく
生まれてこなければ良かったという自己否定です。
他の子と比べて「不幸である」というレッテルを
貼られることです。
これは事故なんです。交通事故と変わらないんです。たまたまそれが車ではなく父親だっただけ。
車がぶつかってきたのは自分のせいではないでしょ?
親からの虐待も同じです。
私は何も悪くない。ならばこの現状もけして
悪いことではないのです。親を恨んだところで
目が開くわけではないのだから』

私は黙って彼女を抱きしめました

彼女はこう続けました

「人は誰かのせいにした時に
生きながら人生を放棄してしまうのです。
私は悪くない。あの人が悪い、ではなく
私は悪くなければ誰も悪くないのです』

お子様ふたりと旦那さまと
幸せな家庭を作ってらっしゃる

『普通の幸せ』を
送ってらっしゃる

私は悪くない
だから
この現状も悪くない

目は開いていた方がよい
両手は使えた方がよい
親からは愛された方がよい

でも
そうでなくてもよい

理屈では
そうわかっていても
実際に同じ目に遭った時
人はなかなかそう理解できないものです


彼女のように
生きれるかしら
 
 

 

下の子が
先月成人したんです、と
メール(音声)をくれました

私のブログを
点字に変換して
読んでくださる読者さんでもあります
ありがたいことです

『人生は誰かのものでもなく
自分で作っていくもの

身体的なハンデがあっても
このことは私の宝なのです

何があってもだいじょうぶ!

これを教えてくれたのは
ぴこさんです

ありがとうございます』

そうおっしゃってくださいました

私は涙がとまりません

ありがとうございますは
私の方です

本当にありがとうございます。

引用元

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こんなふうに思えるようになるには簡単なことではないかもしれません。
けど、とても勇気を頂ける言葉でした。

読めて良かったな。