正しさよりも真っ直ぐに。
自分の心からの気持ちを大切に出来ますように。
例えそれが情けなく醜いものであったとしても
そこには真実があり、真実であるということは、自分にとっての光であると思うのです。
正しそうな耳障りのいい言葉は
もうあまり聞きたくもないし
「正しさ」も「よくなる方法」も私を疲れさせる。
ぴっかと光った嘘のないまっすぐな気持ち。
無理をしないのではない。
無理やりをしない。
どうも信じがたい。という時に
無理やりをしない。
信じがたいなら信じがたい。そのままの気持ちそのままでいい。変える必要もない。
信じがたいのに
信じたり信頼したりするのはなぜだろう?
信じたり信頼したりする方がいいという誰かの教えだろうか。
それとも、
信じることができない自分はダメな人間だと感じるからだろうか。
ダメな自分を、恐れているのだろうか。
だとしたら
それは自分の気持ちから離れていく行為であり、
自分自身の奥深く、サンクチュアリは消えていく。
そのままをそのままに見つめている。
そうすることで私のサンクチュアリーは守られる。
“私がそう感じた”
その事実を私が見守っている。