続きです。
2014年1月14日
-----
そこには、
「運命の受け入れ方」という本について書いてありました。
その本の一部と、そのことについて書かれた文章は、読んだ当時の私の気持ちに、とてもマッチした文で、ホッとしたのです。
以下
-------------------------------------------------------
●私に親はいない。心理的に健康な人が親からもらえたものを、私はもらえなかった。私は一人で生きる土台をつくらなければならない。
●「神の子」として生きる決意をしなければいけない。
●樹木のなかに命を育む「母なる木」を見つけて祈ってみよう。
まず、「自分に親はいなかったのだ」ということですが、たしかに、肉体を創って育ててくれた親はいました。でも、精神的に健康に育ててはくれなかった。それどころか、むしろ苦しめられ痛めつけられて育った。でも、それをそうとわからなくて、誰もそうと教えてはくれなくて、長いこと苦しんできた。
だから、普通の人が思う「親」は、心のなかに最初から存在しなかったのです。
それを恨んでも悔やんでもしかたない。自分で自分を立ち上げていくしかないのです。
神の子というのは、けっして尊大な意味ではありません。自分を可愛がり、しっかり守り育ててくれる父や母としての存在はなかったけれど、でも、私は現にここにいるわけです。
ということは、無から有は生じないから、どこかに私は帰属する(グループに存在している)はずなのです。
それはきっと、目に見えないけれど、あまねく存在するものではないか?
私は親を通じて社会や人とつながることはできなかった。けれど、神様とならば、姿形はないけど、宇宙の生命の源の象徴としての神となら、つながっているのではないか? そういうふうに考えることにしたのです。
「母なる木」については、私も当時、似たような考えを持ちました。
言葉を発しない自然界の植物に魂の救いを求めるのは、当時ははやっていなくて、私は少しどうかしているのかなと当時は思っていましたけど、最近こういうワーク?も広まってきつつあるようですね。
考えてみれば、植物というのは、衣食住すべてにおいて、人間を助けてくれているものです。
(衣=麻や綿。食=野菜、果物、穀物、芋、木の実、飲み物。住=柱、畳など)
それが何百年も生きている大樹であれば、大きく包まれる、癒されるような気持ちをもっても不思議ではないですね。
たった今、私たちが生きて呼吸している酸素を作ってくれているのも、植物です。
また、スピリチュアル?な意味で、長く生きている木が、人と心を通じ合わせることがある(精霊?)ということを、わりと近年になってですかね、言われはじめたので、それもありなのかな?(^^)と思います。
でも、私には妖精やそういうものは見えないので、よくわかりません。
加藤先生が書かれているように、木に触れて話しかけても、弱く癒される感じはありましたが、返事が返ってこないので物足りなかったです。(^^ゞ
ちなみに、大樹に向かって、弱く小さな?自分を守ってもらうようにお願いをするのは、英米人のほうが馴染みがあるようです。
"knock on wood"という慣用句にその気持ちが現れています。
これは不吉をさけるおまじないで、その場にある木製の机などを軽く叩いて音を出します。
-------------------------------------------------------
引用はここまで。
この文章を読んでなんだかホッとしました。
「私は親を通じて社会や人とつながることはできなかった。けれど、神様とならば、姿形はないけど、宇宙の生命の源の象徴としての神となら、つながっているのではないか? そういうふうに考えることにしたのです。」と
私も同じように考えたことがあったので、
そう考えても良かったのだと安心したのです。
そして以下のこんな文章にも、きゅっと固くなっていた心がほぐれていくのを感じました。
それは
“心療内科の先生から「毎日鏡を見て『私は自分が好きだ』と100回唱えなさい」とアドバイスをもらいました。その通りやってみましたが、実感がわきません。”
という質問に対しての答えでした。
ちょうどアファメーションについて悩んでいたので
助かりました。
以下(途中、強調してる部分は私が勝手にしたものです)
-------------------------------------------------------
「アファメーションは、セルフエスティーム(自己肯定感・自己評価)を高めるために、いい方法です。このメルマガでも、アファメーション(自己肯定のための自己暗示・深層自己説得)について書いてきました。
でもね……、何でもそうですが、ふさわしいやり方とか、その人その人に合わせた、さじ加減というものがあるんですヨ!(^^)
アファメーションは、効果がないならまだしも、無理に強制して続けると、潜在意識の抵抗にあい、裏目に出て、逆に新しい症状が体に出てしまう、トラブルの可能性もあります。
なんというか……、何でもそうですが、確認や下準備が大事だし、必要なのです。
このアファメーションがストレートに効く人もいるでしょう。
でも、いま現在元気がないのに、他の心理療法的なことを何もしないで、ただ、
「私は自分が好きだ」と繰り返すことで、自分が好きだと本気で思えてくるというのは、少し無理がありそうです。
・・・・・中略・・・・・
傷ついて落ち込んでいるご本人も、心療内科のお医者様も、気づいてくださる
といいのですが、「患者」さんは、もともと生まれてきたときは健康だったのに、長年の無理がたたって、精神的・心理的なハンディキャップを背負っている状態なのです。
ほとんどの赤ちゃんは、生まれてきたときには、精神的に健康なのです。
でもその健康状態がうまく保たれるかどうかが、環境によって大きく左右されます。
きのう生まれてきたホヤホヤの状態で、
自分は価値がないダメなやつだ、愛情や世話を受ける権利はないと
自己嫌悪に陥っている赤ちゃんはいません。
重大な病気や障害がないかぎり、親に遠慮して、ミルクを欲しがらなかったり、
おむつが濡れても全然泣かない赤ちゃんはいないはずです。
自分は生きるに値する、世話してもらって当然だ、愛情をかけてもらえるはずだ、
と思っています。
普通の親は、その考えに答えてくれます。でも、無視したり否定したり親もいる。
そんなことをされると、子供は自分には世話や愛情や関心をもらう資格がないと、
かわいそうというかいじらしいというか……、自分で自分を裁いてしまいます。
だから、心が健康なままで育つかどうかは、大人しだいなのです。
これは生まれ落ちた環境によるので、もう運といっていいでしょう。 (^^;
「私は自分が好き」と唱えてその気になって元気になれる人というのは、精神的にもっとも良好な健全な状態の人だと思います。
もともと、その言葉に触発されて反応する部分、つまり、セルフエスティーム(自己評価・自分がかけがえのない存在だという気持ち)が、
しっかりと土台としてできているのです。
この精神的な基礎である土台、情緒の安定、子供が自分を好きになれる部分は、親が子供を可愛がって支えてはじめて、子供の心の中に作られていくのです。
でも、心療内科を訪ねる人の多くは、この元気を触発されるはずの反応部分、土台や、反応する部分が、ちゃんと形成されていないようです。セルフエスティーム(自己評価・自己肯定感)が育つどころか、まだ芽も出していないわけです。
私たちは、心の健康な人と、病んでいる人を区別しなければなりません。それは差別ではなく、しっかりと認識したほうが、よけいな圧力をかけないですむからです。
車体が低いバスでないかぎり、観光バスなどに乗るときには、高齢者には踏み台が必要ですよね?
それと同じく、セルフエスティームが低い(自己嫌悪・劣等感・疎外感・寂寥感・孤独感などに悩む)アダルトチルドレンも、心の体力が弱っている状態なのですから、いきなり高いところに飛ぼうと頑張る前に、間にひと呼吸、ワンステップ置きましょう。
--------------------------------------------------
私は今日も謎が一つとけ
安心出来ました。