東淀川区と淀川区の境にございます
淡路近辺に仕事で立ち寄りましたので
ひと駅梅田よりの「崇禅寺」に
途中下車しまして、細川ガラシャの
お墓にお参りし、ついでwに
ほぼ同じエリアで地下鉄堺筋線「柴島(くにじま)駅」まで行き、
柴島城跡を訪ねてみました。
しかし、
・・・くにじま・・・ 地元の人しか読めませんw
阪急京都線と大阪市営地下鉄堺筋線は
淡路駅で合流していますので、
このように併走するごく一部の地域が
あります:*:
崇禅寺駅から西すぐに崇禅寺があります(こんがらがる~ww)
超立派なお寺さんです
このご本堂の奥に昔からある
墓地がありまして
そこに祠等もあり一角に
細川ガラシャのお墓がありました。
ここ以外にも墓所がありますので
分祀なのかもわかりませんが
丁重にお祀りされておられました。
で・・・
気になったのが同じような形で
左側に祀られて折られるお方…
「足利義教 首塚」
詳細はコチラのウィキでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%95%99
室町幕府6代将軍ですが、
功罪多々あった人のようで
惨殺されているというお方・・・
が、またなんで並んで祀られているのか?・・・
両方に手を合わせ御参りし崇禅寺を後にしまして
柴島城跡に向かいます 超近くですな
柴島城があった柴島地域は、近隣に現在も
「中島(東中島や西中島ですね)」という地名がありますように、
中洲のような島がありその一部だったらしく、
戦国時代終盤から江戸初期・大坂夏の陣の頃までは
どうやら同じような地形で存在していたとの事。
中島・柴島は、下の図・・徳川軍の北面陣地の背後あたり・
地図上部の川沿いに『長柄村』というのがありますが
おおよそその辺りに位置していたようで、豊臣秀吉が
淀川の修復や「運河としての新淀川」を作り毛馬辺りで南下
していた淀川の流れを大きく変えたのですが、ちょうど
位置的に流れを変えた地域にありますので、海運などを
考えても重要な位置にあったのでは?と想像します。
◆柴島城について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E5%B3%B6%E5%9F%8E
実際に柴島城があったのは、
現在の柴島中学校の敷地辺りと
調査でわかっているようですが、
碑はずいぶん北側にありました。
傍の柴島神社もかなりの歴史が
あるようですね。
帰りに御参りさせていただきましたが
季節柄梅の花が咲いておりました
少し春を感じほっこりいたしました