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🚉 ③住宅街の戦前物件と茶沢通りの夜 

 

 

 

 

 

矢倉沢往還は、江戸時代に盛んだった大山詣でに利用された街道で、江戸庶民の行楽コースとして賑わいを見せていた

 

時代が変わり神社仏閣への参詣がレジャー的な意味合いを失くしたあとも、三軒茶屋で津久井道が分岐していたため、相模と江戸を結ぶ交通の要衝であり続ける

 

それは鉄道の時代になっても続き、渋谷と溝の口を路面電車の玉電が結んでいて、三軒茶屋から分岐していた支線の高井戸線は、専用軌道だったおかげで世田谷線として現在も運行されている

 

 

しかし、交通の主役が鉄道から車に変わると玉電は交通量の多い国道を通っていたため「じゃま電」などと疎まれ廃線にされてしまった

 

三軒茶屋駅から少し離れたところには、国道に上書きされなかった矢倉沢往還の旧道が残っており、その通りは商店街になっていたが、玉電の電停が廃止された後は緩やかに衰退に向かう

 

 

そして代替わりしなかった店舗は次々と取り壊されて宅地化の進行とともに、住宅街に上書きされてしまった……

 

が、そんな住宅街のなかに、戦前からの商家がわずかに残されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは矢倉沢往還から野沢方面に向かう商店街が終わった地点から、さらに数十メートルも行ったところに残っている出桁造りの「中島屋」という酒屋である

 

以前は、この並びにも錆び錆びの板金製作所が残っていたが、数年前に取り壊されてツマラナイ建て売り住宅にされてしまった

 

 

しかし「中島屋」の横の細い路地を挟んだ先には……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも戦前の建造物だと思われるこんな建物が残っている

 

簡素な入り口の造りを見ると商家というよりも家内制手工業の町工場といった雰囲気だが屋号を記した看板などはなく、ガラス越しに見える屋内には、うず高くガラクタが積まれていることから、すでに廃屋化しているような雰囲気だ

 

 

この先は、完全に住宅街になってしまうが、この通りから少しズレたところにも

 

 

 

 

 

 

 

 

「えびすや」という屋号の看板が残された戦前物件だと考えられる建物が残っている。僕がこの建物に気がついたときには、すでに廃業してしまった後なのか、営業している姿を見た記憶はない

 

このあたりまで来ると、もはや三軒茶屋駅の最寄りの場所とは言いがたく、おそらく玉電の野沢電停の最寄り商店街の名残なのではないかと思われる

 

 

これで矢倉沢往還の旧道はだいたい紹介したので、いよいよ次は三軒茶屋の繁華街の中心地に向かうが、その前にこの町の商業地区について軽く説明しておくことにしよう

 

 

 

 

 

 

 

 

三軒茶屋の商業地区は、矢倉沢往還と津久井道の分岐点を中心として展開しているため、通常の駅前商店街などとは異なり複雑なかたちで広がっている

 

今まで紹介してきたのが地図の下側の矢倉沢往還の旧道であるが、メインとなるのは津久井道と国道に挟まれた三角地帯、そこから下北沢方面に分岐する茶沢通り、そして祐天寺方面に向かう栄通り商店街である

 

 

このうち茶沢通りと栄通りは、戦後になってから発展した商店街で、戦前物件が残っているのは、矢倉沢往還と津久井道沿いに限られる

 

 

 

 

 

 

 

 

これは世田谷の郷土資料館にあった玉電が開通した頃のジオラマで、渋谷方面から三軒茶屋の中心地である矢倉沢往還と津久井道の分岐点を見た構図である

 

この時代だとまだ高井戸支線(世田谷線)は開通しておらず矢倉沢往還を通る玉電だけが走っているが「Y」字の分岐点は、現在もさほどかたちを変えずに残っている

 

 

変わってしまったのは周囲の風景で、出桁造りや茅葺き屋根の建物の変わりに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭上に覆いかぶさる首都高とビルが並ぶ現代的な大都会になってしまった

 

世田谷郷土資料館にあったジオラマを見ると、現在はジオラマの右側から分岐している下北沢に続く茶沢通りが存在していないことに気がつくが、それは通りが敷設されたのが戦後になってからのことだからである

 

 

茶沢通りは矢倉沢往還と津久井道の分岐点から代沢十字路あたりまで店が並んでいるが、まずは駅から離れた代沢十字路方面から見てゆく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この通りで僕がよく通ったのは、こちらの味噌・醤油・漬物の専門店「坂本商店」である

 

面倒臭いので今の僕は自炊をしていないが、かつて料理が趣味だった頃は、味噌や醤油にもこだわりがあったのでスーパーなどで買ったりせず、この店で九州の麦味噌と信州の味噌を買ってブレンドして使っていた

 

 

店内は全面がコンクリート打ちっぱなしのタタキになっていて、そこにズラリと味噌樽が並んでいた光景を、今でもハッキリ覚えている

 

ここ最近は店が開いているのを見たことがないので、どうやら廃業してしまったようで残念である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茶沢通りは新しく敷設された道路なので、商店街の面での展開はほとんどなく、通りから外れると住宅街になってしまう

 

並んでいるのはツマラナイ建て売り住宅ばかりだが、それでもわずかにこんなモルタル外壁の古いアパートなどが残っていたりする

 

 

唯一の例外がセブンイレブンのある交差点から三宿方面に向かう「太子堂中央街」で、そこは賑やかな商店街になっている

 

といっても、やはり衰退傾向が強く僕が高校生の頃は、その通りからさらに分岐している「下の谷商店会」という細い路地の商店街があったが、何年か前に取材したら、ほとんど滅びてしまっていてショックを受けた

 

 

ーーなどと書いていたら当時の記憶が甦ってきた

 

そういえば「太子堂中央街」が尽きるあたりにも小さな古書店があったので、前々回の記事に三軒茶屋には古書店が8軒と書いたが9軒の間違いだ

 

 

もうひとつ思い出したのは、商店街を抜けて三宿に向かう通りに出たところにある屋敷のガレージに、おそらく戦後間もない頃に輸入されたアルファロメオ6C2500という、世界的に見ても極めて貴重な車があったことだ

 

残念ながらフレッチア・ドーロのようなスーパースポーツではなく、ピニンファリーナ製のクアトロポルテだったが、現在の相場は3000万円ほどだ。クラシックカーのイベントなどで見たことがないから、解体されてしまったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻して……茶沢通りに並んでいる建物は、戦後型の看板建築が多く風景は昭和の頃とさほど変わっていない

 

しかし、建物は古くてもコジャレた飲食店になっているパターンが多く、またこの通り沿いだけで5軒も古着屋がある。ちなみに、もっとも古着屋が多いのは栄通り周辺で、そちらは9軒もの古着屋がある

 

 

 

 

 

 

 

 

もうひとつ特徴的なのは戦後になってからの通りなので、各所でそれ以前からの細い道と交差しているため、こういった新道パターンの定番である鋭角交差点のトンガリ物件も各所で見られることだろう

 

ということで次回は、さらに三軒茶屋の中心地に近づくが、そこには三軒茶屋のもうひとつのクライマックスが待っている

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

†PIAS†

 

 

 

 

 

 

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