うちのダンナは冒険家〜招福ハレルヤ ウタ唄いPiapiのブログ〜 -31ページ目

うちのダンナは冒険家〜招福ハレルヤ ウタ唄いPiapiのブログ〜

うちのダンナは冒険家 そして私はウタ唄い
招福ハレルヤ というバンドをしています。
合言葉は Love× Laugh→Peace らぶらふぴーす

2011年3月29日のFB記事より。
こんなこと感じていたんやな。


さなぎから蝶へ

もっとひらひらとみんな自由に動き回ればいい。

長い間、殻に閉じこもって哲学していたんやから。

 

シェルターから飛び出してはみ出して

好きなことを好きなようにしたらいい。

 

みんな覚悟したはずやもんね。

 

執着したってしょうがないことにも気がついたかもしれない。

 

日本列島運命共同体

お金の価値観も変わった?

 

私のもの、あなたのもの、そんなことはもうええんちゃうやろか。

 

困ってる人がいたら「つこてー」て気前よくあげたらええ。

 

たとえば、泥棒する人がいたとしても

困ってたんたな。助かったんやな。って思えるわ。

 

そのうち、お金という概念もなくなって

それぞれの人が自分のできることでお返しするという

「能力」がお金のかわりになればいいわ。

 

みんなが大事に共同で使う場所や物

誰のものって概念もなくなって

みんながそれを大事にするねん。

 

なんてええ世界やろ。

 

確かに日本の大半の人は気付いているんだろうな。

 

これが最終的には素晴らしい結末を迎えることを。

 

たまたま「結婚について」とか「結婚とは」とか「結婚しない」とか
いうタイトルが目についたので書いてみます。

結婚かあ。
 

私は1度目の結婚は23歳。
早かったな。
23歳って子供やったと思う。


気がついたら結婚することになっていた。
あまりに色々なことがありすぎて
何しろex夫は、当時かけだしの噺家さんだったもので
私も毎日が必死すぎて
全く余裕がなかったなあ。

ex夫は当時、内弟子を明けたところで
仕事も駆け出し。


当時のことはもう30年以上前のことで
既に記憶が薄れていて
忘却の彼方へと消え去る寸前なのだけれど
一生懸命に思い出すと、
とても勉強家な人でずっと本読んでいるか
落語の練習しているか
映画観てるか、音楽聴いてるか
その仕事に対する姿勢は今でも尊敬しています。


私が音楽をすることに対しても
全面的に応援してくれていたし
どちらかというと自慢に思ってくれていたのだと思う。

しかしながら
わざと悪いこと(浮気とか、お酒でグダグダになるとか)をして
本来真面目な気質であることを消そうとするというのかなあ。
なんかそんな感じだった。

それでも子供が生まれる前までは
落語会なども必ずついていきお手伝いをして
同期の芸人さんや
先輩の芸人さんとお話もできたりして
毎日楽しかった。

私は結婚するまで、
居酒屋などお酒の席に行ったことがなくて
そういうことが新鮮やったんやなあ。

 

色々変わってきたのは息子ができたのがわかった時から。


「親になるのが怖い」と言って
家に帰ってこなくなったのです。


別に女の人を作ってそちらの家に行くようになったんやね。


芸人さんあるあるみたいな。笑



初めての子育てだというのに、
私は近所に知り合いもなく
ましてや若すぎる私にはママ友なんて一人もいない。


今だったら子育て支援の会みたいなのも探せただろうけど
当時はネットなんてない。


子育てに関する雑誌もほとんどない。


情報も入ってこない。


連絡はポケベルだから都合悪いと電話はかかってこない。



※(あとでここに戻る)
夜泣きする息子をベビーカーに乗せて
私も泣きながら夜中、放浪したもんだな。


心身ともに疲れ果ててた。

そんな感じだったから
何かに集中したくて
掃除しながらもCDかけて大声で歌ったり
息子をおんぶしてピアノ練習したり
余計なことを考えないように
作曲に没頭したり
自分のことに専念していった。



ある日、私も怒りが爆発したんやろね。


体温計を振り切るほどの高熱が出てね。
あんなの53年生きてきてあれ一度。


息子が泣いてるのに起きれない。
体が動かせなくて電話もかけられない。
携帯なんてないからね。
水も飲めないし
ギャン泣きの息子もどうにもできない。

夜9時とか過ぎてたと思うけど
電話が15分おきくらいにかかってくる。


きっと実家からだなあと思っていたけど
出ることができない。


実家は当時堺の鳳というところで
私は大阪の都島というところに住んでいた。
車でも1時間はかかる。

これはおかしいと思ったんでしょうね。
両親が夜中にかけつけてくれた。
私はほっとして
きっと安心して気絶したみたいになってたのかな。
そこから先が思い出せない。

実家につれてかえってもらい
往診してもらったのかな。
そこから数日高熱は続いた。
急性の乳腺炎ということだったけど
胸は痛くなかったので
怒りの熱やったんやと思います。

なぜ怒りの熱かというと
ex夫からその直前に
「大事な話があるからそこに座れ」と言われ
彼の口から耳を疑うような話が。

「おまえやったらわかってくれると思う」

「・・・・・・」


「好きなやつができた。

お前のことも好きやけど
お前は一人でも生きていける。

彼女は放っておかれへん。
せやから3人で一緒に住もう」

 

「は〜???意味わからん」



私、元々、浮気とか全く気にならなくて
知ってても知らんふりとか全然できたし
芸人さんやからまあ仕方ないという割り切りもあったし
ともかく家族を護ってくれるなら何でもいいと
思っていたんよね。


子供が生まれる前に
私はレポーターの仕事とかしていた。
私が生放送があった日、
仕事がはやく終わって
「今から帰るけど何かいる?」って電話したら
声が焦っていて
家につくともぬけの殻で
そのもぬけの「まみむめ」は
思い出すのも悲しくなるほどの状態だった。
使ったあとの・・・
ティッシュのかたまり
ぐちゃぐちゃっとなったシーツ。
私の布団使うな!!


そういうこと「も」数々あったのです。


それでも芸人さんやし
本気でなければ仕方ない。


割り切れていたんですよね。


だけど今回は事情が違う。
一緒に3人で住むって何考えてるねん!!
息子はどうなるねん!!

彼女の方から手紙がきた。
「私は彼を愛しているので息子さんは私が育てます」

 

アホか!犬や猫の子とちゃうねん!!

 


堪忍袋の緒が切れるとはこのことやね。
生まれて初めての怒りの感覚。
修羅ですよ。修羅。

その流れで熱出したんやと思う。
(※に戻るとわかりやすい。笑)



ex夫が他の女性の家に行っている間に
家の中空っぽにして実家に強行引っ越しをした。

そのあたりはもう憶えておきたくないからか
時系列もぐちゃぐちゃでほんと記憶が薄い。

実家に戻ってからどうしてたのかなあ。


息子みててもらって
働きに行ってたな。
一日中働いてた。

実家に帰ると毎日のようにex夫がうちに
「あいつとは別れたから戻ろう」と説得に来た。

よくそんなんで「子供育てる」とか言えたよな。と
その時もう怒りの頂点に達していました。


私は強行突破した引っ越しのあとも
バンド活動だけは続けていた。
「ぴよぴよ」を結成して
デモテープを送り
レコード会社の人がライブを見に来てくれたときに(八尾のSILKYHall)
そこで新人育成契約にサインするとともに
離婚届の承認に印鑑押してもらった。
契約も決まったということで収入も決まって入る。
家庭裁判所にすぐ行き親権確保。
「養育費をもらわないかわりに、会わないでほしい。」

シングルマザーは強いよ。メンタル。
ちょっとやそっとでくじけへんからね。

そして息子が2歳のときに
らんま1/2というアニメのエンディングテーマのタイアップが
決まったと同時にメジャーデビューが決定。
当時は子持ちでデビューとかなかったんじゃないかな。

1度目の結婚の幕を降ろし、
メジャーデビューの幕を上げることになったのでした。



ex夫はその後、再婚し、離婚。
息子が20歳のときに再会。
この一連の話をしてみたら
「オレ、そんなひどいことしたんか。おぼえてへん。
ほんまにひどい男やったなあ。」
と、笑い話になっているので、
そのときの怒りの感情は、もう流れてありません。
現在はたぶん幸せにやってはるとは思いますが
なぜか息子とも連絡を断っているようです。

風のうわさで何しているか入ってきます。
芸人さんとしては、素晴らしい人やと思います。
体に気をつけて元気でがんばってほしいと思います。

私も現在は2度めの結婚をし
日々楽しく暮らしています。


あ。よく考えたら
私のex夫の義父も、元夫の義父も
私の父も、同じ高校の出身だ。
恐るべしシンクロ。




 

 

と思うことが常々ある。


「よかれ」と思っても相手に通じなければ
それは思いやりではないし
ただの「おせっかい」になる。

100人いや、10人、まわりにいたとして
それぞれ育ってきた環境や経験してきたことも違うわけだから
これが国民となると大変なことだと思う。

何かをおすすめするときでも
人に何かプレゼントするときでも
自分が「よかれ」と思ってするわけだし
逆に良くないものは勧めないのだろうと思う。

でも、思いやりの手前には「経験に基づく」ということがある。
痛い思いをしたことがない人には
「痛い人の気持ち」はわからないし
父親がいなくて育った子供には
「父親」が何かもわからないし
そこは想像でしかないんだよなあ。

何不自由なく育ってきたと思われている人でも
不自由なこともあるだろうし
不憫だ不憫だと育ってきた人も
心はとても豊かで幸せかもしれない。

何をもって思いやりというのか?
色々考えた結果、
私は相手に「どうしてほしい?」って尋くのが一番かなって思う。

思いやるに似ているけれど
「気が利く」人でありたいといつも思う。
気が利くというのは、先が読めているということだから。
それは普段のルーティーンなことの中で観察していればわかること。
「気が利く」ことは
思いやりの一種でもあるかもしれない。

例えばちょっとしたことだけれど
顔を洗っていたらタオルを出しておくとか
そういったことね。

話はそれるけれど
政治の世界にそうやって思いやりを持ってできる人は
一体どのくらいいるのだろう?
子育ての大変さ、介護の大変さ、
生活が困窮している人たちの不安、
また、一般的に健常とされない人たちの日々の苦労と努力など
国会議員の全員がそういう疑似的にでも
経験する機会があるといいのになあ。
自分が当事者となって経験したならば
また変わるだろうと思う。

結局は愛しかないな。愛な。
愛ってなんやろうな。笑

あ、それ
私の髪の話です。

50過ぎるとね
髪の内側がどんどんと白くなってきて
ああ、これはもう白くなるんやね
無理に黒く染めるより
いっそ、脱色や!
ということで
普段化学薬品嫌いのワタシですが
半年ほど前に髪の脱色をしたんですよ。

そしたら
毛根が刺激を受けたのかして
髪がだんだん黒くなってきてね
今、白と毛根黒と中途半端な茶色で
なんともいえない感じなんです。

まるで今の政治の世界みたい。

白黒はっきりさせたいんやけど〜。
中途半端って一番いやや〜。

そんな流れで
政治の話ですけど
山本太郎氏は
遅かれ早かれ日本のTOPになると思います。
命狙われなければ。(それだけ本当に気をつけてほしい)
水をよく飲んではるけど
あの、コップに入れる水も本当に気をつけてほしいと思う。

「あれ?なんか状況かわってきた?太郎についとかなヤバイ?」
という企業や人がどんどんとひっくり返っていくでしょうね。
オセロのように。
若い人たちが少なからず政治に興味を持ち出して
「あら、ほんまに今の日本ヤバイやん」てなっていったら
ネットやSNSに長けている若者たちの宣伝力やアイデアに
我々より年上の人たちはきっと太刀打ちできないでしょう。
少なくとも10年後の日本は光がさすかな。

そういう意味でも
今回は落選でも
また面白いやり方で
投票数を増やしていくでしょうね。

それにしても
本当によく勉強してはるなあ。太郎氏。

44歳ということは青春時代に
アナログからデジタルに移行していった世代。
そういうことなんよね。
やり方を変えていかないとね。

そういう時代が来てるね。やっぱり。
令和、黎明。夜明け。
 

はい。そうなんです。
子供の頃から私、植物の種を見たらその先が知りたくなって
なんでもかんでも植えてしまうんです。
今も、食べたあとの野菜や果物のガラは
そのまま縁側から庭にぽ〜〜〜〜い!!

庭のあちこちから色々な芽が出ています。
いまも、かぼちゃなのかスイカなのかはたまたいただきものの
高級メロンなのかわかりませんが
育っております。
収穫ができたら報告しますね。


ところで、先日、高級マンゴーをいただきました。
普段、指をくわえて横目で眺めているだけの
高級マンゴーです。
フィリピンに行ったときはいくらでも食べることができた
マンゴーですが
日本ではまだまだお高いですね。

みんなで分けていただいたのですが
マンゴーの種、細長〜い平べった〜いあの種。
白い皮に覆われていて
「あ、これもしかしてそら豆と同じかも」と思い
硬い種の白い部分を包丁で切れ目を入れてみたら
予想通りに中から茶色い皮に覆われた
種が出てきました。
嬉しいものですよね。
大変なことを発見したかのような感じでした。笑

で、やっぱりそうなると
育てたくなりますよね。

やってみました。
ペットボトルのフタを使って
水栽培みたいに。

今で約2週間くらいかな。

 

 

 

 

 

 

 

こんな立派に。
高さ15センチくらいです。

この子には「groovin(グルーヴィン)」と名前をつけました。
葉っぱが♪みたいだしノリがよさそうだし
なんか大船に乗るような感じで。

さあ、これから夏だからいいけれど
このさむーい富田林の越冬できるかな?


また時折、報告しますね。

Keep on groovin!!!

私は石鹸にはこだわりがあって
息子(29歳)が生まれた時をきっかけに
無添加の石鹸を使い始めた。
当時はそういう石鹸を探すのがとても大変で
スーパーにはなかなか売っていなかったけれど
ふきんを洗う用の「純石鹸」が石鹸素地99%だったので
それをおろし金で削って
アロマオイルを入れて
(アロマも当時はまだまだオイルを手に入れるのは大変だった)
好きな香りをつけてハーブなども入れて再び固めて使っていた。

最近ではとても良い香りがするオーガニック石鹸なども販売されてて
色々使ってみたりしている。
お気に入りは
Nubian Heritageのアフリカンブラックソープバー
か、マンゴーバターか
ヘンプオイルが入っているドクターブロナーの
マジックソープ(Roseの香り)
仕事のときはお化粧をするけれど
よく泡立てて2度洗いすればクレンジングも必要ないし。
どの石鹸も一つ500円以上はするもの。

そんなある日、(つい先日のこと)
いつも使っているマジックソープがもう小さくなってきて
夫の実家からもらってきた「牛乳石鹸の青箱」をお風呂で使った。


そうすると・・・

 

完全にノックアウトだ!


 

なんだこの懐かしさ。

 

 

そうなのです。
昭和40年生まれの私ですが
きっとどこのおうちでも
牛乳石鹸良い石鹸♪
使っていたと思います。

 

おばあちゃんちでお風呂入るときに
100まで数えるのがいやだった香り。

唯一、ママを独り占めできる時間の匂い。

弟とお風呂で遊んだ匂い。


パパに色々な歌を教えてもらった匂い。


あらゆることが思い出されて
お風呂で体を洗いながら
気がつくと涙していました。


どんな石鹸よりも
思い出がつまった石鹸の香り。

それが牛乳石鹸の青箱だったのです。


この香りにつつまれると
今はもう戻ることもない育った家族を鮮明に思い出せます。


しばらくはお風呂に入るたびに
あの狭い追い焚きのガスのお風呂を思い出すかな。


牛乳石鹸 良い石鹸♪


今はもう幻の家族を思い出せる石鹸でした。


おしまい。