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ピアノ途(みち)

自宅と大学でピアノ指導に携わっています。杉並区でピアノ教室を開いています。最寄は中央・総武線(・東西線)阿佐ヶ谷駅。西武新宿線鷺ノ宮駅。レッスンで使用するピアノはスタインウェイです。

審査をしました。


バッハをどうやってアピールするのか、考えさせられました。


バッハは4期を弾くコンクールでも、入試でも、3次審査くらいまであるコンクールでも課題としてよく出されるポピュラーな作曲家です。


いろいろな解釈版が存在するため、それぞれアピールするポイントが異なっています。

自分自身は和声感が生かせていれば、強弱が逆転していてもいいのではと思うのですが、先生によっては自分が演奏した版以外の解釈版には違和感を覚えるようです。


また別な先生は各声部がずれて進んでいるので強弱はずれるはずなのに同時に強くなってしまっている演奏に強い違和感を覚えるようです。


すべての先生に一定の理解が得られる演奏は難しいものですが、指導者としては追求していきたいところです。

○.○○という表記が苦手です。

人々にとって記憶から消したい嫌な日の代名詞のような気がするからです。


この日を忘れないようにとテレビで復興に関する特集が組まれていました。そのことに理解しつつも、若干の違和感を感じずにはいられませんでした。

それは被災した人の傷をえぐってしまうことではないのかなと、感じられるからです。


そうやってたくさん配信される情報とは対照的に、封印されている歌があります。

サザンオールスターズの「TSUNAMI」です。


この曲を笑顔で歌える日が来るといいという桑田さんの言葉を伝えたニュースがありました。(ヤフーニュース(出典:朝日新聞))


確かに、津波の意味は「地震や海底火山の噴火などによって生じる非常に波長の長い波。海岸に近づくと急に波高を増し、港や湾内で異常に大きくなる。地震津波。(ヤフー辞書)」というものなので、躊躇する理由はとてもわかります。

しかし、この曲の歌詞を最後まで読むと、異なる印象を受けます。被災した人を傷つける歌ではなく、むしろ、悲しみに暮れるたくさんの人の心を慰める内容では、と思われてなりません。(個人的な意見なので、批判があるかとは思いますが)


「いつか(東日本大震災の)悲しみの記憶が薄れ、この曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っている」とニュースにはありましたが、復興の象徴としてではなく、純粋にこの歌を楽しめる時が来るといいなと思います。


尊敬するピアニストの一人、ピアノ奏法について書いた著書やDVDがある井上直幸さんのお家へ行ってきました。
井上さんはもうお亡くなりになられているのですが、声楽家である奥様に演奏(伴奏)を聴いていただきました。

すごくピアノに集中できるお部屋で、音楽と向き合えた感じがしました。

シューマンの歌曲はいろいろな意味で深い洞察力が必要です。
その難しさを感じるとともに、解釈することの楽しさも再認識でき、とても有意義な1日となりました。

「イッヒ リーベ ディッヒ」のニュアンスというか解釈が、特に刺激になりました。