前にも書いたと思うけど
自分の文章が下手なのが結構コンプレックスだ。
もっと上手く書けたら良いなぁと
いつも思う。
夏目漱石と比べるのはおこがましいけど
身近な人だと静 炉巌さんには勝てない。
一時期、あの人の文章がすご過ぎて
書くのが嫌になったほど。
文章術の本も何冊か読んだことがあるが
ああいう本は一回読んだだけでは
あんまり身にもならない。
「こういう時はこう言い換える」
というような文章例が
延々と紹介されてるだけだったりするからだ。
いざ自分で文章を書こうと思った時に
その手段を駆使して書くとしたら
片手で本を開きながらとかに
なるんじゃないかな。
覚えきれんもん。
先日、藤岡藤巻のファンの方から
「夏目漱石を読んでるから
文章が上手いんだね」
とお褒めの言葉も頂いた。
何故か最近、文章力を褒められることが多い。
ただ、漱石先生の賜物かと聞かれると
それはちょっと違うと思う。
本を読むのは好きだけど
もし仮に、私の文章が読みやすいとしたら
それはTwitterやブログの効果だと思う。
中学生の頃からブログ→mixiと
ほぼ毎日投稿していたし
そのあともTwitterという140字の制限で
いかに書くか、みたいなことを
考えて投稿しつつ
またここ数年ブログを書いている。
文章の上手い下手はともかく
書くことに困らないのは
間違いなくこの趣味のおかげだと思っている。
説明的な文章が伝わりやすいのだとしたら
大学で3年間ゼミでみっちり学んだ
民法の授業のおかげだ。
(専門は経営学部だったけど)
ところで書き言葉には
「漢字を開く」
という作法がある。
例えば「恐らく」じゃなくて「おそらく」
「◯◯の為」ではなく「◯◯のため」
みたいな。
何でもかんでも漢字で書くのではなく
読み手が読みやすいように
一部の表現をひらがなにすることを言う。
公用文の場合は開く漢字が
定められていると本で読んだことがある。
一方、私の文章は漢字が多い。
出来る、◯◯の旨、お馴染み、などなど。
予測変換に出てきたのを
適当に並べてみたけれど
この辺も多分、本来であれば
ひらがなにするものだと思う。
理由の1つとして漢字が好きというのがある。
なんせ、資格に興味がないクセに
趣味で漢検2級を勉強して取るくらいだし。
小さい頃から部首を覚えるのも好きだった。
それから、この影響は大きいのだけど
Twitterの140文字制限。
漢字を多用した方が詰め込めるので
なんでも漢字変換する癖がついた気がする。
いまはちょっと気をつけている。
そんな私、小学校高学年〜高校入学頃まで
将来の夢が推理小説作家だった。
だから文章を褒めてもらえるのは
信じられないと思いつつも
内心ほんのり嬉しかったりする。