楽をすると楽しい
同じ楽
が使われているのに
楽をする
は結構ネガティブな言葉として
使われているように思っていました
楽をする🟰手抜き サボり ズルい
というイメージがつきまとうからなのかも
と思います
私がいた
全寮制の神学校で
転んで足の甲を骨折してしまったことがありました
ーカルシウムなどの栄養不足だと思います
だってかつてタクシーやオートバイにひかれても
骨折はしませんでしたから🫢ー
そして
当時のこの神学校は勉強させない学校でした
女子は
朝5時半に起きて炊事当番
授業の時以外は
学校の敷地や建物の管理などに
ほとんどの時間が割かれる
外出も許可証を提出(炊事などがあり数時間のみ)
それも月2回の決まった日のみ
雑用をすることが訓練
だったため
ー心荒んで当然といえば当然かもしれませんー
骨折した私は
ただただ厄介者扱い
楽をしていてずるい
という扱いでした
「足を引きずって歩いている姿が痛々しいね」
と半ば笑いながら言われた時は
惨めな気持ちになりましたし
深く傷ついた体験でもあります
冷たい社会の中で
生まれつき身体が不自由な方々
ご高齢になって身体が不自由になられた方々の
お気持ちを痛いほど感じた体験でも
ありました
楽しみながら仕事を続けられる
これは
自然にできることではない気もします
適材適所
能力値
労働環境
いろんなことがマッチして生じること
でもあるとは思いますが
仕事を
如何に楽しめるか
どうせするなら
楽しんでしたい
というところから
楽しむ術を身につけていく
という世界でもあるような気がします
雑用でも
楽しんでいたら
気持ちにゆとりがあったら
仕事してない人のこと
ずるいとか悪く言ったりしないだろうし
動けるありがたさがわかると
楽しんでできたりします
むしろ
楽しんでいれば
しない人を
楽をしていると見ない
心身が傷だらけで疲弊していて
とても働くエネルギーが湧かない若者らに対して
ニートだとか働けとは
言えなくなる気がします
助け合い
今、できる力のある人がする
貢献している
と認識できれば
労働はたとえ楽でなくても
喜びに変わる
私は生まれつき
努力できる人間(努力できるってDNAらしいです)
なので
可能なのかもしれませんし
意識的に
同じようにしない人を攻撃せず
自分のできることに集中していく
ことができるだけかも知れません
皆んながサボったら
社会は回らない
そうだと思いますが
互いの状況や能力を尊重し合って
助け合えるという
崇高な人間社会
理想だなぁ
と思います
そういった意味で
楽🟰楽しい
ではない
なんで同じ漢字なんだろ?
って常々思います
楽しむのだって
エネルギーがいるんですよね
楽しむというより
どちらかといえば
充実感
と言うべきかもしれませんが😅
頭の中で考えたこと
ツラツラ述べています
ちなみに
ピアノ奏法では
楽な弾き方を追求しますので
楽
が決して手抜きとかサボり
と言うイメージにはならないですね
むしろ
効率よく
といったイメージで使われています
音楽
楽に音を出す
楽しく音を出す
っていうこじつけもできますね🫢
日本語
あまり国語は得意な科目ではありませんでしたが
民族の文化的景観を垣間見ることが
できたりして
面白いな
と思います