これまで

カルトっぽい団体にとっぷり浸かっていた私


何がこの団体を病ませていたのか


振り返って考えることがあります


ダブルバインド

(矛盾したメッセージを同時に送られ

受け手がどちらに従っても

罰せられるような状況のこと)


これは

人のメンタルを病ませ

社会を病ませる要因の一つだそうです


宗教教育が

ダブルバインドを起こさせる要因を

作ってしまっているのでは?


と感じることが多々ありました


敬虔の修業をせよ

謙遜であれ


(神学的には正論ですが)


と語る牧師が

そして

私のような小さき者が…

なんて類の言語を

よく並べたてている人が


実は

嫉妬深くて

自分より優れるな、目立つな

というメンタルなだけの人で


さらに

自己認識がない


牧師になっちゃったから

自分はできてる

って勘違いして


自分を振り返る機能を失ってたり


なので


裏では

優れた人の足を引っ張っていたり

貶めるような言動をしていたり


というものをまざまざと見せられ


立派なことを掲げながら

内実とは矛盾している

自分の言動が矛盾していることに

気づいていない指導者たちに


私のいたグループの闇は

こういったことからくるのかもしれない


と考えるようになっていました


私の神学生時代は


服従を最高の美徳とし


ここは服従を学ぶところだ


と豪語する院長の元


まことにお粗末な訓練、教育が

施されていました


今思えば

服従することは

自分で考えることを辞めさせること

なので

自己認識を歪める要因でもあった

と考えています


下々の者(神学生)にとっては

従わなければいけない相手が

ごまんといる


全く異なる命令や指導の中

まさに

誰に従っても

非難されたり

罰せられる状況


沢山ありました


結局これは


自己愛性人格障害を抱えたリーダーにとっては

都合のいい訓練なのか


と直感しました


周囲の人々は

自分を活かすため

輝かせるためにいる

他人は皆

そのための道具でしかない


そんな認知のリーダーだと

そのコミュニティは病むんだな


と学びました


卒業時の面談で

ここの

服従の訓練はおかしくないか

これは盲従ではないか?


という提言をしたら


あなたは

入った時から服従がなってなかった

服従をわかっていない

だから

卒業はさせない

1年生からやり直すように


と言われて

あぁ

この人

終わったぁ


と思いながら


「こんな学校、(思わず言っちゃったんです🫢)

卒業できなくていいです

ですので、一年生からやり直すつもりも

ありません。辞めます」

といって退室したエピソード


思い出しています


しっかりと

この全寮制の中

自分なりに適応して

四年間耐えてきましたので


苦しかった

辛かった

なんてレベルではなく

私にとって

めった打ちにされた

消し去りたい

暗黒の期間でした


一人の一存で

決められることではないでしょうとは

思ってもいましたが


そして

今だったら

アカハラに相当する内容でしたが


当時は

心の底から

失望した


というのが

正直な気持ちで


卒業取り消し?


どうぞ

すれば?


みたいに思っていました


なぜか

卒業はできましたが


初めに与えられた任地は

鳥取県の小さな教会でした

自然豊かなところで

私は嬉しかったのですが


任地に赴く前の面談では

地方の小さな教会で

目を覚ますように


なんて言われ


これは懲罰任命なの?


とさらに

失望が深掘りされていきました


団体とは

心理的距離を取りつつ

30年以上


心理的距離をとっていたつもりでも

(変わるかもしれない

というほのかな希望を持ちつつ)


物理的には

ネガティブな影響を沢山受け続ける中にいた

こともあり


そこを出た現在も

まだまだリハビリ状態かもしれません



演奏会本番を前にして


私はこの曲を

本当のところ

どう感じているのか


こうあるべきだ


ではなく


ー音楽は

感性に思考を添わせていく世界ですので

感性ありきでいきたいと思いますー




意に沿わない音をフレーズを

音楽を奏でていないか


違和感を確かめ


探りながら

練習しています


感性については

そんなこんなの影響もあり

自己認識が歪んでいたり

感性認識が薄かったり

が原因で


本心でない音


まだまだあるのかもしれない

とも思います



いつも課題として感じながら

今の精一杯を


音楽にしたためたい


そう思います