芸術の世界での

取り組みに正解を求め始めると

命を失い、機械化し

人間性が失われていく。


人間は十人十色

正解なんてないはずだけど

我こそ正解


と根拠の薄い自信で

自分の価値観を互いに押し付けあう世界に。


本来なら

人間性

つまり

その人らしさが失われていけば

それは芸術ではなくなる。



かつては

神業

といわれていたレベルのものが


現代では

一般化していたりします。


芸術の世界に

神業を求めると

チープなものしか出来上がらないのに


悶々としていた

若い頃は


神業


を求めて

できるだけ高度なものを

誰よりも速く、優れた技術で

できるだけ正確に美しく


を念頭に

神業

で聴衆を圧倒するんだ


と息巻いていたと思います。


ーまだ今でもその名残りが取れない😅

私の課題でもあります。

年齢を重ねたお陰で少しずつ変われているかも

とも思いますー


アカハラや派閥…

なじり合いで切磋琢磨していく


芸術の世界も

資本主義社会に呑み込まれて


当初

私にとって

魅力のある世界では

なくなっていきました。


そんな

競争社会の中で


音楽は何のためにあるのか


考え始めるようになり

それが


私の人生のテーマになりました。


日本のコンクール加熱に


芸術は

何処にいってしまったのか?


という思いと同時に


勝ち抜いている人も

上には上がいる世界なので

劣等感が膨らむだけ。


負ける人が大量に発生し

勝ち抜いた人の肥やしと化す。


芸術は

勝ち負けが入ると

チープになる。


ーお笑いの世界でも

勝ち負けが入ると(M1みたいな)

なんか笑えなくなるんですよねー


迷走している

クラッシック音楽界


音楽は

神への祈りであり賛美と


巷の音楽を

世俗的という言い方で

安易に批判する

宗教界


その内実を理解できていない

聖職者たちが

音楽家たちにただマウントとってるだけの世界

でした。



ー音楽は

神への祈りであり賛美である

と思っていますがー



芸術は人間性ありき

だけど


歪んだ人間性(私利私欲が動機の)によって


芸術が奥深くに

埋もれてしまっている


ー人間っていいな

って感じられる世界が

互いの心を動かし、共鳴する

それが優れた芸術だと思っていますのでー


そんな風に感じる場面を

見聞きし

自分もとっぷり浸かっていたので


芸術や宗教、そして教育の世界が

商業化し

競争が生まれることで


人間の感覚も麻痺させたり

歪ませたりして


気づいたら

なんか違う

という違和感をどこか持ちながら

迷走し

本来の目的から

逸脱していた


そんな歴史を繰り返して

ここまできている


そんな風に

思うようになりました。



芸術性の高さを感じる

今は亡き偉大なピアニスト


グレン・グールドは


演奏会の不毛性、不道徳性を主張しました。


演奏会での聴衆は

言ってみれば

「血に飢えて」おり

演奏者は、失敗を恐れて志を失い

ひいては

「寄席芸人に身を落としてしまう」


演奏の一回性へ疑問を抱き

ノン テイク2ネス


と言って

一切演奏会で弾くことを辞め


スタジオを子宮に例え

マイクロフォンは

自身と敵対することはないから


と30代で

スタジオ録音のみの

ピアニストになり

50代で生涯を閉じました。


最近になって

そんな

グールドの精神性が

理解できるようになりました。


若い頃は

全く理解できませんでしたが…


私の中に脈々と流れる

深い音楽愛


どの世界に身をおけば

私らしく伸び伸び音楽に携われるのだろうか


音楽を愛する方々が

どうしたら

ご自分らしく

伸び伸びと音楽を楽しめるのか



ピアノ教室が

音楽を愛する人々の

理想の場になっていけたら


と願っています。