私の中に脈々と流れ続けている

アイデンティティ


それは音楽です。


牧師になる時

音楽を捨てる🟰己を捨てる

という条件の下

(そういうカルトっぽい団体でした)


音楽を封印しました。


でも

結局教会音楽に携わる機会は多々あり

なるべく

自分が活躍しないように心がけながらですが、

アマチュアの方々が

心から賛美できる場作り

をしてきたように思います。


音楽に携わること

それはそれは楽しく


楽譜の準備、アレンジ、選曲

裏方すらワクワクしながらしていました。


身体を壊してから

臨床心理士のお力をいただきつつ

自分でも人間理解を深めるための学びをする中


自分の中のアイデンティティに

正直に生きるべき

と気がついてから


周囲の牧師からは眉唾でしたが

演奏活動を始め

自分を取り戻す作業をしました。


そんな中

いつも考えていたのが


プロって何だろう?


でした。


音大でたらプロ

というわけでもない。


世間の認識はバラバラ。


音楽で生活している人をプロという人もいれば

ある一定レベルを超えたスキルを持つ人をプロと

いう人もいる。


要は人が何と言おうと

どう感じようと

私の中で

プロ意識があるかどうかが

大切なのでは?

と思うに至っています。


プロ意識がありながら

それを

封印してきた私。


だからこそ

こんなこと考え続けていたのかも

しれません。


今は

堂々と

プロ意識を持って音楽に携われることに

大きな喜びを感じています。


そしてプロ意識とは

その世界を良くしよう、もっと追求しよう

その世界に貢献しようと思う志


だと思っています。


芸術なんてなくたって生きていける

まではいかずとも

生きる

ことの優先順位からすると

削られがちな芸術。


でも

携わるほど

その価値高さを感じ

人間性を見失わずに

社会で共生していくために必要な世

である事を実感しています。


かつては貴族の特権

金持ちの道楽

と揶揄された音楽


特に、クラッシック音楽が

もっと人間を感じられる世界

身近な世界になることを心がけて

携わる


これも

プロ意識なんだろうな


と思います。


スピリチュアルな世界のプロ意識を

牧師として持ちつつ生きてきましたが


それらの世界は

芸術の世界とも強く繋がっていました。


それら全てを活かして


今度は

音楽のプロ意識を持って


心理や教育、脳科学…

人間科学も踏まえて

仕事や学びを

していくという


珍しい人生になったと思います。