否定的なアイデンティティは

自分をネガティブな方向に導く


どうせ私は〜だ

どうせ私は〜できない


実際は

できないからそう思うのか

そう思うからできないのか


卵が先か

鶏が先か


みたいな話かもしれません。


でも

芸術に感しては

否定的なアイデンティティを刷り込むことは

NGだと思っています。


そこから奏でられる音楽は

百害あって一利なしになるからです。


そして、もしかすると

私の中にも

まだまだその刷り込みが残っている

かもしれません。


ピアノの世界は

競争が激しく

絶えず比較の中に晒されるので

否定的なアイデンティティが

形成されやすい


そんな風に

感じていました。


ピアノを弾く

ピアノが弾ける


という要素の中には

多種な能力が求められる分


逆に

ポジティブな面を見つけやすいです。


お子さんの中に

レスナー様方の中に


その多種な能力の中で

秀でているものが

必ず見えます。


小さなお子さんに関しては

ピアノに取り組んでいる

そのこと自体が

高く評価できます。


大人だって

ハードルが高くて

二の足踏むほど

の世界ですから。


親御さんも

我ら教師も


子どもの頃

どうだったか

負の側面は、意外と覚えていないので

子どもや初心者の欠けばかり気にして

侮る


やりがちだなぁ

と思います。


また

自分とは違う人間なのだ

という認識がないと


私はできたのになぜ?

と侮る気持ちに。




ではなぜ

私は、このようなことに向き合えるようになったのか?


アイデンティティが

関係していると思うようになりました。


自分のアイデンティティと異質な中にいたことで

かえって

自分のアイデンティティ

が浮き彫りになった

のかもしれません


宗教家として生きていた時

子育て、主婦業で忙殺されている中でも


音楽家として認知されない

世界にいながらも


私の中に

音楽

というアイデンティティが

根底にずーっと流れていました。


現在

宗教家として認知されない世界にいつつも

(教会組織から追われても)

神の存在を信じて生きることは

私の中でのアイデンティティであり続けています。


クラッシック音楽とキリスト教は

切っても切れない関係にあり


キリスト教概論は

音大の必須科目でした。


でも

音大教授陣は

ほぼほぼ無宗教の方々ばかり


音楽の世界の

何を伝授できるんだろう?


神の前に跪く姿勢

感じられる先生も僅かですがおられましたが


芸術の世界の深み

というものは

感じられなかったりしました。


若い頃

私も自分の薄っぺらさに

辟易していて


理想的な音楽家、宗教家を

探していた


というのもあり

悶々としていた

音大時代

神学生時代

でした


私にとってのアイデンティティは

スピリチュアリティとも密接に関係しています。


幼い頃から

賛美歌に親しみ

音楽を媒体として

神を賛美すること、祈る世界の中で育った恩恵も

あると思いますが


私のアイデンティティ・スピリチュアリティの確立


ブレなかったのは

音楽のおかげ

賛美の世界を体感して育ったからかも。


とも振り返って思います。


今は亡き

ピアニストの神野明先生のお母様は

息子さんについて

クラッシックを学ぶためには

教会に行かせることが大切と

教会に通わせていた


というお話を聞いたことがあります。


大傑作と言われる

バッハのマタイ受難曲

ベートーヴェンの第九などなど


音楽から感じられるスピリチュアルな世界は

賛美歌の中でも体感できました。


教会によっては

賛美が死んでるところが多々ある中で

私が育った頃

私の中では

賛美が生きていました。


音楽での

ポジションの取り合い

競争、比較は

教会内でもあり


比較の仕方

価値観は

霊的かどうか


をいつも問われつつ


ーそれを言う

牧師らから

霊的なものは感じられず

というか、正直、

霊的体験がないかも🧐と感じることも

多々ありました😅

言葉で立派な体験を話されるのですが

生き方が神を知らない人の生き方なので

違和感から、すぐわかります🫢


そして

そういった方々

それも

音楽の教養が皆無の方々に

侮られる世界でしたので


ある意味

極めて

世的で闇の世界でした。


教えられた神学にたてこもり

学ぼうとしない

というか学ぶことを知らない

教わったことを繰り返し記憶に留めるだけ


科学が進み

変化の激しい時代であるにも関わらず


考えることをやめてしまう


柔軟性に欠け、排他的なメンタリティ

マーシャ理論の

早期完了型が量産されてしまう世界でしたー


世の中の音楽の世界も然りでしたので


私にとっては

信仰を根底にした(神の前に跪く、祈る)

賛美の世界によって

クラッシック音楽によって



その中にあるスピリチュアリティが

そう言った凄まじい流れの中でも

流されずに進んでこれた


のかもしれません。



音楽とキリスト

は私のアイデンティティの深いところに

建てあげられてきました。



自分のアイデンティティの確立や建てあげ

を振り返りながら


だからこそ

あえて


レッスンでも

お一人お一人の

音楽の世界のアイデンティティが

否定的なものにならない配慮

大切にしたいと思っています。


芸術は

自己表現


ゆくゆくは


ご自身の演奏を

ご自身の感性(感じていること)を

好きになって欲しい


そんな

想いを抱き

レッスンさせていただいています。