19世紀後半

ニーチェという哲学者が

発した概念に


神は死んだ


というものがありました。


ベートーヴェンの第九は

そのもっと前に作られていたので


神は生きているに違いない!

(という合唱の歌詞)

に真っ向対立した概念が

19世紀後半に生まれた

ということになります。


日本に蔓延ってきた

無宗教の波は

資本主義との相性が良い

というのもあったと思います。


それが

どんな社会にしたのか


考えるため

ニーチェの概念について

ネット検索してみました。


ちょっと抜粋。


超人思想とは


神への信仰や神という概念が

人間本来の欲望を押し殺している

とし、


お金と権力が欲しいです

は本来

生を実感するための自然な欲求であること


そして

「闘争に長けた人間」

「財力のある人間」を

善い人間とするもの。


つまり


古代の価値観は

善い🟰強い人、優れている人

悪い🟰弱い人、力のない人

だったそうです。


そして


この超人思想を

逆転させてしまったのが

キリスト教だと。


正直、これを読んで

キリスト教の世界だって

綺麗なこと言ってて

実際は

お金と権力が欲しいです

という本能丸見えの歴史だったんじゃない?


もはや

このニーチェの無神論的概念が蔓延ってる?


立派な神学をかざして

教会は

ニーチェの

神は死んだ

概念を批判しながら


現実は

無神論の組織運営を

してきたんじゃない?と。


そして

ニーチェの


「神」は

勝てない弱者が、妄想の世界で

勝てない恨みや嫉妬から

作り出したもの


という概念に


確かにね と


関心もしました。


が、


私は

古代で言ったら

生まれつき

女性 という弱者の立場


ニーチェに言わせれば

悪人

ということになります。


ー虐げられ

屈辱を感じ

自分の女性性を

嫌悪することもありました。

そう

この弱さが悪と感じてしまうことも

ありましたー


そっか


日本は無神論の影響もあって

いつまで経っても

女性の権利が弱く、尊重されない社会が

続いているのかもしれない


とも思いました。


イエス・キリストは

女、子ども、そして

弱者に寄り添われた。


私にとって

それがどんなに心の支えとなり

救いになってきたことか。


そして

日本の社会が

古代の価値観に戻らないで欲しいと願います。


だから

ベートーヴェンの

神は生きているに違いない!!

という賛美は

私の心を奮い立たせてくれます。





ニーチェの概念には

人間本来に備わっている

良心の働き

についての考え方が弱いのでは?


そして

教会歴史も

この

弱者側の

良心の働きを

神経症的にすることで

弱者をコントロールし、支配し、利用してきた。


実際は

女性、子どもが

虐げられ続けた歴史は

無神論者と変わらない


日本の場合

嫁とか奥さんとか

いう言葉の中に現れる

男性優位の社会概念だったりも

超人思想から

きていたのかな?(無自覚だと思いますが)


とさえ思いつつ

白く塗りたる墓

と宗教家たちを牽制した

イエス・キリストの想いは


女性という弱者的立場の人間からすると

ありがたく

心強くもあります。


ニーチェに


神とは


現実では勝てない弱者が

妄想の世界で復讐するために

作り上げたもの


といわれ


うんうん

否定はしない。


あなたは生まれつき強者の立場だからね。


でも…


何と言われようと

私は

神は生きているに違いない‼️


と叫び続けます💪


ネット検索程度の偏った知識で

熱くなってしまった🫢



私も

教会の繰り返している

黒歴史に

抗戦姿勢を変えるつもりは

全くありません。


が…


結論


神は死んだ


の世界は

人を幸せにしない


ということ。


真実なんて証明できない


だから

私は

人を幸せにする方に賭けます。


ニーチェに議論をふっかけるなんて

大それたことしてるつもりはなく


論じているというよりは

感想です。


これだから女は…

という声が聞こえていそう😅


私の中に

学者以外は物申せなかった時代を考えると

このブログで

学者だけがものを考えているんじゃないぞ!


という気持ちもあるかもしれません。


上手く論じられなくても

考えてるんじゃ‼️と😬