北極圏の冒険記が書かれた

角幡唯介氏の

極夜行


読みました。


途中、

食料庫があらされ

食料が底をつき

犬たちが痩せこけていく…


犬を食料にしてでも生還しなければ

という過酷な旅


究極の飢えがもたらす悲劇の話

イヌイットの過酷な生き様

我が子さえ犠牲にして生き延びた親御さんも

深い自責の念、悔いから

苦しみを抱えつつ絶命する…



ギリギリの中で

犬たち共々

無事生還された話に

安堵感と共に、感動を覚えました。


私は

究極の飢餓を体験したことはありません。

戦争体験された方々は

口々に飢えの苦しみの体験をお聞かせくださいます。


でも、

この日本

精神的な飢餓状態にあるように感じています。


思いやりとか

暖かさの枯渇した人間関係


しつけ、鍛える

という大義名分で

自分の価値を健全に感じられない

飢餓状態の大人たち(自己肯定感の低い大人)が

親、教師という立場で

その精神的な飢えを埋めている現実を見聞きし


成熟した社会に

憧れます

そんな社会で子どもさんや

若い方々が育っていきますように

と願ってやみません。




ある有名な指揮者が

オーケストラの

若い演奏家たちに向かって


「音楽学校で教わったことは、忘れなさい

そして、

音楽の美しさは

これ以上行ったら破滅

というギリギリの臨界点で表現できる」


と言っておられた

指導シーンを

思い出していました。



余裕かましてないで

臨界点まで行ってみる


大切なことかもしれない


と思います。


無難な演奏は聴く人を安心させる

いいと思います。


でも

ドキドキ、ワクワクするような

感動が湧き起こる演奏


たしかにそれは

この臨界点ギリギリの演奏

のように思います。


とりあえず

メトロノームを指標として使い

ゆっくりな曲は

テンポをギリギリゆっくりを探る

速い曲は

ギリギリまで速く弾いて臨界点を探ってみる


そして


音量

フレーズの息の長さ

など

ギリギリを試していこうと




今日も練習に励みます。