人に貶められた時

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他の人から貶められる体験をした時、二つの反応があります。


1 やり返す

2 泣き寝入りする


1は自分の良心が麻痺していく危険があります。

2は心の傷として残り、ケースによっては心身にダメージをうけたり、後々の対人関係に支障をきたしたりします。




善良の仮面を被り、裏で嘘の噂を流して周囲を巻き込み、ターゲットの足を引っ張ったり貶めたりする人がいます。


見抜くのが難しいケースがあります。


社会的地位や職業によってカモフラージュされるケースです。


法曹家、教師、医師、宗教家、セラピストなどは、まさかそんな人はいないだろうと思われやすい職業ですので、要注意だそうです。



私も、周り回って自分についての嘘の噂を聞いたことが何度かあります。


それによって不利益を被ったこともあります。




このようなサイコパスに出会ったときは、なるべく距離を取るようにと言われます。


けれども、それが難しい環境にある時、サイコパスは徹底的に打ちのめしてきます。


そういったタイプの人間は、良心が麻痺しているので、お縄にならない程度の悪事を使ってのし上がっていきます。


地位ができれば、警戒もされなくなるので、更に拍車がかかります。

ターゲットに対して同じ嫉妬心をもっている周囲を仲間にして貶めにかかります。



このような現象を体験することで、それを見ている人たちもそのやり方をすればのし上がれるのだという人生脚本ができてしまうこともあるかもしれません。


それは悪事ではなく、世渡り上手に過ぎないとどこかでスイッチが切り替わり、良心が麻痺していくのかもしれません。


やられて辛かったらしないのは、良心的な人。


多くの場合、世渡り上手へいってしまうのかも知れません。


何が正しいかではなく、何が自分にとって得がで物事を判断する人間になっていきます。


いわゆる自己中の出来上がりです。



社会に自浄作用が必要だと思います。


人を貶めるために嘘の噂を流すのは悪事です。

価値観の違いという域を超えています。


その悪事に泣き寝入りするしかない本物の善良な人たちがいます。


善良な人たちが、悪事に染まらないためにもやはり、正しさによる自浄作用は必要だと思います。






実は私、最近サイコパスにやられてしまいました。


まさかこの人が😱でした。

やられるまで、気づかないことあるんですね。


サイコパスの目的は、相手に辛い思いをさせること。


なので、前を向いて新たなステージで被害をうける前よりも幸せに自分の人生を謳歌したいと思います。


泣き寝入りではなく、この出来事をさらなるハッピーへの踏み台にしたいと思っています。


やり返したい気持ちはやまやまですが、自分の心を守りたいので。


良い社会作りには人間の健全な良心の働きは必須だと思います。


良識の教育。

大切だと思っています。


そのためには、悪事を悪事と見抜けて、なおかつそれをしないですむ心の強さを育てる必要があると思います。


自分の感情を客観視できるEQの能力。

これが高められれば、嫉妬という感情にたいしても気づけるし、気づけばそれを良識的に扱っていけるのに。


大人になってからだと、負の感情を認めたくないので、EQの能力を上げるのは難しくなるので、できれば子どものうちに。


負の感情に気づいて対処できないために起こる様々な問題。


やっぱりここに行き着きます。

EQ教育。

社会が良くなるために必要だと。