私が住んでいる愛知県大府市(おおぶし)には、結構たくさん民話がありますが、知っている人はあまりいないかもしれません。
そんな民話の発掘をしてみようと、今回は「大府」の名前の由来となった人物についての民話の舞台に行ってみました。
大きな松の木と赤い幟が目印の場所ですが、何度か通ったことがある場所なのに今まで全く気付きませんでした。
大府の名前の由来となった人物は、「七津大夫」といいます。
この七津大夫についての伝承はいくつかあり、『大府市誌』には3つの説が載っていました。
時代にも開きがあったりして、どれが本当か定かではないのですが、立派な身なりをした人物が住んでいたのは確かなようです。
おおぶの民話をデジタル紙芝居にして紹介する活動をされている「お山の杉の子」さんのお話では、応仁の乱の難を避けるために京都から大府に都落ちした高官として登場します。
この七津大夫は、いつも烏帽子・直垂姿で風格があり、身分が高くても威張ることもなくみんなに親切で、社寺を回って毎日ご祈祷をしていたようです。
昔の大府は、ほとんどがお百姓さん。
そこへやってきたジェントルマン・七津大夫
京都の文化にも詳しく都会の匂いのする七津大夫は、恐らく大府の人たちの憧れの的だったのではないでしょうか。
大府の人たちはこの七津大夫を「大夫様、大夫様」と、とても慕っていたようで、まだ名前の無かった村に、この人物の名前を付けたそうなのです。
しかし「大夫」をそのまま使うのは恐れ多いと、「大夫→おおぶ」と読み方を変えて、「大夫(おおぶ)村」としたのだとか。
詳しいお話は、おおぶ文化交流の杜電子図書館からどうぞ→★
今回訪れたのは、大府発祥の地と言われる「大清水地蔵様」。
ドミー大府店の向かい、自転車ジョイさんの隣に赤い幟がズラッと並んでいますが、その坂道を上がったところにありました。
正面に看板が見えます。
この場所は、かつては大量の清水が湧き出ていたようで、そこから大清水と呼ばれていました。
大府の名前の由来となった七津大夫は最初、原の大清水、つまりこのあたりに屋敷を建てたそうなのですが、鞍流瀬川の氾濫により屋敷が流されてしまったため、スクモ(現在の大府市役所近く)に建て直したと言われています。
階段を上ると左手に細い道が。
井戸のような物が見えます。
ここが大清水井戸跡です。
現在も水が湧き出ているそうです。
近くにひしゃくがかけられていますので、今でも水やりなどに使っているのでしょうか。
こっそりフタをあけてみました。
葉っぱは浮いていますが、透明な水が見えました。
元に戻って階段を上がっていくと、小さな建物が見えました。
こちらに延命地蔵様が安置されています。
最初の延命地蔵様は、七津大夫の頃に置かれたのかもしれませんが、現在の地蔵尊は明和4年(1767)に建立したものです。
隙間から拝見致しました。
膝掛けがあるので写真ではわかりませんが、こちらの地蔵尊は片膝を立てて座った、ちょっと珍しい姿勢のお地蔵様だそうです。
ちょっと高台にあります。
今回の訪問でちょっと疑問に思ったのは、この高台にあって川の氾濫の影響があったのだろうか?という事です。
試しに現在の標高を調べてみましたが
①原の大清水(1回目の屋敷) 標高約18m
②スクモ(2回目の屋敷) 標高約12m
③鞍流瀬川沿い(氾濫した川付近) 標高約8m
となり、氾濫して屋敷が流されたとされる大清水が、最も標高が高い結果となりました
昔とは地形が異なっているのか、川の流れが変わったのか、まあ、色々とナゾではありますが、伝承なんてそんなものでしょう!
ということで、そこら辺はスルーしておきます(笑)
興味のある方は、散歩してみて下さい
今回は、大府市発祥の地にはお地蔵様と井戸があったの発見でした。