.........日記....2005.12月1日(木)
師匠は水島先生みたいだ!
と将は言う。
Y山君の心を楽にしてあげている姿を見て
3美は感銘している。
Y山君とは、初めて電話。
心が病んでいる人だから、
助けてあげたくて。
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2005年頃は、S氏のお店に精神疾患の人が
数名来るようになっていた。
ラ-ラも病んでいる。
だけど、ラ-ラの話を聞きたいと望んで
来るお客さんが居た。
Y山君も病んでいた中の1人で、
3美が、S氏の店に行けば師匠ラ-ラが居る事を
告げていて、
S氏の店のサプリを些細に購入するようになっていた。
TVCMで「うつ病は心の風邪、、、
的な事を放映していたけれど、
そんな簡単な病気ではない。
風邪なら放置していれば、
時間と共に完治出来る。
心の病は、放置すれば、悪化し、
自殺に誘導される。
風邪という言葉で心の傷を処理され、
更に追い詰められる感を感じていた。
世間は、見えるモノで判断。
見えないモノに対しては、
見える何かのせいにして病んでいる人達を
追い詰めていた。
「だらしないからだ!
「いつも負しか言わない!
みたいな"何か" に移行して
病んだ人を追い詰めていた。
水島先生、、、
夜回り先生で、当時有名だった。
水島修先生。生徒の将も水島先生の言葉と行動に
心を動かしていた1人だった。
ラ-ラは、"自殺"という言葉に敏感だった。
普段TVを見ないラ-ラが、偶然深夜帯に
TVをつけた時、水島先生が出ている事が
多々あった。見ていると、ラ-ラの性格と
共鳴する人だ、、と思っていた。
生徒の将も同時に思っていたらしく、
著書も沢山あって、ラ-ラも数冊持っていたので
将に貸してあげた。
ラ-ラは、困っている人を見ると、
放置は絶対ムリで、自己犠牲してでも
ずっと支え尽くす質を持っていた。
ラ-ラの生徒さん達は、学校で問題児と
言われるような子が多かった。
だけど、ラ-ラは問題児とは全く思っていない。
そういう主張をしなければならない何かがあるワケで、
ラ-ラはどんな子に対しても、承認から入っていた。
学校に行きたくないと言うなら、
ここに来ればいいよ、とレッスンル-ムを
解放し、行きたくない"何か"が解決されれば
ほっといても自然に学校へ行く。
ラ-ラ自身も追い詰められた感情の中で
2005年は、やっとやっと生きていたけれど、
困っている人を見ると、やはり支えてしまった。
ラ-ラ自身が苦しみ体験を知っているから
そんな感情にさせたくない! と思って
支え続け、至福に導いていた。
だけど、
病んだラ-ラは、人助けをした分だけ
自身に反動が襲った。
現在2019.5月も中旬。
どれだけ人達を助けても、
助けた人達は、去って行った。
ラ-ラに起こる悲劇が、残酷過ぎて、
見ていられない、、
という理由が多かった。
音大時代の友達と繋がった時、
相当病んだ状態だったラ-ラは、
友達だから語ってしまった。
即「無理」 と言って去ってしまった。
ラ-ラの話を聞いていると、
いつも苦しくて、生活出来なくなる、、と
言われると、
語ったラ-ラが悪いんだ、と自分に矢先を向け
自分を刺してしまう。
ラ-ラ人生で、人助けをしないで無視って事が
出来なかったから、
しても良いんだ? と感じる程、
虚しさしか降りてこなかった。
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