中学校の頃、海外の子供と文通するのが学校で流行っていた。
職員室へ行って、英語の先生に「これ、お願いします」というと、内容には一切関与せずに先生は英語の文章を添削して直して下さった。
発端は、若くて熱心だったその先生が、英語の授業中に「手紙を書くのは、非常に良い英作文の勉強になるから」と、その頃東京から転校してきたばかりのクラスメイトの手紙を、サンプルとして全員に配ったのだった。
文通の相手を探すには、既に文通している人に紹介して貰うとよい、というアドバイスもあったと思う。
私はその頃から、いずれはドイツに行きたいと思っていたので、ドイツ人と文通しているという友達のお姉さんに紹介してもらって、手紙を出したその相手がブリギッテであった。
当時マンハイムに住んでいて、私より一歳年長の一人っ子だった。
写真もお互いに交換したりしたが、内気そうないかにも映画に出てくる女子高生の一人といった風な印象であった。
小包が届いたこともあった。中には、ウサギの形をした綺麗な模様の描かれた銀紙に包まれたチョコレートも入っていて、今思えば復活祭のウサギだったのだろう。
頻繁ではなかったが、何となく文通は続いていて、大学でドイツ語を勉強し始めてからは、ドイツ語でたどたどしい手紙を書いたりもした。
ウィーンに留学してからは、同じヨーロッパというだけで随分近づいた気がして、久々に手紙を出したら、お母さんから「娘は結婚して、今はフランクフルトに住んでいます。」という手紙が届いたのだった。
ウィーンの音大を卒業して日本に帰る際、フランクフルトから飛び立つ便が一般的であった。
私はまず、親友が留学していたミュンヘンに寄り、其処から汽車でフランクフルトへ向った。
勿論、ブリギッテに会ってみたいというのが目的であった。
ミュンヘンから着いた列車は、たしか到着時間が朝早くて、それでも彼らの家に着くまでには手間取るだろうと思っていたのが、意外に順調に着いてしまい、手持ち無沙汰なまま無遠慮にも、家の呼び鈴を鳴らしてみたのだが・・・。
何故か、誰も出てこないどころか、何の気配も無くて、私は知らない場所で只々途方に暮れたのだった。
多分、公衆電話を探したのだと思う。
異国で、公衆電話を探して、電話をかけるというのは、至難な業であったはずだが、その辺の記憶はすっぽりと抜けている。
いずれにしろ、その電話から眠そうな男の人の声が聞こえてきて、それがブリギッテの旦那様であった。
東洋からのお客様が来るというので、前の日に二人で部屋中の壁に細い竹のインテリアを張り付けて、異国情緒の演出をしてくれていたのだそうだ。
それで、すっかり疲れてぐっすり寝込んでいて、呼び鈴の音が聞こえなかったらしい。
そんなに朝早くに訪ねてくるとは思わなかっただろうに、そんな事はおくびにも出さずに、とても歓待してくれたのだった。
ブリギッテはやはりシャイな女性で、初めて会った私に恥ずかしそうに話しかけてくる感じだったが、幸い旦那様は社交的な素敵な人で、場を和やかに持たせてくれた。
そのうち、友達から電話がかかってきて、「悪いけど、電話口で何でもよいから日本語をしゃべってくれないかい?」と、旦那様が言う。
「今日、日本人のお客様がくるんだと言ったのに、どうしても信用してくれないんだよ」という事だった。
まだ、道を歩いていると「シナから来たのですか・・?」と聞かれたりする時代だったからなあ。
彼がどんな仕事をしている人だったかは忘れてしまったけれど、自分の会社に車で私達を連れて行ってくれて、映画にでも出てくるようないかにも現代的な装置のあるお部屋をみせてくれたりもした。
何枚も一緒に写真を撮ってくれた中に、「僕と二人だけの写真も撮ろうよ。君のお母さんが、ドイツ人のボーイフレンドができたのか、って吃驚するように・・。」と私の肩を抱いてブリギッテにシャッタ―を押してもらったり、楽しい時間を共有してくれたのだった。
遠い異国のペンフレンドと、本当に会う事が出来た事に、どこか戸惑っていたブリギッテと私は、その旦那様の優しい対応のなかで、何となく無言で微笑みあっていたのだった。