独楽
才能があるとかないとか、才能ってなんぞや?・・・と、時々想う。コトバンクよりさい‐のう 【才能】物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。「音楽の―に恵まれる」「―を伸ばす」「豊かな―がある」「―教育」才能とは、誰にでも備わっているものなのですね。英才教育などについて語るつもりは全くないので、それを発揮する・させる・しない・させないなどの話は別として。時間を逆にたどってみて、その誰にでも備わっている才能が湧き上がる瞬間の心身の状態って、もしかしてこれに尽きるのではないかしら?↓ワクワク感。独楽=こま(あて字)誰でも一度は夢中になって遊んだことがあると思います。独楽 (どくらく)= ひとりで楽しむこと。自分だけで楽しむこと。勝負するにしても、基本はこれですよね。極めるには、何事も自分自身が夢中で楽しんでいることが第一条件。ふと我に返ると自分ってもしかして、天才じゃないのぉ!?てやつ(笑)。理屈をこね始めると・・・あれれ?さっきのは?何?なんだったの?なーんだ偶然??なんてことになる。理屈をこねこね、こね回し続けてしまうのが、大人の固い頭というもので・・・。そう、子どもの頃は、どれだけ柔軟な脳ミソだっか!と思い知らされます。こねる のではなく、超える。羽鳥 操 著 『野口体操 感覚こそ力』より「独楽回しは、今ではすっかりすたれてしまいました。でもこうして回してみると、回ったときの気持ちよさ、嬉しさは、理屈を超えています。僕は、才能とは、今、ここで、このことに対して、新鮮な興味を持つことのできる能力だと言っています。目的を自覚して、はっきり意識して、興味を持つあり方もあります。でもどうでしょう。目的や効果など まったく関係なく「面白いから面白い」という興味の持ち方も大事だと思うんです。初めから 目的・効果を設定し、計画通りにかかわることは、僕には魅力がないんです。人間にとって意識とは たかが知れてるんです。今は、まだ、分からない世界、非意識の世界が大事だと思うんですが。いかが・・・」(野口 三千三)脳が身体を支配するのではなく、身体が主体となって脳を支配する。簡単にズバリ言っちゃうとこういうことかな。私らしくない書き方だけども(笑)。言い換えると、計算高い考えよりも、(脳内も含めた)カラダが楽しんでいる刺激は、無意識の中から生まれる才能に働きかける。はっきり言って、計算高くて腹黒い人は、視野が狭いです。好奇心でいつもワクワク楽しんでいる人って、受信するアンテナがハンパじゃないから、許容量もかなりのものではないかと。自分の浅さから想像するに。動物的 勘(感?)ていうのにも、すごくあこがれたりする。だって勘(感)のみを頼りに動いている人のその時の、その集中力、ほんとに楽しんでいるみたいなんですもの!分析・計画性は、経験から記憶してきたものや想像力がものを言うわけですが、あーするといいよこーするといいよこのパターンが妥当だろうはい、解りました。・・・でもそれまでですね(笑)。今の瞬間の自分を完全に捨てています。才能を押しつぶしている、と言ってもいいくらい。必要事項・安心材料はとりあえず頭に入れても、その先には実は、頭のみでは理解不能な膨大な情報をキャッチできるカラダの感覚というものがある気がします。実際ピアノを弾いていて、気がつくと理屈をすべて忘れて、カラダの集中力に浸っている瞬間って、すごく気持ちがいいんですよね。そんな時間を大事にしていくことを、私のジストニアは欲しがっています。感覚の目覚め は 才能の目覚め。いくつになっても、ばあばになっても、忘れないでいたいな老人になっていくにつれて子どもに帰るっていうしね。そういう意味でも、自分が楽しみです。触っているだけでキモチが落ち着く、この木の温もり・・・大好きです逆立ちゴマ。こんな模様ですが、回すと?円になる!回ってるんだから、当たり前か。でも不思議。躍起になって遊んでたら、かるく汗かきましたしかし回るものって、なんか好きだなぁ・・・。今思い出しましたが、過去にも書いた気がしたので探してみました。丸いもの好きなお話はこちら♪今日もお読みくださりありがとうございました。明日から東京です。治療とレッスンと、あと小さなコンサートで1,2曲弾いてきます行ってきま~す