週末は母の日でしたね。
米寿母が新聞の折込チラシを見て
「母の日だって!」と振り返った顔を見て
いぢわるいワタシは、
スルー(ガン無視)しました。
(おまえは敬老の日に騒げよ、と思ったし)
で、我が愛しい息子たち。
これまで、お金がなくっても、
花のひとつくらいはプレゼントしてくれていました。
これに関しては、私は全然期待していなくて
何もなくてもいいや、とも思っていたのです。
ところがどうやら長男は次男を誘って、夕方から買いものにでるつもりだったみたい。次男はまだまだゲームやってたい、なんかめんどくさい、という気持ちだったみたいで、長男が出かける誘いにいったときに、まあそこそこふてぶてしい態度で接してきてた。
つまり次男は長男ほど事態をまともにとらえておらず、
「え?!それ、行かなあかんの?」
くらいの、感覚だったのです。
じゃあ、しかたないけど、いくか~・・・的な。
だからその通り態度にだしたら、長男におこられた?みたい。
やけに長い兄弟のやり取り。
これは永遠に終わらないな、とおもったので、仲裁というか
つまらんけんか、はやくおわれ!
という感じで、私が間にはいったわけです。
「母の日だからって、なにかしてくれなくてもいいよ。行きたくないならいかなければいい。無理強いされてすることじゃないよ」
と、言ったところ、長男次男とも、だまりこくってしまった。
結局兄弟二人ででかけることはやめて、そのまま二人とも自室にこもってしまったので、母の日的いただきものは皆無となったわけです。
だから母の日だからっていう贈り物は、わたしのところには届かなかった。
このことだけみれば
親に感謝もできない子にそだててしまった!とか
私は感謝に値しない親なんだわ、とか
いくらでも解釈できますが、実際はどうなんだろう・・・
ワタシが子育てに失敗して、このような事態をまねいた、というわけではなくて、そもそも私自身が、母親として失敗作なのかもしれないねぇ、とか思いました。
ただ、そこに正解はないのでそんなこと考えるだけ無駄なんですけどね。
ワタシの生い立ちとして、家庭に記念日イベントがほぼ皆無だった家族のもとで育ったので、母の日だから、何かするということにはうっすら違和感すら感じてました。
感謝なんて、
してるに決まってる!
のです。
それをことさらモノや花に置き換えて表現することについては、めんどくさい、とか思ってしまう。そう、次男とそう変わらない感覚なのです。
だからこそ、ちょっとシンパシーなのです。
めんどいよね、と。
いいか悪いかはともかく、
そんな私が親になってしまったので
そんな息子が出現しても、しかたないじゃ~ん、と。
母の日になにもくれなくっても
私の推しメンは、いい子に育った息子たちです。
「どこが?」といわれようと、
そうなんです。
めんどくさい○○の日とか、
○○記念日、とか
もうそんなもの忘れて、気が向いたとき
気がついたとき、思い出したとき
その人が好きそうな花をおくりませんか?
喜びそうなお菓子をお土産にしませんか?
友人知人の誕生日も覚えられないわたしは
ほぼほぼそんな感じで、おもいたったら
「はいこれ!すきでしょ?」
感謝や愛情は
時なしに駄々漏らしちゃってください。