厚田村☆猫家便り -163ページ目

厚田村☆猫家便り

北の日本海に面した小さな漁村に移住してからの日々

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この日の夕暮れは、昔、人に連れられ何度か通った、オ○○バーを無性に思い出させました。
店内の色合いや、そこのおにい、いえおねえさんが身に着けていたドレスも、こんな色合いだった。
それとも長い冬籠もりの後で、単に人恋しくなっていたのか・・
ここ近年は夜の繁華街などと縁が無く、今も営業しているかどうかわからないが、確か{紫苑」。
その時の会話の一部までありありと思い浮かんだのでした。
「ねぇえ、知ってる?紫苑て花」
「うん、知ってるよ、綺麗な薄紫の花がたくさん咲くやつだよね」
「そうそう、でも別名知らないでしょぉ~? ふふっ”鬼の醜草”。ワタシにぴったりだと思わなぁい?」
「・・・・・」
博学なママではありました。

写真:今年4月22日、PM.6:42~6:44

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厚田村移住が決まってから、色々な情報を集めたり、関係する本を読んだりしました。
それは、これから住む所を単に知るためだけでなく、愛着を持って住みたいと思ったから。
その点で、この松山善三著、小説「厚田村」は ”はまり役”を果たしてくれました。
主人公セツさんと歴史上実在する人物を巧みに関わらせ、明治後期から昭和の戦後にわたる、壮大な小説です。日本版「風と共に去りぬ」と私は友人達に紹介してます。
厚田村や当時の世相、鰊場の賑わいと衰亡が、せつさんの激しくも凛とした生き方と共に描かれていて、感動的です。何度も涙を流しながら読む小説は何年ぶり、いえ何十年ぶりのことでした。
今はもう廃版になっていて、私は1978年の初版本をネットで手に入れ読みました。
そして最近、主人公「セツさん」のモデルになった方のご遺族とお話しする機会に恵まれました。
小説が余りにもリアルに仕上がっているので、小説が出た当時はモデル=セツさんと思われ戸惑ったことなど、松山善三氏との取材時の様子など色々伺って、二度目の感動。
きっと作家の心を大きく揺さぶり、想像力と創造力を掻き立てる魅力を持った女性で、すばらしい語りべでもあったのでしょうか。

写真上から二枚目:セツさんのモデルになった方の、歌碑
         「北国の 名も知れぬ里 厚田村 師の光にて 世に花開く」
     三枚目:碑がある、厚田公園内の海を臨む小道
     四枚目:厚田公園からの展望

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移住して一ヶ月を過ぎた頃には、野良の仔猫達はやっと、私にだけはすり寄り、目やになども拭かせるようになっていました。でも、けっして抱かれたりはせず、捕まえられるのと、閉じ込められるのに激しい恐怖をもっていました。家猫教育して里子に出すには難しい状態でした。
そんなある日、家の周りで、聞きなれぬ仔猫の悲鳴に近い声が一日中聞こえてきました。何度外に出ても姿は見えず、親を呼んでいるのか、鳴き続けていました。夕方になって声が小さくなってきたものの、やはり鳴き続けており、資材置き場の上や周囲にカラスが集まりだしました。
資材の隙間に隠れていた仔猫をやっと見つけ保護したのがチー太です。
生後一ヶ月過ぎぐらい、体重700グラム弱、健康状態も悪くなく、目やにもなく、毛も綺麗で、人も警戒せず、トイレも躾られていて、どこから推測しても飼い猫の仔です。
漁港は魚が豊富だから生きていけると思うのでしょうか・・都市部から車でわざわざやってきて、捨て猫する人が後を絶ちません。怒り心頭の思いで、いつか見つけたら絶っ対!ナンバーひかえて警察に訴えてやる!!といつも思っていますが・・・夜中から朝方仕事をしている漁師さんしか目撃していないのが実情です。
前置きが長くなりましたが、このチー太こそ、猫家から里子に出た最初の仔猫になりました。
動物病院で虫下しや健康診断をして、一ヵ月後、都会の猫好きなあるご家族に一目ぼれされ、家族の一員になりました。今は正式な別の名前で暮らしているチー太ですが、私の心の中ではいつまでも小さなチー太で、幸せを祈り続けています。