前回まで、身体は「正解」を目指しているのではなく、その時々の条件の中でうまくいく解を探している、という話をしてきました。
今回は、少し具体的な例から考えてみたいと思います。
慢性的な腰の痛みを抱えている人が、腰をなるべく動かさないようにして生活していることがあります。これは、決して不合理な行動ではありません。
腰を動かすと痛みが出る。動かさなければ痛みは増えない → だから動かさない
その時点では、これはかなり筋の通った戦略です。身体が「この動きをすると痛みが出るかもしれない」という予測を持っているとすれば、固めることは合理的な対処になります。問題は、その予測が更新されないまま残ってしまうことです。
身体を脅かしていた要因が変化したあとも、以前の予測が残っていることがあります。身体はこれまでと同じように固め続けます。痛みが減ることと、動いても大丈夫だと身体が信じることは、別の話なのです。
ここで、「腰を反らさないでください」「もっと力を抜いてください」と言葉で伝えても、あまりうまくいかないことがあります。それは、言葉で理解することと、身体の予測が変わることは、別の回路だからです。
身体にとって必要なのは、実際にその動きをしてみて『予測していたほど悪い結果にならなかった』という経験そのものです。たとえば、普段避けている前屈の動きを、痛みを増やさない範囲で少しだけ試してみる。そして「あれ、思ったより大丈夫だった」という感覚が返ってくる。
この一回の経験だけで、すべてが変わるわけではありません。ただ、こうした「思っていたより大丈夫だった」という経験が、いろいろな場面・いろいろな動き方で積み重なっていくと、身体の中の予測は少しずつ書き換わっていきます。
ここで一つ注意しておきたいのは、これは「一度安全だと確認できれば終わり」という単純な話ではないということです。ある動きが一回大丈夫だったとしても、別の状況、別の速さ、別の姿勢では、また新しい不確実性が出てきます。だからこそ、少しずつ条件を変えながら「これも大丈夫だった」を重ねていくプロセスが必要になります。
これは、以前の回で話した「探索」そのものです。動きの選択肢を一つずつ試し、その都度、予測と実際の結果を照らし合わせていく。そうやって、身体は少しずつ「使える動き」の幅を広げていきます。
もちろん、慢性的な腰痛は、組織の状態や心理的な要因、生活の中でのストレスなど、いろいろな要素が絡み合っています。動きの予測が書き換わることだけで、すべてが説明できるわけではありません。
それでも、「痛みが怖くて動けない」という状態に対して、身体が少しずつ「大丈夫だった」を積み重ねていくという視点は、その人の中で起きていることを理解する手がかりの一つになるのではないかと思います。
藤原宮跡の蓮もそろそろ終わり。朝夕少し涼しくなってきました。
*神経生理学(2026/2/16~開催)
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