前回、自分の身体のイメージと、実際の身体との間にズレが生じることがある、という話を書きました。下り坂を走っていて、スピードをコントロールできずに転んでしまった経験です。「これくらいなら走れるだろう」と思っていたのに、実際には身体を制御しきれませんでした。

 

この経験を振り返っていて、もう一つ考えたことがあります。それは、身体を動かすことと、身体の動きを制御することは、同じではない、ということです。

 

走るとき、私たちは脚を前に出します。でも、走るという動作はそれだけでは成り立ちません。身体を前に進める。接地したときの力を受け止める。速度を調整する。必要なら減速する。そんなことを繰り返しながら、私たちは走っています。

 

下り坂では、この「受け止める」「調整する」の比重が大きくなります。重力が身体を前へ加速させる向きに働きやすく、接地のたびに、その勢いを抑える必要があるからです。平らな道と同じ感覚で脚を出していたら、受け止めきれなかったのかもしれません。

 

では、身体はこうした変化にどう対応しているのでしょうか。

 

動くたびに、必要な力を計算しているわけではありません。これまでの経験から「このくらいでいけそう」と、多くは意識しないうちに予測して動いています。動き出せば、関節の位置や動き、筋の長さや張力、足が地面に触れた感覚などが返ってきて、神経系はそれをもとに調整を重ねます。動く前から準備していることもあれば、動いたあとの感覚で修正することもあります。

 

環境が変われば、身体に働く力が変わり、神経系に求められる調整も変わります。そして、神経系がどう調整するかによって、身体に生じる力もまた変わります。力学と神経系は、切り離せない関係にあるのです。

 

動きを考えるとき、私たちはつい筋肉に目が向きます。どの筋肉が働くのか、どこを強くするのか。それはもちろん大切です。ただ、それだけでは説明しきれません。同じ大きさの力でも、姿勢や力の作用する位置・方向が変われば、関節を回転させる作用は変わります。同じエクササイズでも、床の上で行うのとリフォーマーの上で行うのとでは、身体に加わる力の条件が違います。

 

筋肉がどう働くかに加えて、身体にどんな力が作用していて、身体がそれにどう応えているのか。そこまで見て、はじめて動きの全体像が見えてくるのだと思います。

 

身体を動かすとは、単に筋肉を働かせることではなく、身体と環境との関係の中で、力を調整し、動きを制御することでもあるのです。身体に働く力と、神経系による調整。その両方から考えることで、私たちの動きを、より深く理解できるのではないでしょうか。

 

 

 

 

今日は愛犬の6歳の誕生日でした。

これからも健康で元気でいてほしいです✨

 

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今年、私はよく怪我をしています。

その中の一つに、今思い返しても「なぜあそこで転んだんだろう」と思うものがあります。

 

走っていたときのことです。下り坂だったので、自然とスピードがついていました。

「このくらいなら走れるだろう」と思って、そのまま走っていたのですが、だんだんスピードをコントロールできなくなってきました。

「あれ、無理かも」

そう思ったときには、もう遅い。そのまま転びました。笑

 

考えてみれば、昔ならもう少し速いスピードでも身体がついてきたはずです。そして、「これは無理だ」と思ったら、もっと早い段階で速度を落としたり、止まったりできていたと思います。

 

ところが今回は、「これくらいなら走れるだろう」と思って走り始め、「あれ、無理かも」と気づいたときには、身体を制御するための時間が残っていませんでした。

 

この出来事を振り返っていて、ふと考えました。私は、自分の身体を少し勘違いしていたのかもしれません。

実際の身体は以前とは少し変わっている。でも、「自分ならこれくらいできる」という感覚は、昔のままだった。

つまり、「今の自分の身体」と「自分が思っている身体」の間に、少しズレがあったのです。

 

私たちは、毎回「今日はどのくらい走れるか」「今の自分の脚はどのくらいのスピードに対応できるか」を測定してから動いているわけではありません。これまでの経験をもとに、「これくらいなら大丈夫」「このくらいなら止まれる」「この動きならできる」と予測しながら動いています。

 

普段は、それでほとんど問題ありません。でも、身体の状態が少しずつ変化しているのに、その予測が以前のままだったらどうでしょう。実際の身体と、自分が想定している身体との間にズレが生まれます。私の場合、それが下り坂という条件で一気に表面化したのだと思います。

 

もちろん、この転倒を「身体の衰えが原因だった」と単純に考えることはできません。路面やスピード、そのときの状況など、いろいろな要因があったはずです。

 

ただ、この経験から考えさせられたのは、「自分の身体を知っているつもりでも、そのイメージはいつの間にか古くなっていることがある」ということでした。

 

身体は、少しずつ変化していきます。筋力や柔軟性が変わっていく。反応の速さが変わっていく。バランスを取る能力や、力を調整する能力も、少しずつ変わっていくかもしれません。

 

けれど、その変化を私たちは毎日実感しているわけではありません。だから、「昨日までできていたこと」が今日突然できなくなるというより、身体の変化に対して、自分の身体についてのイメージの更新が少し遅れている。そんなこともあるのではないでしょうか。

 

そしてこれは、年齢を重ねたときだけに起こることではありません。

怪我や手術のあとや、長く運動を休んだあと。あるいは、仕事や生活が変わって身体の使い方が変わったとき。

私たちはそのたびに、「今の自分の身体は、以前とは少し違う」ということを経験します。

だからこそ、身体を動かすことには、「身体を鍛える」ということとは別の意味もあるのだと思います。

 

実際に動いてみる。思っていたよりできるのか、できないのかを感じてみる。以前とは違うところに気づく。そして、その経験をもとに「今の自分の身体」を知り直していく。

私たちは、自分の身体を完全に知ってから動いているわけではありません。動いて、感じて、その結果をもとに、また自分の身体についての理解を更新していく。

そうやって、私たちは「今の自分の身体」を知っていくのかもしれません。

 

 

 

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前回、痛みがなくなったあとも、「身体の状態」と「身体についての予測」は必ずしも同時には変わらない、という話をしました。痛みが引いても、「また痛くなるかもしれない」と感じることがあります。

 

では、そもそも私たちは、どうやって「今、自分の身体はこういう状態にある」「この動きなら大丈夫」と知っているのでしょうか。

 

私たちは、いつも身体を目で確かめながら動いているわけではありません。目を閉じていても自分の手がどこにあるのか分かりますし、背中がかゆいときは、見えなくてもちゃんとかゆいところに手が届きます。筋や関節などからの感覚(固有感覚)をはじめ、さまざまな感覚の情報をもとに、脳が「今、自分の身体はこうなっている」という表現をつくっているからです。

 

そして、その表現は固定されたものではなく、経験によって更新されていきます。

 

痛みを経験すれば変わることがありますし、新しい動きを経験して「こんなところまで動けるんだ」と変わることもあります。逆に、長いあいだ動かしていなければ、「自分にはできない」と感じるようになることもあります。

 

たとえば、「肩甲骨を動かして」と言われても、最初はどう動かせばいいのか分からないことがあります。それでも経験を重ねるうちに、少しずつ動かせるようになっていく。それは、筋肉が急に変わったというより、「自分の肩甲骨」についてのイメージが、少しずつ細やかになっていくことなのかもしれません。

 

私たちが持っている「自分の身体」のイメージは、経験の中でつくられ、更新され続けているのです。

 

今回の腰痛をきっかけに、私はあらためてそのことを考えました。

 

痛みは、身体からの情報をもとに、脳が「守るべきか」を判断して生まれる感覚です。そしてその感覚によって変わるのは、痛みそのものだけではないのかもしれません。

「自分の身体は、どういう身体なのか」
「どこまで動けるのか」
「この動きは大丈夫なのか」

そんな身体についてのイメージや予測も、一緒に揺らぎます。そして、そのイメージが変われば、動き方も変わっていきます。

 

身体を学ぶということは、筋肉や関節を動かすことだけではなく、「自分の身体についての知識」を少しずつ更新していくことなのかもしれません。

「あ、こんなふうに動くんだ」

ピラティスのセッションのあと、クライアントさんからそんな言葉を聞くことがあります。

最近、あなたにもそんな瞬間はありましたか?

 

雨の日が多いですが、稲はなんとか実りの季節を迎えそうです🌾

 

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前回、痛みが消えたあとも、「身体の状態」と「身体についての予測」は、必ずしも同時に変化するわけではない、という話をしました。今回は、その予測がどのように少しずつ変わっていくのかを考えてみます。

 

痛みを経験したあとは、動きが慎重になります。これは身体を守るための自然な反応です。一度痛みを経験したのであれば、「次は同じことが起きないようにしよう」という予測が生まれるのも、ある意味では合理的です。

だから、「痛みがなくなったのだから、もう普通に動きましょう」と言葉で伝えられただけでは、すぐに以前と同じように動けるとは限りません。身体にとっては、「本当に、もう大丈夫なの?」という確認が必要なのかもしれません。

その確認は、説明を聞くだけでなく、実際に動いて、感じて、確かめることによって行われます。

「このくらい動いても大丈夫だった」 「思っていたほど怖くなかった」 「こちらの動かし方なら、楽に動ける」

そんな経験が少しずつ積み重なることで、身体についての予測も変わっていきます。

 

ただし、この変化のしやすさは、痛みの強さや続いた期間によっても変わってきます。痛みが強かったり、長く続いたりした場合には、組織そのものはすでに回復していても、「動くのが怖い」という感覚だけが残ってしまうことがあります。実際には特に問題がなくても、身体の予測だけが「まだ危険」のままになっているような状態です。

 

今回、私自身は比較的早い段階で痛みが軽くなったので、結果として「また動ける」という経験も早く得ることができました。ただ、それが痛みの回復を直接引き起こした、とまでは言えません。急性腰痛が改善していく過程には、組織の回復や炎症の変化、神経系の変化など、さまざまな要因が関わっています。

 

それでも、自分の身体を観察しながら、「今はここが痛い」 「この動きではどうだろう」 「少し変えてみると、何か感じ方が変わるだろうか」と確かめていくことには、意味があったように思います。

 

痛みがなくなったことだけではなく、「自分の身体は、またこれくらい動ける」という感覚を取り戻していくこと。今回の経験では、それも回復の一部だったように感じました。

そして、この「自分の身体は、これくらい動ける」という感覚は、いったいどこから生まれているのでしょう。私たちは、見えない自分の身体について、どうやって「ここまで動ける」「この動きなら大丈夫」と知っているのでしょうか。

次回は、そんな「自分の身体についてのイメージ」について考えてみたいと思います。

 

彼岸花が一気に咲いてきました。

 

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先日痛めた腰も、すっかりよくなりました。 でも、ふと思ったのです。痛みがなくなったら、身体の中の「痛い」という予測も、すぐになくなるのでしょうか。

 

普段、私たちはあまり自分の身体のことを意識していません。 歩くときに、「今、右足を何度動かそう」 「膝は何度曲げよう」などと考えることはありません。自分の身体がどこにあって、どのくらい動かせて、どのように動けばよいのか。そうしたことを、私たちはある程度「分かっている」からです。

 

ところが、痛みが出ると状況が変わります。腰が痛くなると、「前に曲げるのは大丈夫かな」 「この動きは腰に悪くないかな」 「また痛くなったらどうしよう」と、急に腰の存在を強く意識するようになります。そして、それまで何気なく行っていた動きが、少し怖くなったり、慎重になったりします。

 

これは、単に「痛いから動けない」ということだけではありません。「自分の身体は、今はこのくらいしか動けない」という、身体についての捉え方そのものが変わっている、と考えることもできます。

 

例えば、腰痛がほとんどなくなったとしても、「まだ前屈は怖い」 「腰を反らすのはやめておこう」 「また痛くなるかもしれない」と感じることがあります。一方で、実際に少し動いてみて、「あれ?思ったより大丈夫だった」という経験をすると、次はもう少し動けるようになるかもしれません。

 

ここには、
・身体の状態そのもの
・「自分の身体は、これくらい動いても大丈夫」という予測
という、二つの違いがあります。そして、この二つは、いつも同時に変化するとは限りません。身体の状態が回復してきても、これまでの経験からつくられた「怖い」「危ない」という予測が残っていることがあります。逆に、実際に動いてみた経験によって、その予測が少しずつ変わっていくこともあります。

 

来週は、その予測がどう変わっていくか、を考えてみようと思います。

 

近所では彼岸花が出てきました。

今年は少し早い気がします。

 

 

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