とろけるように美しいアニメーション!
リッチで行き届いた作りこみでおなじみのピクサーの作品。
DVD楽しみにしていて、購入。
劇場で観ろって感じだけど、そこはそれ、そういう性質だから。
ニモにはどうも食指が動かなかったけれど、インクレディブルには興味津々だった。
人間がメインの作品は初ではないだろうか。
だから特別な思い入れを予測していた。
なおかつヒーローモノということだし作り手としても特別気合入るんじゃないだろうか?
ニモは観て無い。
これは真っ先に観る!
自分の中ではそれくらい差別化している。
作っている人たちはパートを担当しているので、外野が思うほど、作品ごとに差を感じていないかもしれないけれど、出来てくる完成品のもつ意味合いや重さは違うはず。
かたやお魚、かたや人間。
作る難しさも作業量もそれなりに違ってくると思うけど。
作業量(コスト)や、作品の制作スケジュールなど、かなり意図的にコントロールしてるんじゃないかな。
つまりそのときそのときのバランスというか。
完全に想像で書いてるけど、企業としてはそういうことはうまくやるはずだと思う。
しかしシステム自体は人間単位で違ってくるから、その時点での最高のポテンシャルを出さざるをえない。
だからニモもまちがいなくクオリティは高いにちがいない。
作品の順序は周知のとおり「モンスターズインク」「ニモ」「インクレディブル」と続く。
モンスターズインクは劇場でたまたま観ることができて感動。
その後シチュエーションが海とお魚だということで、ちょっと興味がそがれる。
でこんどの「インクレディブル」でついに人間!
思えば「トイストーリー」からいちおう人間は出ていて、表現自体さほど問題を感じないけれど、
そこは当時のこと、「トイストーリー」もさまざまな思惑を込めて考え出された苦肉の策について、
最高度のクオリティを与えることが命題であったと思う。
当時の技術レベル、アプリケーションはお金さえかければいくらでも高等技術が使えるとしても、
レンダリング時間が現実的でなければ商業的には続かなくなってしまう。
ピクサーがコンスタントにこういったハイエンドでユニークなアニメ作品を出し続けられるのも、先を見越したクレバーで思慮深い計画性がしっかりしているからだといえる。
その場かぎりの最大のポテンシャルで行かず、レッドゾーン手前できっちり仕事する。
いつでも「次」を視野に入れているからそういう体力も確保する。
そういう仕事としていままで継続してきて、ついにここへきて「人間」「アクション」といういちばんおいしいと思われるテーマに正面から挑んでいる。
「挑んでいる」という表現はなんだかそらぞらしい、「満を持して」という感じが本音だろうし、それでもあくまでもディズニーの作品としての品格を保つような表現のレギュレーションの中でばっちりきめている!
これはすごい。
ここにテーマと「もの作り」のダブった在り方が見えてくる。
インクレディブルのテーマ性、「失われたヒーロー」っていうものがまさに3DCGにたずさわってきたピクサーの本音からやりたかったテーマでもあるかもしれないから。
「アクションもの」を3DCGで表現する、というごくごくストレートな必然性をあえて封印してきていたから。
ここへきて、それが実現したという感じだ。
実写の映画でもゲームでも、こういったアクションというジャンルは花形だといえる。
そういう別のメディアで華々しく見える「アクション」や「人物表現」というのは、ピクサーの作業で行われたとしたら、さぞや魅力的な結果になるだろうと考えていた。また同時に、なんですぐにやらないんだろう?とも思っていた。
おもちゃであったり、虫であったり、怪物であったり、魚であったり.....。
なかなか人間が作られなかった。
そうしている間に「ファイナルファンタジー」なんて「リアル」を売りにしたCG映画もできてしまったりもした。
ただ、そういうご時世だと、けっこうアマチュアのレベルでも人物を作るなんてことはたいして特別な仕事ではなくなってきていたりもした。
実際、人物を作るなんてこと自体は技術的にかなり前からクリアになっていた。
論理的に考えうることはコンピューターの中では即実行可能となるのだ。
コストを度外視すればの話。
ただ、その時点でそれを見せるか押さえるかというだけの話で、あえて押さえるという場合の「意図」を読まねばならない。
これ観るがわの義務。
ただディズニー&ピクサーはそういった余計な詮索を大衆にさせないほどのユニークさを備えるべく努力していると思う。
それはやっぱりそれぞれのストーリーにこめられたCG界やら周囲のメディアの環境を含めた風刺であり、そのつどきっちり押さえてくるテーマ性によって形成される一塊の価値観だといえる。
日本の作品はディテールこそマニアックでとても魅力的だけど、これが無いに等しい。
ディズニー作品はキャラクターデザインが、そのまさに性格としてのキャラクターと形態、テーマ性などと密接に結びついて、価値観が互いにクロスしている。そしてともすれば空気に近い感じにまで磨き上げられるがゆえ、かえって単体としての印象を落とすところまでつるつるになる。
ディズニーのユニークさはキャラクター設定そのものにある。
あくまでも漫画であることを忘れないというのが原則。
そこで与えられる自由度。
これを最大限活かしきるところに偉大さがある。
観ればわかることだけど、あえて書くと、
メインキャラクター以外のサブキャラの動きまでまさに芸術品のように美しい。
この美しさは「漫画」的であり、ようするに「風刺」の美しさである。
「風刺」を極限まで試している。
そのキャラクターの温度管理は、統一された質感によってなされる。
これは絶妙なスケール管理にあると思う。
それぞれのシーンのなかでからむキャラクター同士の比率がそのまま作品のユニークさにつながる。
つまりあらゆる意図が「作品」なので、一瞬たりとも目を離す隙など無いし、コンマ1秒たりとも手抜きが無い。
漫画だからこそなしうる表現というものがある。
キャラクター一人一人の性格を反映したスケール感、しぐさ、ものごし、すべてにおいて人を納得させるための表現に徹していて、単純な「人の動き」なんて次元で苦労していない。
ここが、モーションキャプチャーなどの技術寄りで、かつ低コスト管理的な話題からはほど遠い世界である。
モーキャプも使い方だと思う。普通コスト削減のために言い訳で多用されてるように見える。まあそれはいいとして。
いっときモーキャプ是非論なんてあったけれども当時からしてナンセンスなこと問題にしてるな~、なんて思ってた。
逆に考える。
モーキャプを必要とする表現って何なのか?
ではそこから導き出される、手付けアニメとモーキャプをシームレスに表現する手間だとかノウハウだとかは、実は何なのか?
ちょっと一般的ではないけれど、映画なんかの製作現場ではこういう問題に常にとりくむスタッフがいるわけだから。
ようするにこの世の価値観なんてそのときのトレンドにかなり左右されるものだと思う。
かといって左右されてばかりじゃ、真にいいものは作れないのも現実で、そのハザマをうまくコントロールする頭脳がピクサーのスタッフには在るということ。
そしてかなり早期から技術的な問題と本来の表現すべきことの温度の違いを正確に測っていた。
親和性を考えるのではなく。必要な技術だけを吟味していって、捨てるべきものはきっぱり捨て去ってきた。
そこに心の乱れは無く、ただひとつ「アニメ表現」というものがあり、「漫画のこころ」というものがはっきりあったと思う。
その規範にもとづくかぎり、「いらないものは要らない!」とはっきりとした態度でしめしてきた。
声高に技術を誇るなんて必要性がなく、作品のクオリティだけで勝負すべきだと貫いてきた。
この結果。
各キャラクターついて言うと、
まずお父さんは実は脇役なのだ。
もうすでに自覚あるヒーローとしてすべてのきっかけをつくる柱のような存在だから。
単に「力持ち」という魅力しかない。
女性から見たら「マッチョ」だから魅力的なんだろうか?
愛嬌があるし「やさしさ」という面が強調されるので、体つきはマッチョというよりもただ「ごつい男」っていうイメージで作っていると思う。
奥さん。
マニアにはたまらないと思う。
男性の目は釘付けのはずだ。
正直こんな便利な奥さんは「ほしい!」って思う。
そう、「便利」っていうのは実際重要なファクターだと思う。
この奥さんはだんなさんにとって非常に助かる、まさに「一家に一台」的な多機能性を象徴する存在としてデザインされている。
その結果ゴム人間に決定。
同時にセクシーな表現にもつながっていることも特筆しておく。
手塚治虫先生も言うようにメタモルフォーゼという行為そのものがセクシーを感じさせるという根本聖典にのっとっているかのような符合。
おねえちゃん。
「ひっこみじあん」ということで透明エフェクトと、「ひきこもり」ということでシェルターエフェクトを能力として備える。
こういう小憎らしい設定がアメリカン!
よくみるとカワイイ!という絶妙なデザインも秀逸。
奥さんとの美しさのバランスに注意。
おとうと。
これはもうそこらへんにいるちょこまかうざったらしい「ガキ」そのまま。
だから高速性能を備える。
わるものの島にきて、敵に追われてる時、陸地がとぎれて思わず水面を走ってしまい、自分の能力のすばらしさにあらためて感動するあたり、音楽による盛り上げ効果もあいまって、思わず感涙!!ここ泣くところだから注意してて!
そこから家族が合流するシーンはテンポを意図的に高速化し、視聴者をふりまわし、ありきたりな再会シーンを拒む作り!
「能力を介して解りあう家族」という感じ。
そういう新鮮な感動に気がつくようにとてもよく表現されている。特筆もの。
本人たちは必死で戦っていてむしろそれどころではないような状況を視聴者に見せることで、第三者からの俯瞰的視線を印象づけて、他人からみてその家族が「うらやましく」感じられるほどにしているのではないか、ととれる。
そういう視点の移動が制作の意図にはあるところだと思う。
ここにきて一丸となった家族の姿を目の当たりにする感動。
当の家族はそのことすら一瞬忘れるほどに動いていて、瞬間家族を認める。実ににくい演出。
あかちゃん。
これは最後までなぞの存在。
最後明かされる。
わるものの秘書。
奥さんとの美しさバランスに注意。
ストーリーがすすんで中盤からのメンタル的変化による表情表現にも注意。アニメート担当者の魂在り。
保険金の相談にきたおばあちゃん。
しぐさが最高にいい!
これだけで短編として成立するほどの美しさと完成度。
これだから目がはなせない!
会社の上司。
これもおばあちゃん同様、美しい!
デザイナー。
歩き方最高!
「ちび」ぐあいもいい。
足先まで魂のこもるフォルムとアニメート。
ここにも担当者の魂とセンスを感じる。
スケート選手みたいなヒーロー。
これは準主役的なサブキャラで力入ってる。
キャラそのものの表現は言うにおよばず。
空気中の水分を凍らせてスケートして突っ走る自分のコースを構築しながらすべるアクションは必見!
ここはおぷらんぷらんした手の振り方、氷柱の構築と崩壊のアニメ、スピード感など、鳥肌もの!
「幻魔大戦」の後半、主人公の「超能力!絶対零度!」を思い出した。あれよりもいい。
このキャラはそういうとってもおいしい役どころ。
すごくかっこいい!
まさに失われた伝説の再生といった感じで、ここらへんも涙もの!
あとインクレディブルが乗ってる黒い車。
ちゃんとアメリカンV8サウンドしてるじゃん!サイコー。
そうそう、なんかの商品のタイアップみたいなキャンペーンで応募するとコルベットC5が当たるてぇやつがあったっけ。
実は心憎いプレゼントだったんだってこと。
映像見てればわかる、やっぱりあの音にこだわってるところがアメリカ人にはある。
すくなくとも「これぞ!」と感じられるものが、あのフィーリングにはあって、あんまりシルキーにヒステリックに繊細に回ってもらっては「なにか違う?」とみんな感じてしまう。
なににも増して重要なものとしての「あの音を奏でる車」というものがある種の一定のステイタスにはちがい無いと思う。
それと随所に「家族」が風刺される。
高速の出口のタイミング指示で言った言わないとか、「あるある!」って感じ。
とまあ、こんなぐあいでピクサー的にも失われた時間をとりかえして「ざまあみろ!」っていう位置づけの作品だろうから、個人的には他のピクサー作品とは一線を画している。
強引な言い方だけど、たとえ意図して無くても、結果としてはそういうことにしてまちがい無いはず。
編集とか、画面作りとかもうこれに至っては手馴れていて、モンスターズインクあたりから完成の域に達していると思う。
今回はほんと、満を持して「人間」「アクション」を披露してくれた!
なんだか関係なしに溜飲が下がった思いがする。
これでいいんだよピクサー!
けっこうディズニー色薄いと見たけれど、どうなんだろう。
契約も一定の期間があったように記憶していたけれど、どんなだったかな?
わすれちゃった。
けっこう「節目」って感じかな?
かんぐりすぎかな。