前からモヤモヤしていること。
こないだドイツに在住の人の本を読んだ。ミュンヘンに住んでいた時に、街の美しい景観が保たれて個性があることに、誇りを感じていたと書いてあった。都市の景観は市民の財産である。
海外に行かれて、このことに共感される人は多いのではないかと思う。
日本のお洒落な雑誌は海外ロケで撮影されていることが多い。
日本でも京都や金沢、純和風の景観を保っているところはあるけれど、多くはない。そのことが最近ずっと引っかかる。
日本の町はもっと綺麗になれるはずなのに、何故ならないのだろう。と思いながら町を歩くことが多くなった。
海外でもベルリンのように、爆撃後近代の建物を多くたてて、比較的日本に似た景観になってるところもあるが、多くは昔の建物をそっくり復元している。もちろんそれには莫大な経費がかかるが、観光資源としても、もちろん市民の財産としても税金が使われている。
片や、戦後山のように建てられた個性のない豆腐のような建物が手入れもされず、大量に劣化時期を迎えている日本。廃墟化しても、所有者の意思確認ができないと撤去もできないというのは公共の福祉には反していないのかと思う。
最近税制が変わったとたんに国道沿いの古い民家が一気になくなり、町並みというのは目に見える市制税制なんだなあと実感した。日本は要するに、建築物に対する制度がまだまだということなんだろう。
もうひとつ気づくのは、旧社会主義国だった東欧のほうが、今行くと建物が綺麗だということ。保存状態はよくないが、建物のオリジナリティ、装飾性が中世のまま保たれていて観光地として見応えがある。プラハ、ブダペストなどの建物は今になって素晴らしさが見直されている。
たぶんそうなったのは、経済がそこまで豊かでなかったせいもある。建物を立て直すほどの経済発展がなかった結果、昔の建物がそのまま残り、それが景観の保存になり、観光資源になっているという、皮肉な結果だ。