ありがとうございました | ありのす

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混沌とした毎日の日記
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この数日間、ご心配をおかけした方、メールをくれた方、本当にありがとうございました。


お問い合わせいただいた方、はっきりしたお答えができずに本当に申し訳ありません。しかし、孤立していて消息がはっきりしない方は思いのほか多いのではないかという気がします。

それというのも、避難所では携帯も電話もネットも使えないからです。

今、連絡用にと設置されている171、グーグル被災者情報、ドコモなどの伝言板、どれも使えない状況にある方が結構いるということです。

私も驚きましたが、今回のような状況下ではあまり役に立ちませんでした。


仙台市内では電気も水道も通ったところもありますが、ガスはかなり時間がかかるようです。

電気ポットが欲しいといわれましたが、まだ被災地への小包などは引き受け停止になっています。

仙台市内のスーパーはもうカラッポだということ。

実は東京のほうも、供給がないのかやはり食料などの売り切れが多いようですね。


うちのちかく、長野県のスーパーも棚がガラガラのところがあると聞きました。停電対策として乾電池をごっそり送っている人もいるようです。

なんだか、物資の不足が連鎖してきている感があります。

供給してもらうとしたら西日本からですが、間に合うのでしょうか。


今回の地震で株価などは暴落しているようです。


ガソリンは、この周辺では一人10リットルしか買えません。制限がかかっているので、車で遠出は控えるつもりです。


今回のことで一番変わったのは、自分の意識かなと思います。家族の安否確認ができたあとも、不安でしょうがありません。

うちは家族がばらばらに生活していますが、電話回線一本でつながっていることの不安定さを思い知りました。

今までどれだけのほほんと生活してきたかよく分かりました。


かつて読んだ村上春樹の「ノルウェイの森」のなかにこういう1文があります。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

これはまさしく今の私の気持ちです。


地震の後で、自分のどこかが変わってしまった感覚があります。

多分被災地はこれからどんどんたくましく復興していくんだけど、完全に復興したとしても、自分の中のその気持ちは変わらないような気がする。

これからはいつもどこかでリスクを意識しながら生活するようになるんだと思います。そして、むしろそのほうが世界的に見れば普通のことなのかもしれません。


今回のことで、自分がその場にいないにも関わらず、死というものを激しく考えさせられました。

まだまだ気持ちが不安定です。地震は、私の中の平穏だった気持ちをがたがたに崩して去っていきました。


今でもテレビの報道を見るととても不安定になります。

でも、、今も不安な気持ちでいらっしゃる方が何万人という単位でいらっしゃいます。私と同じ経験をされている方の映像が、胸に突き刺さります。、

一刻も早く、少しでも多くの方が無事に連絡をとりあい、再開されることを心から願って止みません。

今の私の偽りない気持ちです。