好きなことをする余白のつくりかた。「がんばること」に慣れてしまって、自分のことが後回しになっている全ての人へ。

好きなことをする余白のつくりかた。「がんばること」に慣れてしまって、自分のことが後回しになっている全ての人へ。

介護でUターン後、下積み10年を経て会社設立。子育てと仕事の間で揺れる日々。“好きなことをする余白”を思い出す、やさしいエッセイです。

父は昔から“ハシゴ”が好きな人だった。

お酒を飲みに行っても、途中で「そろそろ河岸を変えるか」と言い出すタイプ。

 


話題を変えたいのか、気分を変えたいのか

──たぶんその両方。

 

それに、
次のお店までぶらぶら歩く“途中の時間”、

まだ帰らない、続きがある、

というクッションのような時間が好きなのだ。

 

 

近頃、あんまり飲みに行かなくなった父と、夜はあんまり出たくないわたしは、
昼間に喫茶店を相変わらずハシゴしている。

 

 




1店目は、ホットコーヒーとナポリタンなのが、

2店目は、カフェオレとプリンだったり、

ちょっとしたバリエーションがあるのです。

 


 

「イタッーー!!!!」

先日、料理中に右手の親指の腹をざっくり切ってしまいました。

 


けっこう深くて、絆創膏を何重にも巻いているけど、

しばらくジンジンするのは止まらない。

 

 

痛い、痛いだけじゃなく。

すごく不便なのです。

 


キーボードも打ちにくい、服も着づらい、ピアスもつけにくい。

 


桃の皮をむこうとしたときなんて、

「あ、ダメだ」
親指の腹を使うから、むけないんだ・・・ということに切れ目を入れてから気付きました。

 

 

仕方なく左手でチビチビむきましたが、
むきにくいのなんの。

 

 


 

さすが、親指。

知らず知らずのうちに、どれだけ助けられてきたのか。

 

 

「指が5本ある中で、“親指”っていうくらいだもんね」

 

 

やっぱり“親”って、ルーツであり、導き手であり、
今だに自分の“要”になっている存在なんだな、と。

 

何をするにも、

ちょっと待って、と一旦停止するたびに、

思い出されるのです。

 

 


 

 

そう、私の仕事観や、人との付き合い方。
「ちゃんとがんばる人が報われてほしい」という揺るがない気持ちも、
「なるべく機嫌よく生きていたい」とのほほんとしていたいと願うのも、
それは、両親との関係性のなかで育まれてきたものだと思う。

 

 

父はよく怒るけれど、それも頭の体操みたいなものだろう。

きっと日々あれこれと考えていると、発散することが必要なんだ、ということにしよう。


母は予定がいっぱいで、それを楽しそうにこなしている。

親指の腹のように、柔軟性のある座布団を怒りっぽい父のためにスッと差し出しているのだろう。

 


そんなふたりとわたしは似ていると思う。

 

 


 

 

絆創膏ぐるぐるの親指も、ようやく痛みがやわらいできた。

 


四コマ漫画のような日々のなかで、
どこからきてどこへ行くのか、それは誰となのか、たまには殊勝にそんなことも考えながら、

あっという間にすぎていく毎日を機嫌よく暮らしていきたい。

 

 

 

考えすぎて動けないあなたへ。
あるいは考えることで動くことを保留にしているのかも。


 

 

 

考えすぎて動けない、モヤモヤはあるけど言語化できない。
いつも同じ考えにたどり着いて、イヤになる。
そんなふうに、頭の中でぐるぐるとループしてしまうこと、ありませんか?


わたしも飴を舐めるようにグルグルとするクセがあって、
ここでこういうことを言っても仕方ないしなとか
言いたいことを飲み込んだ時も、
こういう言い方をしたら良かったなと後悔する時も、
まぁ色々とありますが、
 

 

わざわざヘンな味のする飴を舐めなくてもいいのに、
一つまた一つと口に入れたりするのです。

 

 

そういう時は、飴を出すといいんです。
飴を出すというのは、そう、グルグルとする思考を誰かに聞いてもらったり、
紙に書き出してみたりしたらいいんです。

 

 

わたしがご提供している「戦略会議」では、
問いかけを重ねることで、少しずつ“整理”をしていく時間です。

 

 

それはまるで、ルービックキューブをカタカタと整えていくような感覚。
最初はぐちゃぐちゃだった色が、気づけばパネルごとに揃っていくように。

 

「あ、それ避けてたかも」
「やっぱりこれに力を入れたい」

 

そんな本音がポロッと出てきたとき、私は心の中で「よし」と思います。
本音って、やっぱり人を動かす原動力ですよね。

 

 

 

でもこの「本音」、ひとりで考えているだけではなかなか出てきません。

 

 


25➗5=5 余りなし、

 

 

みたいにスパッと答えが出るものではないからこそ、
人は考えすぎて沼にハマってしまいます。

 

 

わたしもそうですが、よく考える人ほど沼りがち。
あるいは、動きたくない気持ちがあって、考えることでうまく“保留”している人もいるかもしれません。

(これも自分のことです笑) 

 

 

でも、沼りながらも、きっとどこかで

「自分は沼っているんだよなぁ」とうっすら気づいていると思います。
 

 

そんなときこそ、自分とは異なる視点を持つ“第三者”との対話を試してほしいのです。
いつもと違う問いかけから、
いつもと違う「解」に出会える。

 

 

気づけば、沼なんてなくて。
スタスタと、行きたい方向へ向かっている自分がいる。

そんな時間に立ち会える「戦略会議」が、私はとても好きです。

 

 

もし今、頭の中でモヤモヤがくすぶっているなら。
一度、壁打ちしてみませんか?

 

・モヤモヤが晴れて次の一歩が明確になったり、

・今年の動きを俯瞰して見れたり
・大切にしたいものが見えてきたり

・やる気が湧いてきたり

・前向きな気持ちになれます。
 

いつでもお待ちしています^^


戦略会議ズーム90分 22,000円
事前アンケートに答えていただき、会議を進めていただきます。
 

 

 

 

バタバタしてて、が口癖だった頃の話をしようと思う。まぁ今も言ってるけど。

 

「ちゃんと休む」が、なぜか後回しになってしまうことってありませんか。

私はそうでした。


10年ちょっとフリーランスをしていた間、
もちろん仕事で、

そして母として、ちょっとは妻として(は、あまりできたものではなかったけど)。


気づけば、いつも「やること」に追われてばかり。


予定はいっぱいなのに、ほっとできる自分の時間はどこにもなくて。

 

 

何のために今の働き方を選んだのか、
思い出せなくなるくらい、目の前のことに押し流されていたように思います。

 

 


ハムスターの滑車のように

そうそう、わたしは子どもの頃、ハムスターを飼っていました。

小さくて、あたたかくて、とてもかわいかった。

 

 

ある日、ゲージから庭に脱走して日が暮れるまで探したけれど見つからなくて、

あたりはどんどん暗くなってきて、

ネコに捕まえられたらどうしようとか

いつもは狭い狭いと思ってた庭が真っ暗な迷路のように感じました。

 

 

結局、庭の壁の隙間からひょこひょこと出てきて、

両手の中におさまったときは、あぁよかった、これで安心と涙が出てきたものでした。

 

 

そう、そのハムスターがカラカラと滑車の中を走っている姿も

かわいい〜と眺めていたのですが、

 

 

そこから大人になって日々をあくせくと過ごしていたわたしは、

まるでハムスターが滑車をカラカラ走っている、というよりも

回る滑車に走らされている、という状態でした。

 

 

ハムスターが運動不足とかストレス解消のために走る姿は微笑ましいけれど、

わたしは追われる日々を過ごしている。

一体何をやってるのかと、胸の奥がざわざわとしました。

 

 

 


どうして休むことが、こんなにも難しいのだろう

根っこにあったのは、やっぱり「不安」だったと思う。


わたしはそもそもは頑張りたくない人間です。

布団やコタツでぬくぬくしているのが好き。

 

 

でも一方で、ゆっくりしてたら置いていかれる気がして。

駆け出しのころは特にそうでした。
周りの人は頑張っているのに、自分だけ立ち止まるなんて!

 

 

「24時間戦えますか?」というキャッチコピーが頭に流れ、

電話もバンバン掛けたり掛かってきたり、交流会もフットワーク軽く顔を出し、

保育園のお迎えには滑り込みセーフかギリギリアウト。

 


「やらねば」「もっと皆は頑張ってる」と思い込み、

「忙しいことはいいことだ病」に掛かっていたんだと思う。

 

 

でも今ならわかるのです。

忙しいという字は、心を亡くすと書くし、
「ちゃんと休むこと」は、「ちゃんと働くこと」と同じくらい、
いえ、もしかしたらそれ以上に、大切なことだったのだと。

 

 

 


足りなかったのは、やる気ではなくて、余白。

やる気がないわけじゃなかった。一応、あった。
誰かの何かの役に立ちたい、そんな気持ちもあった。

ただ、足りていなかったのは「余白」でした。

 

 

たとえば——
「最近バタバタしてて」が、口癖になっていると気づいたとき。
こどもに「ママはいつも忙しそう」と言われたとき。
口内炎がなかなか治らなかったり、
肩こり首こり頭がガッチガチなとき。

 

 

あるいは、

ふと見上げたウィンドウの窓に、楽しそうじゃない人が映っていた。
あ、この人楽しくなさそうと思ったら、自分だった――そんな出来事に、はっとしたとき。

ざわざわとしたさざ波は、「余白が足りてないよ」と教えてくれていたのかもしれません。

 

 


なんのために働いているのか、思い出す瞬間

 

私が大きく立ち止まれたのは、ある日ふと、
「そもそも、なんのために起業したんだっけ?」と自分に問いかけたときでした。

 

 

自分の理想の世界観をつくりたくて、もっと自由な時間がほしくて、
誰かの役に立ちながら、ちゃんと自分の人生も味わいたくて。

 

 

仕事は、本来わたしの理想を叶えるための“手段”だったはずなのに、
いつの間にか、手段に振り回されている。

 


ハムスターが滑車を楽しく回していけてたらいいのだけど、

回る滑車に走らされていたとしたら、悲劇なのか喜劇なのか。

 

 

なんてこった、と頭を抱えてしまった。

とにかくいったん、降りよう。

 

 


私がいま、大切にしている余白時間

「忙しいことはいいことだ病」が流行らないときはない。

何かのキッカケでかかってしまうことは、今でもあります。

 

 

だからこそ予防が大事。

「好きなことをする時間」を少しでもいいから意識して持つようにしています。

 


そうだ、鞍馬寺に行こう、と思い立ったこともあります。

叡電の車窓から見える青もみじ、鳥の鳴き声、湿り気を含んだやさしい風。

 

 

いつもより強く感じた日差しのなかで、
100年前も、100年後もこの風景はきっと変わらないだろうな、と思えた初夏の午後。

あのときの静けさと広がりは、これからも心のどこかに残り続けるでしょう。

 

 

ほかにも、美味しいご飯とシュワっとした泡があったら最高。

気の置けない人たちとの、ほんの短いけれどあたたかい時間。

 

 

香り高い紅茶もいい。

ゆっくりと、ひとりの時間も尊い。

 

 

子どものアルトリコーダーの特訓や、習字セットに名前を書いたり、

家族で早口言葉大会をするのも楽しい。

 

 

そんな時間を、少しずつでも重ねていけたら、
きっとそれが今をやわらかく彩って、
思い出のひとつひとつになっていくんじゃないかな。

 

 

そして10年後、振り返ったとき、
「うん、なかなかいい人生だったかもね」って、
ふっと笑えるような気がしています。

 

 

 


今日はこれで、おしまい。

おしまいに、尋ねてみたくなりました。

仕事じゃない誰のためでもない、
自分のための余白、最近とれていますか? 

 

 

自戒をこめて笑

 

 

 

もしかしたらファシリは、わたしの性分かもしれない

 

大人になってから、こんなことを言われるようになったんです。

 

「藤本さんがファシリすると、場が和みますよね」

 

最初は意外でした。世の中にはファシリが上手な人はいくらでもいる。
けれど、何度かそう言われるうちに、
「もしかして、自分はファシリテーションが向いているのかもしれない」
と思うようになりました。

 

 

そう、考えてみれば、
お互い探り合う初めましての場や、対立構造のある話し合い、
議論が堂々巡りで前に進まないようなミーティング、
――そういう場面が、わたしは昔からいたたまれなくなってしまう


酸欠状態になってしまって、

フェードアウトしたくなってしまう。
 

 

だからこそ自分がファシリできそうな場は、
参加した人たちに「意味のある時間だった」と思ってもらえるようにしたいと
実は、あれやこれやと頭を捻っている。


「言いにくいことも言えた」
「あの人との距離が縮まった」
「やれる気がしてきた!」
そんなふうに思ってもらえたら本望なのだ。


だってミーティングの参加者は、

ただの「役職」や「立場」じゃない。


そこにいるのは、生身の“人”なのだから。
それぞれに友人がいて、好きな食べ物があって、家族や趣味がある人たち。



なんで息をするようにそんなことしてるんだろうと思い返すと、

・・・私には、子どもの頃からの“癖”かもしれない、
4人姉弟の長女として育っているわたしは、ついついファシリしてしまうのだ。


姉弟でケンカしながらもよく遊んだんだけど、

下の弟が、できなくてつまらなそうにしていないか、

上の弟が、物足りなくてやる気が削がれていないか、

そんなことを気にしながら遊んでいたように思う。

 

バランスが崩れるとすぐケンカしたから、

場の空気には敏感になったのかな。

(ケンカすると、父母やおばあちゃんから怒られるからね笑)

そんな幼少期を過ごしたからか、

人が2人以上集まると、誰が何をするのか、誰かばかりが喋っていないか、

そんなことが気になってしまう。

 

そう、ファシリテーションにおいては、

「仕切りたがり」だけでは務まらないと思う。

 


ファシリテーターは、自分を抑える力が必要だ。

 

 

誰かが話している最中に、つい「それはね」「違う違う」と被せてしまいたくなることもある。

けれど、それではただの自己満足。

勝つことが目的ではない。
「この場の空気がどうか」にこだわることのほうが、ずっと大事なのだ。

 

 

ミーティングが時間通りに終わり、

各自のやることも明確になり、

やる気が上がってニコニコと「ありがとうございました」と解散。
終わった後、じりじりと長話はしなくてもいい。

 


それが、私の理想の場づくり。

あぁ、もしかしたら、つい論破したくなる――そんな衝動は、誰の中にもあるのかもしれない。

 

 

でもそのとき、自分がスッキリしても、相手はどうだろう?と想像できる人でありたい。

誰かが勝つと、誰かが負けるのだ。

 

 

若葉マークの人の意見も、

ベテランの声も、「そのように思われたのですね」と、一旦テーブルに並べておく。

 


そうすることで、誰もが「自分の言葉が大切にされた」と感じられる場になる。

だから、ファシリテーションって、

自分勝手やわがままを手放す練習にもなると思う。

 

 

自分を整える場所でもあるのだ。

そう考えると、やっぱり大事なのは「心理的安全性」なのだと思う。

 

 

心理的安全性とは、

「ここで自分の意見を言っても、否定されたり、責められたりしない」

と感じられる安心感のこと。

 


誰かに遠慮したり、萎縮して黙ってしまうのではなく、

素直な気持ちや考えを言葉にできる空気がそこにあるということ。

安心して声を出せる。
その安心感が、互いの理解を深め、いい空気をつくり、前に進む力になる。




そんな場を、わたしは創れているだろうか。

これはなかなか、試されますね笑


誰かが“話してよかった”と思える場を、今日もそっと、つくっていきます。

 

 

 

こんにちは、クラファンプロデューサーの藤本まりです。

 

京都では鉾立てが始まっています。

これを見ると今年も夏が来た、と思います^^



 

「経験者だから説得力がありますね」


昨日の打ち合わせで言われてうれしかったこと。
2019年、わたしはReadyForでクラファン実行者としてプロジェクトをおこなったのですが、
当時は「応援のシャワーを浴びて有り難さを感じるとともに、もう二度とクラファンなんかやらない」
って思ったほど疲弊してしまいました。

ですが、
当時そんなにプロジェクト経験者がいなかったためか相談にのることが増え、
実行者の方の
「こんな世の中にしたい」
「こういうメッセージを届けたい」、

「でもやり方がわからない」
という声に


「わたしがしんどかったことを仕事としてサポートして、
実行者の方には達成に向けて邁進してもらおう」

とクラファンサポートをスタートさせました。


一つひとつプロジェクトは異なりますが、
段取りが掴めてきました。

プラットフォームごとの特徴、
ストーリの組み立てやリターンのノウハウはセンスではなく、
知識と経験が役立つことを知りました。


クラファン成功は、
熱量、商品サービス、クリエイティブの3つの要素の掛け合わせで決まると思いますが、
いちばん大事なのは実行者の熱量だと思います。


世の中に投げかけるプロジェクトという一石が、
さざ波なのか、周りを巻き込んでいける大波を起こすのか、


それはどれだけ熱量を持っているか、
プロジェクト行く末に何を夢見ているかにかかっているといっても言いすぎじゃないと思う。


とはいっても、
さざ波はダメで、大波はエライとかそういうわけじゃなくて、
さざ波を経て大波を起こすような大器晩成型の人もいるし、
最初からフルスロットルでチャレンジできる人もいるでしょう。


さざ波だって大波だって、実行したからこそ、見える世界があります。


伴走者は、実行者の方の

「かっこいいこと、おもしろいことしたい」
「やさしい未来を創りたい」

という想いに寄り添い、実現に向けて背中を押すチームの一員だと思っています。


クラファンプロデューサーになりたい人、いないかなぁ。
人の話を聞くの好きとか誰かの応援したい人、めっちゃ向いてます。



そうそう、7/19水、8/9水に昼スナックするので気軽に喋りに来てくださいね♪
写真は2019年にReadyFORと京都市主催のセミナーに登壇した時のこと。

こんにちは。クラファンプロデューサーの藤本です。

 

 

写真は、すだち蕎麦。

ジメジメ暑い京都では、涼を感じる食べものが欠かせません。笑

 

 

行列のできるお蕎麦屋さん。行列は行列を呼んでひとり、またひとりと増えていきます。

 

 

 

 

「クラファンやる意味あるの?」
 

 

クラファンは自動販売機。

大手のプラットフォームでプロジェクトをすると、

期間限定で人通りの多い大通りに自販機を置くようなもの。

 

 

気をつけなきゃいけないのは、自分の自販機だけじゃないこと。

 

 

前後左右おびただしい数の自販機があって、

毎日120台以上設置される中で、いかに自分の自販機の前に人を連れてくるか。

 

 

プラットフォームは、大通りに人を集めてくれるけど、

通りすがりの人から振り向いてもらうためには、たくさんやることがある。

 

 

めちゃくちゃ美味しそうだったり、

「あっこれは私のためのものだ!」と鷲掴みしたり、

世の中に必要だったり、

面白そう!とワクワクするものだったり。

 

 

プロジェクトの内容もそうだけど、

ちゃんと伝えることもセットだし、しっかり届ける努力も欠かせない。

 

 

大通りに自販機置いたら勝手に売れる、なんてことは幻想でまずは地道にひたすら声掛け運動。

 

 

「この人が言うから一回見てみよか」「応援しよか」みたいな空気をつくろう。

 

 

その空気感に通りすがりの人も

「なんだなんだ」と集まってきてくれる。

 

 

それが周りから火を灯していく1/3の法則で、プラットフォームを使う意味。

 

 

プラットフォームを使わない自前のクラファンは、

人通りの少ない小道に募金箱を置くようなものじゃないかしら。

 

 

 

もちろん使い分けをしたらいいと思うけど、

認知を広げたいとかファンをつくるとか、

メディア掲載を狙いたいのなら大通りに自販機を置いて、

 

 

せっせと自分の周りから火を灯していこうじゃありませんか。

 

 

それをお手伝いするのがクラファンプロデューサーのわたしの仕事です^^

 

 

 

 

こんにちは、藤本まりです。

 

 

あぁまたやってしまった。私っていつもこう。

 

人に気を遣ってばかりで、いいように使われて結局気疲れしたり、

思い通りにいかなくて、イライラしたり、

遅れないようにしようと思ってるのに、また遅れたり、

余計なことを言ってしまって、ちょっと気まずくなったり、

 

枚挙にいとまがありませんが、

そうじゃない人が羨ましいけど、できないわ。

私ってこうだから、仕方がないんだよね。

 

 

・・・

「私ってこうだから??」

 

 

私も長らくそんな風に思っていましたが

それは自分に対する呪いをかけている、

ということに気づきました。

 

 

よく自分らしさ、と言いますが、

自分を構成するものは、

自分で意図的に選べばいいじゃない、と思うのです。

 

 

トートバックに、

いろんな石を入れているイメージです。

 

 

・仕事を頑張る石

・楽しいことが好きな石

・誠実な石

・時間を守る石

・人の気持ちを尊重する石

・サボりたいという石

・人を思う通りにしたい石

・人任せにする石

・・・

 

 

こんな風にトートバックの中には

たくさんの石が詰まっていて、

そのトートバックのことを「自分らしさ」と言うのです。

 

 

何をお伝えしたいかと言うと、

トートバックの中は、変えられるよ、ということ。

 

 

いつも気疲れしてしんどくなるんだったら、

「頼まれたら断れない石」をポイっと捨てて、

「断る勇気の石」を入れればいい。

 

 

人任せにして主体性のないのが時々嫌になるんだったら、

「人任せ主義の石」を捨て、

「主体的に取り組む石」を入れればいい。

 

 

自分はこうだから、こうだからって

思い続けていたら、この先もずっとそのまま。

 

 

自分を縛る呪いを自らかけ続けているって考えたらおそろしいと思いませんか。

 

 

あの人は羨ましい、憧れるって思うときは変えるチャンス!

次はあなたの番です。

その素敵な要素を取り入れてみることをおすすめします。

 

 

大切なのは、方向性。

じゃぁ、なりたい自分ってなんだろう。

 

 

自分のトートバックをどんな石で満たしたいんだろう。

 

 

一度、ゆっくり考えてみてくださいね。

 

 

私も、コーヒーでも飲みながら、

書き出してみます^^

 

 

 

 

 

プロフィール写真は「なりたい私」でうまくいく!

 

こんにちは。藤本まりです。

隠れた才能をとことん引き出すカウンセリングをしています。

 

この記事は挑戦する人へ向けて、

軽やかに進むための読むサプリになればいいなと綴っています。

 

夫がカメラマンなので、別事業として写真事務所もしています。

というよりも、もともと起業は写真業がスタートでしたので、いまやっているカウンセリングよりも、長く写真業に携わっており、その分思い入れも深いものがあります。

 

フリーになる前は会社員で、広告代理店や化粧品会社にいたんですよ、と言うと

「バリバリですね!」と言われるのですが、まったくそんなことはなく。

 

 

10年前、初めてブログを書いたときのプロフィール写真は、

自分自身の写真ではなく、ネコのイラストでした(笑)。

(※数年前にこのブログはクローズしています)

 

 

「ネットという全世界に公開されるものに自分の写真を載せるなんて、

 ありえない!恥ずかしい!」

 

 

当時の私は、こんな風に思っていました。

いざ、載せてしまえば3日で慣れたのですが、

この一歩踏み出すことがこわくてこわくて。

 

 

プロフィール写真の遍歴は、

 

 ネコのイラスト→手元→後ろ姿→下向いてる→・・・

 

と少しずつ前へ進んでいくことになります。

 

 

わたし自身が、プロフィール写真を変えるごとに、

見られ方が変わり、稼ぐ力もアップデートできました。

 

もちろんプロフィール写真だけが全てではないのですが、

どんなプロフィール写真を使っているかで、発信する情報はガラリと変わってきます。

 

どう見られたいのかを発信している、

とも言いかえることができますね。

 

 

ネコのイラストを使っていた昔のわたしに、

「そんなんじゃ稼げないよ!」

声を大にして伝えたいです(笑)

 

 

せめて、人の写真を使ってね!と言いたいところですが、

ではどういう風に撮ればいいかと言うと…

 

 

「なりたい私」を撮るのをオススメします。

 

 

プロフィール写真をちょっと先行く未来の自分にすると、

先行く未来の自分を発信できるのはもちろん、

自分にも「なりたい私」を染み込ませることができます。

 

 

その写真を見る度に、

 

・笑顔がステキで充実している

・親近感ある雰囲気だわ

・ビジネスもうまくいってる

 

「なりたい私」を先取りして味わっていると、

だんだんと自分が近づいていきます。

 

 

何度も刷り込ませると、

潜在意識にまで染み込ませることができます。

 

 

そうすると自分でも意識しないうちに、

なりたい私の方向へ近づいていき・・・

 

ふと、気づけばプロフィール写真にフィットして、

なりたい私になっていた!と気づくでしょう。

 

 

ここで気をつけたいのが、

あくまでも「ちょっと先行くなりたい私」のさじ加減。

 

 

あまりにも今の自分とギャップがあると、

「いやいや、ムリでしょ」

「違いすぎ!」

と自分にもまわりにも思われてしまいます。

 

 

”盛りすぎ”は、よくないですよね。

 

 

リアルに、でもキレイに。このさじ加減が大切です。

 こんな服着てる私ステキ、

 こんな髪型の私ステキ、

 こんなメイクの私ステキ、

なりたい自分になって、写真を撮ってくださいね。

 

 

そしてぜひプロのカメラマンに頼んでくださいね。

 こんな表情の私ステキ、

というステキがあふれた写真を撮ってくれると思います^^

 

 

撮影後は、普段からその服を着て、その髪型をして、そのメイクをしましょう。

最初は、自分じゃない感じ?と違和感だったものが、
だんだんと「これこそ私」と思えるくらいフィットしてきます。

 

 

「あぁ、なりたい私になった」とふと思える日が来ると思います。

そうしたら、また新しく写真を撮りましょう。

 

この繰り返しで、どんどんステキな螺旋階段を上がっていけますね。

 

 

では最後に問いかけを。

ぜひ、美味しいお茶を飲みながら考えてみてくださいね。

 

 

『ちょっと先行く自分は、どんな自分ですか?』

 

 

\お友だち募集中/

未来を選ぶレッスン公式LINEです。
心のサプリのようなメッセージをお届けできたら幸いです。
 

友だち追加

 

 

 

こんにちは。藤本まりです。

隠れた才能をとことん引き出すカウンセリングをしています。

 

この記事は挑戦する人へ向けて、

軽やかに進むための読むサプリになればいいなと綴っています。

 

 

不安が止まらない!そんなときは・・・

 

わたしは楽天的なところもあるけれど、

一度ネガティブスイッチが入ると、それこそ飴をなめるように何度も何度もネガティブな想像をしては、「あぁ、どうしよう」「あの人のせいだ」と自分や人を責めたり、悪い想像ばかりしていました。

 

不安が止まらない。

ネガティブの波が次々と押し寄せてくるのです。

 

 

止まらないのは、思考の癖なのですよね。

 

人は習慣の生き物ですから、なんとなく通り慣れた道を通るし、何も考えなくても歯を磨いたりとか身支度したりできるし、何度も作っている料理はいつものやり方がある。

 

 

それは思考にも言えます。

 

 

ある思考のパターンに入ると、

だからわたしはうまく行かない、どうせダメだよね、

きっとこうなるに決まってる・・・、というネガティブコースへまっしぐら。

 

 

このパターンを続けている以上、

また同じような現実を味わうことになります。

 

 

いつまでたっても、ネガティブスパイラルからは抜け出せない。

 

 

一難去って、また一難。

「渡る世間は鬼ばかり」のテーマソングが流れてきそうです。

 

 

・・・

そういえば、社会派ブログで有名なちきりんさんの名言がありましたね。

 

「『愚痴を言う』『他人を妬む』『誰かに評価して欲しいと願う』……人生をムダにしたければ、この3つをどうぞ」

(『多眼思考』)

 

 

時間は有限です。

時間は何ものにもかえがたい、と知ってるはずなのに、

ムダなことに時間を使っているなんて、本当にムダ以外の何物でもありません笑

 

 

以前、こんな事がありました。

仕事の合間にカフェに行ったときのことです。

 

 

考え事をしながらソファ席に座っていました。

 

「あれ?ない?」

 

ふとコーヒーを飲もうと思ったら、カップが空になっていたのです。

 

・・・あの件、うまくいかなかったらどうしようとか

・・・あの人、怒ってないかな、とか

起こってもいないことを想像しては、「どうしようどうしよう」とモンモン思考に気を取られ、

 

コーヒーを味わうこともなく、

ただただ口に流し込んで

いつのまにか空になったことも気づかず、また飲もうと手を伸ばしていたのです。

 

 

せっかくのコーヒータイムなのに!

なんとアホなことをやってたのでしょう。

 

 

これだと、ただモンモンしにカフェに来ただけです。

 

 

その瞬間、ものすごくムダなことをやっていたと

心底アホらしくなりました。

 

 

美味しいコーヒーを飲んで、

空間を楽しんで、なりたい未来を想像して、

ホッとするひとときのためにカフェに来たはずなのに。

 

 

そんなときこそ、チャンスです。

いまが、新たな思考パターンを創るときなのです。

 

 

モンモンや、不安が止まらないときは、自分に問いかけてください。

 

 

「モンモンしたい?それ必要?」

 

 

必要ない?じゃぁ、サヨウナラ。

と手放して、新たな思考パターンを創りましょう。

 

 

たとえば目の前のコーヒータイムを楽しむとか、

美味しいもの食べたいなぁとか、こんなとこ行きたい、あんな本読みたいなとか。

 

 

今この時をよいものにする、という時間の積み重ねのほうが、

よい人生が送れそうですね。

 

少なくとも、モンモンよりもよっぽどいい。

 

まわりの人だって、いつも愚痴っぽくモンモンしている人よりも、

明るく、未来へ向かっている人に魅力を感じるでしょう。

 

 

そうそう、思考パターンは長年使っていればいるほど、

立ち止まるスキもなく、まっしぐら。

 

 

1回や2回、新たな道を選んだところで、習慣にはなりません。

またすぐ、”今までの”やり方へ戻ろうとしてしまいます。

 

 

だから、新たなパターンが習慣になるまでは、

何度でも、”決める”必要があります。

 

わたしは、モンモンするのをやめた!

時間は、なりたい未来のために使う!

 

こう宣言してみましょう。

何度も何度も繰り返し言うことで、ちょっとずつ染み込んできます。

 

 

歩いたことのない道は、けもの道。

草は茂り、どこが道なのかもよく分からない。

 

何度も何度も繰り返し通ることで、地面が見えてきてようやく道になります。

 

 

道になるまで、何度でも決めて、何度でも宣言しましょう。

きっと、いつか道になります。

 

 

必要ない思考とは、サヨウナラ。

新たな思考パターンを創りましょう。

 

 

\お友だち募集中/

未来を選ぶレッスン公式LINEです。
心のサプリのようなメッセージをお届けできたら幸いです。
 

友だち追加

 

 

 

自分を変える勇気をもつ

 

 

♪育ってきた環境が違うから〜

 すれ違いは否めない〜♪

 

 

いまでも、頭の中に流れます。

母がよく

「お母さんセロリ好きやねん、みんな残すから、いっぱい食べられるねん」

と言っていたので、余計覚えています(笑)

 

 

ところでうちは結婚して10数年ですが、

振り返ると、新婚当初はご飯にまつわるすれ違いは多く、

 

 

たとえば、

 

ご飯を一緒に食べるのは当たり前、

ご飯は大皿で出すもの、何品も作るもの、

毎週外食はせずご飯は家で食べる、

 

ありとあらゆるわたしの”マイルール”をふりかざして、

 

「わたしはこうがいいと思う!

 なんでわかってくれないの!」

 

あくまでも”自分のふつう”を通そうとしていました。

当然、相手にも”相手のふつう”があるわけで、

正しさと正しさのぶつかりあいに、どれだけエネルギーを消耗したことか。

 

 

♪育ってきた環境が違うから〜

 すれ違いは否めない〜♪

 

 

 

自分のふつうは、相手のふつうではないんや!

という衝撃を、やわらかな音色で包んでくれますね。

 

 

視野が狭く相手の背景に思いを馳せられなかったわたしは、

勝ちたい!という意識が強くて自分を通したかったのです。

 

 

そんなことではいつまでたっても、衝突はなくなりません。

ものごとも自分の思い通りにいかなくなっていきます。

 

 

やわらかなメロディを口ずさみながら、

”わたしが、わたしが”って子どもじみたルールをいつまでも言ったってかわいくないよなぁとハタと気づいたわたしは、

 

 

”わがやのふつう”を作ればいいんだ、とようやく気づきました。

なぁんだ、と拍子抜けした感じです。

 

 

その後だってもちろん、勝ちたい!自分も顔を出すこともあるのですが、

セロリセロリ…と呪文を唱えます(笑)

 

 

・・・

衝突があってしんどいとき、

うまくいかないと感じるとき、それはチャンスです。

 

 

 

自分を見直すチャンスがやってきています。

 

 

 

自分が握りしめて離さない”思い込み”を手放すチャンス。

自分を変えることは、ある意味”負けたー!”と認めることだから

くやしいし、痛いし、

「なんで?だって相手が悪いのに」なんて言いたくもなります。

 

 

 

でもいったん、受け入れてしまえば、

案外ラクになるもの。

思っていた以上に、自由さを味わえるはずです。

 

 

 

その自由さは、自分を変える勇気があるから得られるもの。

 

 

 

その勇気、カッコいいと思いませんか。

より自由に、人生をつくっていくキッカケにつながりますね。

 

 

もし、衝突があってしんどいとき、

うまくいなかいことがあるとき、「勝ちたいと思ってるのかも?」と

考えてみてくださいね。

 

 

その問いかけは、あなたを自由にする鍵になるかもしれません。

 

 

 

 

\お友だち募集中/

未来を選ぶレッスン公式LINEです。
心のサプリのようなメッセージをお届けできたら幸いです。
 

友だち追加