バタバタしてて、が口癖だった頃の話をしようと思う。まぁ今も言ってるけど。
「ちゃんと休む」が、なぜか後回しになってしまうことってありませんか。
私はそうでした。
10年ちょっとフリーランスをしていた間、
もちろん仕事で、
そして母として、ちょっとは妻として(は、あまりできたものではなかったけど)。
気づけば、いつも「やること」に追われてばかり。
予定はいっぱいなのに、ほっとできる自分の時間はどこにもなくて。
何のために今の働き方を選んだのか、
思い出せなくなるくらい、目の前のことに押し流されていたように思います。
ハムスターの滑車のように
そうそう、わたしは子どもの頃、ハムスターを飼っていました。
小さくて、あたたかくて、とてもかわいかった。
ある日、ゲージから庭に脱走して日が暮れるまで探したけれど見つからなくて、
あたりはどんどん暗くなってきて、
ネコに捕まえられたらどうしようとか
いつもは狭い狭いと思ってた庭が真っ暗な迷路のように感じました。
結局、庭の壁の隙間からひょこひょこと出てきて、
両手の中におさまったときは、あぁよかった、これで安心と涙が出てきたものでした。
そう、そのハムスターがカラカラと滑車の中を走っている姿も
かわいい〜と眺めていたのですが、
そこから大人になって日々をあくせくと過ごしていたわたしは、
まるでハムスターが滑車をカラカラ走っている、というよりも
回る滑車に走らされている、という状態でした。
ハムスターが運動不足とかストレス解消のために走る姿は微笑ましいけれど、
わたしは追われる日々を過ごしている。
一体何をやってるのかと、胸の奥がざわざわとしました。
どうして休むことが、こんなにも難しいのだろう
根っこにあったのは、やっぱり「不安」だったと思う。
わたしはそもそもは頑張りたくない人間です。
布団やコタツでぬくぬくしているのが好き。
でも一方で、ゆっくりしてたら置いていかれる気がして。
駆け出しのころは特にそうでした。
周りの人は頑張っているのに、自分だけ立ち止まるなんて!
「24時間戦えますか?」というキャッチコピーが頭に流れ、
電話もバンバン掛けたり掛かってきたり、交流会もフットワーク軽く顔を出し、
保育園のお迎えには滑り込みセーフかギリギリアウト。
「やらねば」「もっと皆は頑張ってる」と思い込み、
「忙しいことはいいことだ病」に掛かっていたんだと思う。
でも今ならわかるのです。
忙しいという字は、心を亡くすと書くし、
「ちゃんと休むこと」は、「ちゃんと働くこと」と同じくらい、
いえ、もしかしたらそれ以上に、大切なことだったのだと。
足りなかったのは、やる気ではなくて、余白。
やる気がないわけじゃなかった。一応、あった。
誰かの何かの役に立ちたい、そんな気持ちもあった。
ただ、足りていなかったのは「余白」でした。
たとえば——
「最近バタバタしてて」が、口癖になっていると気づいたとき。
こどもに「ママはいつも忙しそう」と言われたとき。
口内炎がなかなか治らなかったり、
肩こり首こり頭がガッチガチなとき。
あるいは、
ふと見上げたウィンドウの窓に、楽しそうじゃない人が映っていた。
あ、この人楽しくなさそうと思ったら、自分だった――そんな出来事に、はっとしたとき。
ざわざわとしたさざ波は、「余白が足りてないよ」と教えてくれていたのかもしれません。
なんのために働いているのか、思い出す瞬間
私が大きく立ち止まれたのは、ある日ふと、
「そもそも、なんのために起業したんだっけ?」と自分に問いかけたときでした。
自分の理想の世界観をつくりたくて、もっと自由な時間がほしくて、
誰かの役に立ちながら、ちゃんと自分の人生も味わいたくて。
仕事は、本来わたしの理想を叶えるための“手段”だったはずなのに、
いつの間にか、手段に振り回されている。
ハムスターが滑車を楽しく回していけてたらいいのだけど、
回る滑車に走らされていたとしたら、悲劇なのか喜劇なのか。
なんてこった、と頭を抱えてしまった。
とにかくいったん、降りよう。
私がいま、大切にしている余白時間
「忙しいことはいいことだ病」が流行らないときはない。
何かのキッカケでかかってしまうことは、今でもあります。
だからこそ予防が大事。
「好きなことをする時間」を少しでもいいから意識して持つようにしています。
そうだ、鞍馬寺に行こう、と思い立ったこともあります。
叡電の車窓から見える青もみじ、鳥の鳴き声、湿り気を含んだやさしい風。

いつもより強く感じた日差しのなかで、
100年前も、100年後もこの風景はきっと変わらないだろうな、と思えた初夏の午後。
あのときの静けさと広がりは、これからも心のどこかに残り続けるでしょう。
ほかにも、美味しいご飯とシュワっとした泡があったら最高。
気の置けない人たちとの、ほんの短いけれどあたたかい時間。
香り高い紅茶もいい。
ゆっくりと、ひとりの時間も尊い。
子どものアルトリコーダーの特訓や、習字セットに名前を書いたり、
家族で早口言葉大会をするのも楽しい。
そんな時間を、少しずつでも重ねていけたら、
きっとそれが今をやわらかく彩って、
思い出のひとつひとつになっていくんじゃないかな。
そして10年後、振り返ったとき、
「うん、なかなかいい人生だったかもね」って、
ふっと笑えるような気がしています。
今日はこれで、おしまい。
おしまいに、尋ねてみたくなりました。
仕事じゃない誰のためでもない、
自分のための余白、最近とれていますか?
自戒をこめて笑