一眼レフカメラの源流は、ピンホールカメラと同様の原理による光学装置「カメラ・オブスキュラ」にまで遡ると考えられます。
18世紀にフランスで作られた百科事典「百科全書」には、鏡を使用した高架式のカメラ・オブスキュラが掲載されています。
鏡を使うことで上下逆さにならず正しい像を写すことができ、持ち運びをすることもできるカメラです。
1830年代のタゲレオタイプといわれるフランスで発表された写真技法、1860年代に入って考案された撮影直前まで像を見続けることができるタイプの技法と、写真技法は時代とともに進歩し、1885年には初の一眼レフカメラがカルビン・レイ・スミス社から発売されました。
1890年代には様々な一眼レフカメラが作られ、二眼レフカメラもこの時代に登場しました。
19世紀末頃には像面のすぐ近くに配置されたシャッター、「フォーカルプレーンシャッター」が登場。
撮像面直前で遮光をするためレンズ交換のための遮光装置が不要ということから、レンズ交換式カメラに多く用いられます。
1930年代、ナチス政権下のドイツでロールフィルム使用の一眼レフカメラが発売されました。
レンズ交換式、フォーカルプレーンシャッター、レバーによるフィルム巻き上げ、裏蓋の開閉など、現代の一眼レフカメラのパイオニアとなりました。
日本でも一眼レフカメラの技術開発は早い時期から進められていました。
これは、ドイツのライカ社から発表されたレンジファインダーカメラM3が極めて高い完成度であり、日本のメーカーがかなわないと判断し、同じ土俵での勝負を避けたため、といわれています。
1957年に一眼レフの二大欠点をクリアしたアサヒペンタックスが旭光学工業から発表、続いてニコンから頑強なニコンFが発売、頑強故に報道や業務用として広く使われました。
1970年代にハリキャノンからプロ用にキャノンF-1が発表されグラフィック分野で高く評価。
以降、一眼レフカメラは電子化、小型軽量化、デジタル化と、時代に合わせた進化を遂げています。