ベートーヴェン《交響曲第5番ハ短調》讚!〜音楽作品の在り方を変えた独創性の極み〜 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

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2020年=べートーヴェン生誕250年に寄せての"讚"シリーズ再掲載、

第5弾は泣く子も黙る名曲中の名曲、通称「運命」=第5です。

今更私がその魅力を語るまでもない天下無双の名曲ですが、
私なりにご紹介しましょう。

 

写真:第4番&第5番 ホグウッド指揮&アカデミー・オブ・エンシェント盤(CD)

###ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン###
        (1770-1827)
     交響曲第5番 ハ短調 作品67

初演:1808年12月22日
   ウィーン/アン・デア・ウィーン劇場

交響曲第6番「田園」と共にこの演奏会で
初演されたということですが、
演奏会自体は失敗であったと伝えられています。
しかしその後に評価は直ちに高まっていったそうです。

時間的な規模という観点からは、以前に発表されていた
交響曲第3番「英雄」に一歩を譲るところがありますが、

それでも繰り返し記号を全部実施して演奏すると、

第1楽章=約7分、第2楽章=約11分、第3楽章=約8分、第4楽章=約12分、

合計=約38分という、なかなかの規模を持っています。
音楽そのものの持つ精神的な質量感の重さや、
動機労作に基づく全曲を統一する有機性という点においては、
それまでの西洋芸術音楽史上で最も強烈な作品が誕生した
と言えるのではないでしょうか。

第1楽章は、有名な運命動機
(・ソソソミーーー・ファファファレーーー~)
が音群細胞の増殖のように一気呵成に全楽章を構成していきます。
提示部・展開部・再現部・終結部の規模がほぼ完全に拮抗している

ベートーヴェン流ソナタ形式の一つの凝縮された完成型がここに在ります。

第二主題を導き出すホルンの彷徨(・シシシミーーーファ―――シーーー)は、

運命動機の基本音程=3度下行を二倍の5度下行にしたもので、

(音楽理論の音程の数え方は植木算方式です)

それを更に変奏して第二主題としている・・・という案配で、

楽章全体が緻密に設計構成されている、凝縮の極みといった楽章です。


第2楽章は二つの主題を基にした自由な変奏と展開ですが、
その主題達も、よく観察すると運命動機の応用である事が判ります。
所謂緩徐楽章ですが、そこに壮大なクライマックスも置かれるところは、
「英雄」で打ち出されて以来の新機軸で、

ロマン派の交響曲にも受け継がれていきます。

第3楽章は、楽譜に表記はありませんが、事実上のスケルツォです。
今日の研究では、トリオが2回出現するという見解が定着していますが、

私もそれを支持したいと思います。
スケルツォ主題が運命動機のダイレクトな活用であることは、

出だしを聴くだけで明白です。
トリオはフーガを応用しながら、舞曲の時代の伝統をまだ踏襲してもいて、
前半と後半の繰り返し記号が残っています。
3度目のスケルツォ主部は、オーケストレーションを
変えてボリュームを下げて聴き手の集中を促します。
やがて属音保続上に展開する神秘的な移行部を経て、
そのまま続いて演奏したまま終楽章冒頭の勝利の讃歌の
ような第一主題に突入するアイデアは、正に画期的です。

その終楽章(第4楽章)は、淀みなく次々と主題が繰り出す
豪壮かつ爽快な提示部から始ります。
勝利の讃歌を思わせる第一主題は、第1楽章冒頭から提示される運命動機の
三度音程下行音型の反行、つまり三度音程上行音型の活用で、

(ドーミーソーーーファミレドレド〜)という冒頭の音形いよって、
「闘争から歓喜へ!」というベートーヴェンの精神的なモットーを、
動機労作の面からも具現しています。見事というほかありません。
この楽章の主部は、堂々たるソナタ形式です。

第二主題(移動ド読み:レミファソ・・ミファソラ・・ラシドソーー〜)も、

更に続く第三主題と捉えることもできる朗々たる旋律による推移楽想

(移動ド読み:ドーーーーーシーラーソ・ソ・ソ・〜)も、

第一楽章冒頭の運命動機のリズム感を圧縮したり拡大したりしながら敷延して、

周到な関連性を持つものであることがわかります。
展開部も音楽そのものが持つ精神的な質量感を保持したままヴォルテージを上げて、

クライマックスに達した後、第3楽章から第4楽章への移行部がもう一度現れ、
再現部への突入に向けて、勝利の讃歌に至る感動を再体験することになります。
そして、再現部から雪崩れ込む終結部は、

一旦仮の終止を迎えたかという様相を呈しますが、
そこからは今度は全曲のコーダに相当すると考えられる更なる終結部に突入して、
これでもかという波動を畳み込んだ後に、

高揚と興奮の極致をもって全曲を閉じます。

 

全曲(全楽章)を通じて、冒頭の運命動機から紡ぎ出された音素材が

徹底的に敷延されて、一つの有機的な音宇宙を創出している、

音楽作品の在り方を変えた独奏の極みとさえ言える交響曲が誕生したのです。

また、交響曲史上初めて、ピッコロ、コントラファゴット、
トロンボーンいった楽器を導入したことも、管弦楽法の
発展に大きく寄与した作品として位置付けられます。

古典派のそれまでの器楽作品が、

貴族的な社会や中産階級の社会の予定調和の中での
ドラマ展開であったとするならば、
この作品は、人間の魂を根底から揺さぶるような音楽、
心理の深層をえぐり出すような迫力を伴った音楽が、
遂に誕生したと言えるのではないでしょうか。

音楽の精神的質量の飛躍的な拡大、楽曲構成に於ける独創的な創意工夫、
ベートーヴェンの偉大さを思い知らされる名曲です。

カラヤン指揮&ベルリン・フィルの演奏を
リンクしておきましょう。

YouTube / ◆ベートーヴェン 交響曲 第5番 【運命】 
           カラヤン指揮 ベルリンフィル◆

 

 

LPレコードの時代には、「運命」と「未完成」のカップリングが

随分多くリリースされていました。私が所蔵するLPにも3枚ありました。

 

写真:運命&未完成 フルトヴェングラー指揮&ベルリン・フィル盤(LP)

 

写真:運命&未完成 トスカニーニ指揮&NBC交響楽団 盤(LP)

 

写真:運命&未完成 カラヤン指揮&ベルリン・フィル盤(LP)