"プラウダ批判"により初演を回避した問題作=ショスタコーヴィチ/交響曲第4番 | 松尾祐孝の音楽塾&作曲塾~音楽家・作曲家を夢見る貴方へ~

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ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich / 1906-1975)の
交響曲の紹介を、第1番から順番にアップしています。

<交響曲第1番>(1926)が大評判となって、
国際音楽界に衝撃的なデビューを果たした
ショスタコーヴィチは、ソヴィエト体制からも
文化の担い手をして期待されたことでしょう。

1927年には、ソ連当局の一機関、国立出版アジアプロット局の
委嘱作品として、前衛的な気概にも満ちた単一楽章構成による
<交響曲第2番「十月革命に捧げる」>が初演され、
1929年には、委嘱作品ではなく自発的に、より祝祭色の強い
<交響曲第3番「メーデー」>を作曲して、発表されました。
ソヴィエト連邦建設の推進を賛美する作品を
書かざるを得ない事情が、きっとあったことでしょう。

その後、バレエ音楽「黄金時代」(1930年)と
同「ボルト」(1931年)を相次いで完成させましたが、
レニングラードでの初演が共に失敗に終わるという
挫折も味わいます。

一方で、1933年に初演された<ピアノ協奏曲第1番>は、
ジャスに触発されて作曲した作品であったり、
歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は
ベルクの歌劇『ヴォツェック』に触発された音楽であったりと、
進歩的な気概を心に秘めた活動を展開していました。

そして、1936年には歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」と
バレエ「明るい小川」が、共産党機関誌"プラウダ"で
批判を受け、ショスタコーヴィチはソヴィエト社会での窮地に
追い込まれてしまいました。
折から初演の準備を進めていた
<交響曲第4番>の初演を撤回して、
批判以後の作曲した<交響曲第5番>で名誉を回復するまで、
ショスタコーヴィチの立場は
極めて危なかったものと想像されます。

その"プラウダ批判"の際に初演を取り止めた
という曰く付きの作品、<交響曲第4番>は、
果たしてどのような作品なのでしょうか。

####<交響曲第4番 ハ短調 作品43>#####

第2番と第3番の単一楽章で演奏時間20分・30分という
交響詩的な規模から一転して、3楽章構成ながら
演奏時間約60分という大作になっています。
楽器編成も巨大で、木管4管編成、ホルン8本、金管3管編成、
弦5部も22型を指定という、ショスタコーヴィチ交響曲中
最大の規模を必要とする作品になっています。

[第1楽章]
いきなり第1主題が驀進して曲が始ります。
その後に二つの主題が続きますから、
ブルックナーのように主題を持つソナタ形式を採用しています。
第2番や第3番でも偏愛傾向にあったフーガ的(対位法的)発展
を含む展開部が、幾重にも起伏を描きながら進行していきます。
途中の高速フーガの部分はなかなか圧巻です。
再現部はやや小振りになっています。
最後は、弱奏で謎めいて終わりとなります。
それにしても、ブルックナーのお株を奪うような、
スケールの大きなソナタ形式冒頭楽章が誕生しました。
但し、全体的に非常に難解な音楽でもあります。

[第2楽章]
スケルツォ楽章の相当します。第1楽章と関連のある主題
によって始る音楽は、その主題のリズムを変化させた上で
フーガの手法によって発展して、崇高さと厳粛さを併せ持つ
緊迫した主部を形成していきます。
トリオに聴こえてくるホルンの主題は、後にそのまま
<交響曲第5番>の中での重要な主題に転用されています。
(この事からも、第5番が単なる社会主義リアリズム迎合作品
 ではないことが伺われます。
 第4番の内容を忍ばせているのですから。)
主部の回帰は弦セクションによるフーガから始ります。
終結部のティンパニが奏でるラテン的なリズムが印象的で、
この楽章も静かに終止します。
あまりスケルツォらしくないスケルツォと言えるでしょう。

[第3楽章]
緩徐楽章と終楽章を合成したような構成を持つ音楽です。
どことなくユーモラスな葬送行進曲風の楽想から始まり、
やがて痛切なクライマックスに到達します。
そしてまたユーモラスな葬送行進曲に戻ります。
速度を上げて続く主部が、終楽章に相当する部分になります。
モーツァルトの「魔笛」のパパゲーノのアリアや
ビゼーの「カルメン」の闘牛士の歌のパロディなど、
様々な要素や引用が次々と目まぐるしく現れます。
オーケストラによる即興演奏のような、
闊達な音楽が展開されます。
ティンパニの突然の連打の後に一旦楽想が転換しますが、
まだまだ自由な即興的展開が続きます。
時折りワルツ風の三拍子が聴こえてきますが、
いつのまにかまた二拍子系で前進していきます。
自由なロンド形式による変奏曲的発展とも考えられます。
やがて音楽が止まったかと思う場面の後に、
ティンパニの連打と金管の彷徨が始まり、
音楽は終結部に突入します。
長三和音の輝かしさが何度か聴こえますが、
どこか悲劇的な行進曲が驀進します。
そのまま押しきって曲尾になるかと思いきや、
やがて音楽は力を失って、静かに全曲を閉じます。
何とも謎めいた終楽章です。

3つの楽章が全て弱奏で終止するところに、
この作品の込められたメッセージ性が感じられます。
確かにこのまま1936年当時に初演していたならば、
ソヴィエト当局から更なる弾圧を受けていたことでしょう。
長年お蔵入りになっていた問題作ですが、
近年は再評価が高まり、演奏機会が増えてきています。
第5番以降の主要大作の基盤となった作品と
言えるのではないでしょうか。

YouTube / Shostakovich - Symphony n°4 -
      Amsterdam / Kondrashin live
      Concertgebouworkest Amsterdam
      Kirill Kondrashin
      Live recording, Amsterdam, 10.I.1971



この作品は、1936年の完成されましたが、初演は
スターリンの死後まで待たなくてはなりませんでした。
最初は第5番の初演を請け負ってくれた盟友でもある
ムラヴィンスキーの依頼しましたが、断られました。
ようやく、コンドラシンが引き受けてくれたということです。
この出会いから、以後、二人の協力関係は発展していきます。
結局、1961に初演は実現しました。

私の仕事場に在るCDは、勿論キリル・コンドラシン盤です。
CD:ショスタコーヴィチ/交響曲第4番
   キリル・コンドラシン指揮
   シュターツカペレ・ドレスデン
   Profill / Hänssler / PH06023

ショスタコーヴィチ交響曲第4番