左矢印左差し

タイムスリップのお時間

78で語呂合わせの刻印ですが

たぶんこれくらいの時間に

代打佐野仙好の同点犠牲フライが

上がったよね。

終盤は調子が下降気味で

ベンチを暖めることが

多かった佐野ですが

ここ一番ではやはり代打佐野

神宮内野席にいたっけ。

あれから丁度40年か……

 

その後、就中神宮では悲惨なゲームが多く

(個人的には神宮観戦40連敗)

数重年はこれを反芻せねば

やっていけぬ状態が続いたが

今やその必要がない。

信じられないくらい洗練された

チームになりましたね。トラ

ここぞのゲームで

均衡を破る三盗とかさ

かつてはやられる一方だったよね。

(92年だって未練がましいこと

言ってる人が多かったが

スワローズ飯田に神宮で本盗された

こっちゃは大事な終盤戦にバントに拘って

2回までにバント失敗で

3つもアウトを献上するとか

野球が違いましたやん)

 

とは言え40年前のあの記憶は

決して色褪せる物ではありません。

いわゆる暗黒時代

ダメダメなときだって同じです。

大事なことなんですよ。

これが人間らしさとも

言えるんじゃないかな。

過去から今は繋がっている

だからこそ今の輝きが増すこともある。

 

AIはそもそも人がダメダメなら

誤った物も含めて

さも球場にいて見たかのように、

淡々とデータを蓄積してしまうが。

マスコミのデータラメを基に

蓄積されたデータなど意味がない。

本来はそのためにSNSってあるはずなのだが

実際はデータラメをエスカレートさせる

装置と化してはいないか。

 

 

残念ながら思考そのものが無意味、

単なる電気信号と見做される風潮が

加速されるばかりです。

技術革新は凄まじく

もう数年でガラガラポンですが

それじゃAIにゃかないません。

もしこの世のすべてが

電気信号と言うのなら

電源はどこにあるんだろう

 

demoいくら抗ったって仕方がない

拙ブログもおんなじ、諦念。

とりあえず自己実現のためには

頭より身体しかなさそうだ

とにかく歩くのみ

最近はamebloログインしていません

パソに向かっていた時間は歩く。

 

追記

こんな記事を書いて

40年後のこの日に

佐野以来の中央大1位森下が決めたら

出来すぎだよなぁと思ったら現実に。

あの試合も先制したが逆転され

劣勢から追いついた。

そして延長10回で終了、今日もね

因縁ってあるのかもね

 

去年散々批判したが

前監督は森下を佐野にしたいのかと

そう思われる節があった。

佐野も勝負強いと散々言われた。

しかし申し訳ないがスケールが違う。

私が半世紀見てきた中では

森下こそが紛れもなく

虎史上最高のクラッチヒッターである。

 

 

てなわけで

過去記事auto age

 

算数の問題、掛け算の順序と答え

twitterより

よくある議論

掛け算の順序について

 

9×3=27と答えたらバッテンつけられた

これってオカシクないですか?

という問いかけ。

 

×をつけることを否定する意見の雛形

掛け算の順序なんてどうでもいいじゃん

答えはあってるんだからさぁ

 

×をつけることを肯定する意見の雛形

これは文章を数式化する訓練なのだから

掛け算の順序は大事なのだ

 

私はどちらにも違和感がある

 

まず掛け算の順序は大事と肯定する側

教員と名乗る人の多くが

 

3×9は 3冊×9=27冊

9×3は 9人×3=27人

 

単位が冊と人で変わってしまう

だから後者はバッテンだと主張している。

順序を早い内にたたき込まなければ、

伸び悩むと持論を展開している。

 

だがこれは根本的に間違えている。

正確には1人につき3冊配るのだから

単位は3冊ではなく

3冊/人である。

 

従って正確に計算式を書けば

9人×3冊/人=27冊

3冊/人×9人=27冊

どちらの答えも単位はとなり

一緒

数式的には

物を下から見るか上から見るか

斜めから拝むかの差だけ。

多角的思考を養うのだったら

闇雲に否定する教育こそ

間違えている。

 

しかしある程度理論派を装う

教師でさえ単位が人と冊になって

矛盾すると言い張るのですね。

こんなデタラメを教えるから

dimension(次元)が

理解出来なくなるのだと

思いますね。

 

小学2年でdimensionを

意識しているかどうかは分からないが、

無意識のうちに

そう処理している可能性も高く

この教育法はその才能の芽を摘む

非常に愚かなものであろう。

きわめて早い段階でアレルギーを抱き

そっぽを向いてしまう

豊かな才能もあるに違いない、

ここ3年のコロナソードー

結局は皆が

右も左も理系も文系も

同じ方向をむいたのを見るに付け

特にそう思うように

なってきたんですね。

 

dimensionを意識しなくとも

「文章題頭柔らかく変形」して

9人の人間に1冊ずつ配ることの

3倍なのだから、9×3=27 

と表現しているのかも知れないよ。

これも無意識に理系思考をしていて

伸びる要素のはずなんだよ。

 

分かりづらい日本語を

分かりやすく翻案

あるいは変形するのって

最も大切な

『数学的能力』

なのですよ。

 

『視野の狭い大人たちほど醜いものはない

真綿で子どもの首を絞めている』

と 布施明や小椋佳も歌っているヨ スライムと星

 

それとも小学校の先生たちは

掛け算の順序を入れ替えられぬ

行列や四元数まで意識して

指導してるのかにゃポーン

 

上に立つ人って、どうしてこうも

くだらない、理論の微塵もない

規則で縛るのが好きなんだろうね

小学からこれじゃ

先が思いやられるよ。

 

さて、

掛け算順序どうでもいい派

これってね、数式をツールとして捉えて

何でも効率的に解けりゃ良いじゃんか

っていう二進の会(維新の会)が

している典型的主張と

通底するんだよな。

 

最も大事なのは

『思考のプロセス』

実体験からも申し上げられるが

これをとことん等閑にしていないか?

小学から高校まで。

一番大事なのは「なぜ?」を問うこと。

この場合バッテンを闇雲につけるのではなく

何故、そうしたかを問うこと。

教師の側にだって面白い発見があるかもよ。

 

それがゴッソリ抜けてしまっているから

早い段階で数字アレルギーを

量産、脱落させてしまうし

一方で生き残った者たちは

数字の意味を深く考えずに

ただただ効率的に答えを導くことに

腐心してしまう。

計算屋証明屋

あふれてしまう。

 

これを放置し続けた挙げ句が

42万人18,622人

有効数字の概念がまったくないまま左差し

これを科学的事実 

ドヤ顔する科学者の出現

それを盲信してしまうセケン

負のループを呼び込んでいる

そう私は思いますね。

 

あのセンモンカたちは

文章題の変形が出来ていない。

つまりワンイシューに固執する余り

本来の正しい命題「国民の健康」を

追究していないし、その結果

表向きの命題

「感染を減らす」「コロナ被害を減らす」

さへ適えていない。

 

私はどちらが良いかと問われれば

絶対にバッテンはつけるな派。

理想は個々に問うことだが

それがムリでマニュアル化するなら

つけないと決めた方が遙かに良い。

バッテンをつけたって、現況を鑑みるに

リテラシーの養成に一個も役立ってない。

それならば小数とはいえ、これまでは

挫折させてしまった

かも知れない知性」

を呼び覚ますことに

腐心すべきだろう

 

だそく

今必要なのは、感性の鋭い天才だよ。

マッドサイエンティスト

おかしな算数に

あっという間に容易く支配されちまう

この救いようのない現況

閉塞感を打破したいな。

 

あれほどまでにロジックの欠ける

センモンカの言いなり。

それをいくら訴えても通じないで

生活は悪化し続ける虚しさ

もういい加減にして欲しいな。

 

批判覚悟で書くけれど

政治屋以上にデ~タラメだよ

彼らセンモンカは。

心身の健康こそが源で

それを失っちゃ元も子もないんだよ。

政治屋は間接責任はあるが

直接責任は医療である。

 

今回の指摘はその氷山の一角だが

残念ながら教育もオカシクって

根本的に何かが欠けた

頭の悪い人間ばかりが

上に行ける様なシステムになっていて

そして彼らたちが

訓示を垂れるわけなんですね、

これが少なからず起きている。

そろそろそこに気づいた方が

良いと思うのだけど^^;

 

編集後記

何を申し上げたかったのか、

冒頭で指摘した通り、まず

順序真理教派の主張

「単位が変わってしまう」は

データラメであると

順序立てて説明する

理系が少ないこと。

 

そして

「あっているんだから

どっちでもいいじゃん」

これはきわめて単純明快で

あながち間違えとは言い切れないが

しかしこのクラスターには

二進思考の知識人

いわゆる理系が揶揄する

いわゆる文系や

いわゆる保守がきわめて多いこと。

これも一種の『右と左』の

無意味な論争に陥っていないか。

このクラスターが結局は

「三角関数は要りません」

「それより金融工学を」

なんて言い出すのですよね。

 

この5年の

コロナソードーって

結局はこれが災いした果て

と私は思うのですよね。

見ていてもどかしかった、

どこかこの掛け算順序の話にも

通じるんじゃないか。

 

私もそうなんですが

幼いときから

押しつけの教育で、

知らず知らずのうち

シコーテーシに陥っている人が

多いんじゃないかな。

 

ほんのごく一部の天才により

科学は飛躍的に進歩し

我々はその恩恵に浴しているわけだ。

教育に問題があろうとも

本邦にも天才は出現しているし

今後もそれは続くだろう。

例えば望月、岡田、木村

彼らの共通点は環境に恵まれていて

幼い頃から理不尽なシバリがなく

気儘に過ごせたことじゃないのかな。

 

しかし大切なのは天才はごく一部ってこと。

やはり教育がそれに拍車を掛けていないか。

現実はその周りは我々を含め

科学者を名乗る連中だって

アフォだらけなのだ。

天才は万能ではない

コミュが万全なわけではない。

掛け算の順序に何も感じずに躓きもせず

一見順調に歩んできた

アフォどもによって

ねじ曲げ続けられてるんじゃないかな。