4月忘日、施設にて
母、元気だとは思うのだが
もう何を話しかけたところで
これと言った言葉は出てこない。
表情が和やかになるのを見て
「喜んでいるんだなぁ」と
判断するのみ。
本日は私が話しかけたら
大きなあくびをした。
私は妙にウレシクなったんだよな。
何故か。
幼少時に私は人とは違うんじゃないか?
と思った顕著な出来事の一つ。
あくび
普通は人の話が退屈である
人をコバカにしている
その象徴として取り上げられますよね。
これは私に関しちゃ
絶対ちゃうんですよね。
逆に集中して聞けている証拠。
相手の話に聞き入っている証
なんですよね。
どこかで自律神経のバランスが
崩れているのか
自分は緊張してしまうことが多い。
この状態では絶対にアクビは
出てこないですし
人の話も頭に入りづらい。
アクビがでるということは
リラックス状態であり
人の話も良く理解出来るんですよね。
私に関してはそう。
だから相手がアクビをしても
よくあるような
ティピカルな反応は
私はしないのです。
他者がアクビをしていると
むしろウレシクなるんですよね。
ただ人間関係って煩わしい。
これは他者には理解してもらえない。
ですからマナーとして仕方なく
アクビをかみ殺すんですね。
でもやっぱり
思いっきりアクビをしながら
話を聞きたいですね。
名より実、見た目がなんぼのもんじゃい
という気持ちは
常に抱き続けてるんですね。
他にもいらっしゃいませんか?
実はアクビは集中のサイン
しかし恥ずかしくて
それが言えないのです
という悩みを抱えている方^^;
例えばアクビを手で覆うと
今度は肘をついただなんだ
ウルサイですよね。
アクビをしないから
話を真面目に聞いているって
根拠はあるんですかね。
逆もそうです
したからといって不真面目って。
これって相手を具に見れば
分かることだと思うんです。
決してマニュアル通り
象徴的行為のみを
あげつらうだけで
解決することじゃない。
これって結局
あらゆることに
弊害をもたらしていませんか。
カンセンタイサクなんてまさにそう。
マスクをしていればセイギ
していなければサタン。
実に安直です。
している人は思いやりがあり
していないのは自分勝手
むしろ逆も多かったんじゃないですか?
良く誤用されている言葉ですが
ルールを守っているつもり
その弊害こそ
モラルハザードというのですよ。