さら に
ちょっとだけ書き足したのでも一回w
数字に誠実であることと
固執することは
真逆の概念
数字そのものに
固執しすぎることこそが
数字に対するモラル低下
データ改ざんを招く
またそれに対しあまりにも
無頓着であることについて
さら に
数字に誠実であろう
衣笠の連続試合維持のためだけの出場
昭和にはまだ業界内の批判や
自浄作用ってありましたよ。
79年衣笠のフルイニング記録を
三宅秀史選手の記録更新まさに目前で
古葉竹識監督はストップできた。
87年の連続維持のために
スタメンで一打席即交代は
記録アナリストの第一人者
宇佐美徹也さんが批判していた。
しかし21世紀に入り
金本の時はそれが一切なかった。
衣笠より遙かに醜悪なのにです。
衣笠は成績は落ちていたけど
野球選手として
最低限のプレーはしていた。
しかし金本は違う。
投げられない。
鳥谷敬の介護がなきゃプレーできない
これがプロとして如何に恥ずべきか。
史上最低打者猪俣隆
だってバットを振った。
だからこそ記憶に残るシーンが生まれた。
93年ハマスタデーゲーム二死満塁で
打席には猪俣隆、マウンドには斎藤隆
このときはまだアメリカの寿司職人と
一流メジャーリーガーの
対決ではなかったとは言え
「ハイ、三振、終了」という場面。
ところがここで一生目に焼き付くこととなる
意外で面白い光景を目撃することが出来た。
波打ちながら振り遅れたバットに
『たまたま』ボールが当たり
力ない打球がフラフラ~と
これを空前の名手二人
サード石井琢朗、遊撃進藤達哉、
そして左翼畠山準もが
必死に追いかけるも
嘲笑うかのように魔の三角地帯に
飛球はポテンと落ちた。
まさかの猪俣に慌てたであろう
名手進藤の悪送球のおまけ付き
一塁走者の超鈍足木戸克彦まで生還
走者一掃となった。
マウンド上で呆然と見つめる斎藤隆
照れくさそうに2塁ベース上に佇む猪俣隆
これをまるで昨日見たことのように
欧米のそこらのオッサンによる
UFO目撃談のように語れるのが
野球ファンの喜びであり
プロ野球観戦の醍醐味だ。
ヒッティングマーチを
のべつまくなし歌うことや
勝敗に固執することじゃない
これが醍醐味、観戦の原点
ではないでしょうか
振るからこそ起きること。
だが金本は投げないのだから
なにも起こらない。
プロとしてあるまじき
左前二塁打は量産されたし
左前単打で2塁走者は100%生還で
クロスプレーは絶対に起こらない。
『可能性ゼロの』『playモドキ』を
連続した史上唯一のプレーヤーこそが
金本であり、これが巷間美化されている
連続出場の正体なのである。
連続なる数字の生み出す
無機質で空虚な幻想に
固執した末でなければ
私もここまでは叩かない。
真面目だが常に投げない金本と
不真面目に(見えるが)
稀に飛球を追わなかった田淵幸一
さん
私は後者なら叩かないんだよ。
勿論それ以前の金本は
否定されるべきではない。
そのことについては
人並み以上に書いています。
しかし、あの時の彼は
player でなく prayer
唯一出来ることは
3塁を回った走者が転けることを
ただ祈るのみだったが
この祈りが成就することは絶対にない。
可能性ゼロ、裏返せば100%結果が分かる
反スポーツ的行為そのものであって
ファンは意外性の
カタルシスは絶対味わえない、
祈りという他者にとって最後の希望さえ
出続けることで本人が否定していたわけだ。
換言すればイシンに代表されるような
いまの「ゼロか100かを求める」傾向
それって『ちゃうんちゃう』
意外性の面白さ、其れをハイジョする愚かさに
気づかせるのがスポーツと言っても良い。
だがこの反スポーツを
マスコミはこぞって絶賛した。
アッという間に我々パンピーは
センノーされた
批判してはいけないような空気に包まれた。
それどころではない、
冒涜行為に過ぎぬ糊塗を
カルリプケンJr.にコメントを求めて
紙面や球場内ビジョンで垂れ流したり
ギネスに申請したりまでした。
残念ながらすでに故人だったが
宇佐美徹也さんが現役ならば
舌鋒スルドく批判はあったろう
しかし業界内からの批判は一切なし
一野球ファンとして
『野球観戦の醍醐味そのものを奪う行為』
という原点に返った
視点さえ一切ないという
異常な状態だった。
(数少ない批判も勝敗固執主義の果てだから
この視点からネットにも書き込んだけどね
かいつまみで『冒涜』にカジョーハンノーされて
通じなかったみたい^^;
でも『冒涜』が最も簡潔で適切な表現なんだよね)
数字に固執しすぎた余り
playという実態を捨て去ってしまった行為。
私は記録ヲタで人よりはどちらかと言えば
数字を楽しむタイプのファンです
だからこそこういうのは赦せないんですね。
30年以上書きためた自筆の記録集は
このときほとんど破棄しました。
NPBの記録なんて意味ありませんよ
と連日『連続して』コバカにされたんですから。
私はこのような風潮も
コロナソードーに繋がっていると思う。
私からすれば、この時と完全に同じ。
ある種の幻想だけを尊び
数字には徹底して不誠実。
さらに連続試合とか勤勉・努力・実直を
連想させる物の批判は一切許さない。
内容は一切問わない。
ゼロコロナというのは
それと全く一緒の概念だろう。
クソマジメな日本人の琴線には触れるし
タイサクもまたクソマジメな
ジシュクとマスクで、更に
いつわりにすぎない「弱者保護」の
錦の御旗までついているわけだ。
だから内容は一切問わない
西浦氏の科学的手法に一切疑問を呈さない。
そもそものお題目ゼロコロナに
疑問を呈してもいけない。
今はネットの時代ですから
個々には批判がありましたよ。
しかしそれだけでは社会は変わらない。
やはりマスコミ、あるいは「業界内」から
一切上がらなかったのが問題。
これってね結局は
数字に対する徹底した
無頓着から来ているんじゃないか
というのが私の主張です。
そして日向においておくととろけてしまう
ソフトクリームのように
数字に対する本邦のモラルが
崩れているのではないか。
それが21世紀以降加速していないだろうか
と言いたいのですね。
赤木俊夫さんの件も同根だと思うのです。
○○ガーの忖度以前に
「記録の改ざん」が問題なのです。
これに余りにも鈍感じゃないだろうか
金本の記録更新こそが「記録の改ざん」
ルーゲーリッグに対する冒涜であり、また
野球ファンの観戦の楽しみそのものを
奪う行為です。
ところがこんな当たり前のことが通じないし
主張しただけで袋だたきされる、
マスコミは一切正論を吐かない。
業界内の自浄作用も働かない。
われわれパンピーもそうだ。
ふだんは『歴史修正主義』と
目をつり上げるリベさんでさえ
目の前で連日
「歴史修正」に等しいハレンチが
行われているのにニヤケながら
「素晴らしいですね」とコメントするだけ。
これこそは思考停止の典型じゃないか。
こうした気づかぬうちに行われる
思考停止の連続・積み重ねこそが
社会問題を引き起こす源ではないか。
問題の本質が何も分かっていない
こうした空気こそが
彼を苦しめたのではないか?
「記録の改ざん」は
「公僕にとって最大の屈辱」
○○ガ~ではなく
屈辱は記録の改ざんそのものです
これが原点です。
このことさえ認識出来ない人たち
あるいは○○ガ~一辺倒で
原点に帰着できない知識人
こうしたことに失望している
「潜在的」赤木さんは78を含め^^;
沢山おられるのではないか
このことに着目せぬ限り
悲劇は延々と続くでしょう。
事実その証拠に
デカデカ報道されぬだけで
赤木さんの事件から間を置かずして
厚労省のワクチンデータ偽装は
平然と行われています。
これは原点に帰着しないからです。
○○ガ~とあくまで他責で
我々同様、内なる問題という意識に
欠けているからです。
だからこそ業界の自浄作用が働かない、
例えば西浦氏の「科学的手法」を
放置したままなのではないか。
鵜呑みにした我々にも問題がありますが
業界の批判が一切なかったのが大問題。
簡単な言葉で示すと冒頭に書いたとおり
『固執と誠実の差』
頭からスッポリ抜けているんじゃないか。
勤勉は素晴らしい
この命題ありきで
連続出場を美化し正当化し続けたように
ジシュクやマスクは素晴らしい
まずこの命題、結論ありきで
データはチェリーピッキング。
指数関数を扱うモデルなのに
捕捉率4分の1とかR0=2.5とか
極めて大雑把な数値を使う一方で
有効数字は7桁と精緻さを訴えるバカバカしさ
これを根拠としながら
規制が3年以上続きました。
更には『科学』と主張された訳ですが
何故こんなことに疑問を呈さないのか?
ワクチンデータ偽装も
まんぼうに効果ありとする報告もそうです。
端から結論ありき
統計が理論と異なるから
接種者まで未接種者と見做す
有意ではなく有益なる言葉を拵える
こんな愚が平気で行われました
分かりやすく言えば
このCMと同じです。
○○ガ~
なにも特殊な異常者がいるわけじゃない。
しかし本邦のモラルは
日向に置いたソフトクリームのように
とろけだしています
それは卑近なこと
例えばたかがプロ野球からも
感じ取れることなんですよね
覆水盆に返らず
されどされどハムサラダ
同じ過ちを繰り返す必要はないんだって ば
