age2023年12月記

アメブロのリブログ喚起に

従ってみようでござるの巻

 

蛇足ですが、中盤の例え

簡単な計算を追記しています

でくくっています。

 

今から丁度30年前に筒井康隆氏の

『無人警察』論争というのがあった。

 

『無人警察』

未来はコンピュータ警察による

監視・管理社会になっていて

たとえば、ある疾患を抱えた人は

脳波で直ちにそれを割り出されて

自動車の運転をしていたら即摘発される

たしかそんな内容の短編小説だった。

 

この短編小説に対し、ある疾患の団体が

「差別」や「偏見」を生むとして猛抗議

これにひるんだ出版社が

筒井氏に無断で削除したため

憤慨した筒井氏が

「断筆宣言」をしたわけだ。

 

文壇の反応も

いわゆる保守陣営が筒井氏擁護

いわゆるリベラルは筒井氏批判

と顕著な傾向が現れていた。

 

朝まで生テレビでも取り上げられ

筒井氏本人と抗議団体が対決した。

そこで印象的だった筒井さんの言葉

録画が残っているわけではないので

若干違うかも知れないが

こんな感じだった。

不快」と糾弾する団体に対して

 

そうです不快です

私はその不快な社会を

描きたかったのです

 

さて、30年経ってどうだろうか。

 

たかだかマスクをしていないだけで

係員が飛んできて

『マスクをしてください

出来ないなら外へ出て行け』

と追い出しても正当化される社会

これはSFではない

現実だ。

 

杓子定規なコンピュータでないだけ

余計に哀しい不快ですね。

相手側に落ち度があり

理由を説明したって

居場所は用意されず

「出て行って下さい」だけ。

しかもある疾患以上に

ノーマスクのリスクに根拠はなく

単なる非科学だ。

 

あらためて説明してみます。

どう考えても感染者ではないし

仮に無症状感染だとしても

伝染す確率はほぼゼロ

仮にコンマ以下2桁%で伝染させたって

それで更に重症化させる確率となると

およそ現実的でない、杞憂未満。

更にだ、抑もマスクで防げるという

設定自体アヤシイのだ。

(私は逆効果ではないかと考えているし

その理由も散々書いた)

 

そもそも感染者でないのだから

永遠のゼロなのだが

全て多めに見積もってみましょう

仮に10%の確率で無症状感染として

うつしてしまう確率が0.1%

さらにうつされた人が

重症化する確率を4%

マスク効果を80%としましょうか。

マスクなしでも

0.1×0.001×0.04=0.000004

重症化確率は25万分の1にすぎません

このタイサク派に都合の良い仮定の下で

マスクありで

0.1×0.001×0.04×0.2=0.0000008

重症化確率は125万分の1になるわけですが

これに何の意味がありますか。

 

センモンカさんが大好き交通事故との比較

死亡者は年間2500人、5万分の1

みんな大好き、

ながらスマホ

これによる交通事故が

1500件 8万分の1

こっちの方がよっぽどキケンだよ

ノーマスクを問答無用で排除なら

ながらスマホ(歩きスマホ含む)は

即刻刑務所に入れるべきだね

 

マスク効果が大きい

(この場合は80%と仮定)

とだけ煽っていましたが

抑もその前に関所がいくつもありますから

極めてナンセンスなのが

お分かりいただけるだろうか

 

タイサク派の論法は常にこの手法。

結論に行き着くまで

このように関所が沢山あるのに

全て都合の良い「仮定」で

恣意的な数字を代入しているだけなのだ

冷静な見積もり……というと

反感を買うかも知れないが

少なくとも別の見方はあり得て

違う仮定、数字を代入すれば

結論は全く違ってくるのですよ。

これが「予言」は悉く外れているのに

「事後処理」の辻褄が

あっているように見せかける

カラクリではないのか?

 

さて、もとの話題に戻ります

頻繁に咳をするわけでも

大声を挙げるわけでもない。

呼び出しといて約束時間を反故にされたため

長時間のマスクは不可能なだけだ。

 

それでも真に有り難き

西浦様のカンセンタイサク最優先

約束破りをした方が

デカイ態度で許されてしまう社会。

 

当たり前のことだが

それよりもマニュアル通りに外に追い出し

長時間放置した際の

悪影響を考えるべきだが

そんなことさえ分からない

ヴァカものたち。

理屈で物を考えられなくなった

思考停止の社会。

筒井氏の描いた監視・管理の

不快な社会そのまま

いやそれ以下じゃないのか。

 

私はそれに散々警鐘を鳴らしてきたが

本邦唯一の理論疫学者である

西浦博先生が感染蔓延阻止の

正義感から意図的に拵えた

こわばった空気による

相互監視社会によって

差別を呼ぶという概念などではなく

形として歴(れっき)として現れた差別

それによる実害である。

私は現にそれによって苦しみ

未だにそれが続いている。

 

さて、30年前に立ち上がった

セイギのミカタたち。

筒井氏の小説に抗議した人たち

これに一人でも抗議しただろうか。

『差別とは何か』が分かってるのか。

 

不快だとすることを言葉狩りをして

ヒステリックにフタをしたところで

社会はちっとも良くならない

却って腐臭が増殖・蔓延して

息苦しさが増すだけじゃないか。

 

不快なものは徹底排除

これはゼロコロナと

極めて親和性が高い

だから鈍感なのだろう。

しかし却って不自由を障害に変える

結局は弱者イジメに過ぎぬ

最悪の思考である

と繰り返し繰り返し

何回も何回も書いてきた。

 

彼らの存在そのものが

筒井氏が仰るところの

「不快な社会」を加速させている

胸に手を当てて考えたことがあるのか。

 

この3年に当てはめると

あり得ない恐怖に怯え続け

被害を訴えたって鼻で嘲笑い

それどころかマスク強要に加担し

「マスクをせぬのはエゴイスト

弱者への思いやりがない」

と高圧的に断ずる

セイギのミカタばかり

だったんじゃないのかな。

 

彼らの多くは単なる反権力

とにかく誰かを悪者に仕立てて

叩きたいだけの人たちだ。

冷静に今起こっている現実を

『科学的』に分析することなど出来ない。

 

更に嘆かわしいのは

その単なる鬱憤晴らし

マスターベーション

セイギのミカタごっこ

弱者が利用されているだけで

往々にして弱者がそれに

気づいていないこと。

 

今回のソードーでも

弱者周辺の人たちほど

西浦氏に感謝しているように見える。

 

申し訳ないがそれは単なるセンノウ

妄想の産物のように思われる。

例え矛盾の塊であったとしても

マニュアルがないと動けない

マニュアル脳の行く末

と言ったら言い過ぎか。

 

センモンカの振りかかざした「セイギ」

一旦立ち止まって冷静になりさえすれば

そのセイギに支配された

当たり前・マニュアルが

業務に重大なる支障を来し

利用者にも被害が及んでいたことは

理解が出来るはずだ。

 

自称セイギのミカタ

みんな仲良く手をつないで

チィチィパッパチィパッパ

さぁ皆で唱えましょう「○○ガ~」

アベガ~、キシダガ~、中国ガ~

虫唾が走るな