内田樹さん曰わく
『無知の知』を弁えるのが『本物の知識人』
が、しかし、but
果たしてこの姿勢だけで正しいのか
偉大なる賢人でさえ
陥りやすい陥穽についてです
それこそマウントを取るみたいで
嫌だったんですが
上記記事の『ワクチン派の見解』
編集後記を見てください
2021年5月20日です
無知の知は弁えながら
科学的手法に疑問を呈しています
その後の世界は私の書いたとおりに
なっちゃいました。
センモンカの見通しより
当たっています。
何故こうなるのでしょうか
それはセンモンカが
『無知の知』を弁えていないからです
残念ながら内田樹さん定義の
『本物の知識人』とばかり限らぬどころか
その傲岸さ故「科学的」に正しいと即断し
待てない非知識人が多すぎるからです。
ですから我々は彼らに丸投げするだけでなく
指針とすべき彼らセンモンカも
『無知の知』を弁えていない
それを頭に入れておかないと
大きな過ちを犯してしまうのです。
素晴らしい考えだとは思うのですが
これだとやられてしまいます。
「信用できる専門家」は
あくまでも個人の主観であって
違う考えを抱き行動している人物を
コバカにしてレッテル貼りをするのは
傲岸であり、知性の放棄です。
残念ながらコロナ禍のような
全体主義下では
同じ意見しか転がっていません。
あるいは正反対の極論とか。
「信用できる専門家」を
探すこと自体ムズカシイ
と見做すのが妥当でしょう。
ですから丸投げ以前に
まず自分で考える。
難しいことじゃありません。
私が判断の材料にしたのは
小学生レベルの国語と歴史と
算数です。
大雑把な説明をしますと
被害が20分の1というのは
死亡者がX万人当たり
アメリカ100人、日本5人
ということです
100人の死亡者が5人に減ったのですから
ワクチンの有効率の計算に準えれば
(100-5)/100=0.95
95%です。
つまりアメリカから見れば
95%有効で副作用のない
ワクチンを日本では
既に打っているのと同等では
ないかという思考法です。
散々強調しましたが
「打たない手はない」ではなく
「待たない手はない」とした
論拠です。
ワクチンはそもそも何のため打つのか
『原点に帰着する』という
数学的思考法ではありますが
使ったのは単なる引き算と割り算
小学3年レベルの算数です。
冷静になれば誰でも分かり
決してオカシナ意見ではないのに
誰も指摘する人がいない。
そして一方向に盲信し猛進する
これぞ全体主義の滑稽さ
オソロシサです。
繰り返しますが
決してあのときは
仕方がなかった
ではありません。
結果が出る前に指摘できることです。
結果が出てから嘆くのは詮無い
待たないから未知のリスクを
一手に背負ってしまい禍根を遺し
そしてあの時は仕方なかったという。
いつまで経ってもこの繰り返しです
とことんオカシイと私は思っています。
申し訳ないが本邦の知性は全く
当てになりなせん
自分で考えないととことんやられます
同じ過ちが延々と繰り返されるわけですが
せめて個々が逃げられるよう
願って止みません。
いまこんな記事をあげる
オマエこそ山師だろう
ご指摘ごもっともw
でもでもずっとずっと
書き続けているんですよ^^;

