2022年5月記

 

砂時計ならぬ

スラ時計です^^;

 

行く川のながれは絶えずして

しかももとの水にあらず。

よどみに浮ぶうたかたは

かつ消えかつ結びて

久しくとどまることなし。

世の中にある人とすみかと

またかくの如し。

 

鴨長明 方丈記

 

当たり前とされた規則に従うのが

得意な日本人。

それを疑ったであろう鴨長明。

 

ある種の特権階級にあって

世捨て人、隠遁生活に入った鴨長明と

現代で同じ事をするのは難しい。

 

しかし、惹かれる文章である。

 

自然をありのままに受け入れ、従い

自然に生きる。

私流の拙い表現だと

不自由は受け入れて障害に変えない生き方。

この2年は、これにひたすら抗った世。

 

鴨長明が生きた時代は

大河ドラマ鎌倉殿の13人と同時期。

彼の生きた61年間に災厄による改元が

なんと23回もあったという。

災厄は疫病が7回、地震と火災が2回、

飢饉が1回、水害が1回、戦乱が3回。

とりわけ疫病の多さが目を引く。

 

母の命つきたるを知らずして

いとけなき子の、なお乳を吸いつつ

臥せるなどもあり。

 

今回の騒動とは違う。

これと同じ悲劇は

疫病そのものではなく

対策による弊害によって起こったのは

頭に入れておかねばならないだろう。

 

 

 

編集後記2024年12月

要因はひとつじゃない。

様々が複雑に絡み合って

今、精神がのっぴきならぬ状態。

この先どうなるか考えるだけで滅入る。

 

鴨長明は自分の年には隠居か

今記事でも書いたとおり

ある種の特権階級だった彼と

同じ事は出来ない。

その逞しさも自分にはない

 

両親がいたから

全体主義もガマンした。

そう遠くないうち訪れる

全体主義第二波は耐えられない。

それを避けるには鴨長明になる以外ない。

 

山奥で自給自足

憧れるが自分にはムリだよ。

コンクリートジャングルこそが

そこでヒソ~リこそが

自給自足でなくスーパーや

ネット注文で食糧調達こそがw

自分にとってのスローライフ

 

とことんワガママ、矛盾だらけ。

結局全体主義から逃げ切れぬのは

あくまでも自己矛盾の産物なのか。

 
山奥を歓迎できないんじゃ
こんなん二フラムしかないじゃん
最終的には自己責任なのか。

 

なんだかんだ言って

自分も感性が狂ってる

 

よく考えると幼少期に

バスに乗るのがいちばん楽しかった。

自然とは無縁で、車窓を流れる

無機質な建物を眺め

なにより看板を見付けるのが楽しかった。

看板に書かれている文字を覚え

それより数字に異常な関心を持ち

計算するのが何よりの喜びだった。

お花や木じゃないんだ

関心があるのは人工物

その究極である看板。

 

その後自然にも関心を持ったが

したことは大虐殺だった^^;

今もトラウマですね。

せめてその罪滅ぼしで

己の欲せざる所人に施すことなかれ

は念頭においてきたつもりではある

しかし「欲せざる所」

つまり「なんでもない」「ことはない」

と感じるところが

人とはかなり違うのかも知れない^^;